人は異常を恐れるものだ。
それは生き物ならば当然の感覚である。
本能的に生きる動物などでさえ危機感知能力から異質なものを避けるのが当たり前。
ましてや知恵ある者ならば、余計に注意して然るべきだろう。
……が、しかし例外は当然存在するものだ。
人と言うのは面白いもので、注意すべき異常にすら、場合によっては慣れてしまうのである。
それを柔軟な適応力の賜物と見るべきなのか。
それとも、単に自己への自信の高さから来る過信と見るべきなのか。
答えは誰も知らない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
異界に赴くというのに普段の姿のままで行くと告げた時のウィルヘルムの顔を、ヴィーズィーはまるでさっき見た事の様にありありと思い出すことが出来る。いやはやあれは傑作だった。普段はクール系――まあ昨今は大分表情も和らぐようになってきたようで何よりなのだが――で通している彼が目を剥いて驚愕と混乱と困惑の入り混じる表情を浮かべる様は、見ている方としては愉快な絵面だったのは確かである。
クツクツと仮面の下で笑いながら、ヴィーズィーは手にしていた荷物を棚にしまいふぅと息を吐いた。数日前から行っていた荷解きは何とかこれで完了である。持ち込んだ荷は少なめにした筈だが、それでも予想以上に手間がかかってしまった。やはり、こういった作業は人手が必要だと改めて思いつつも、ヴィーズィーはやっと整った室内をぐるりと見回す。
少し狭く薄暗い部屋だった。壁際にはシックな棚が並び、古びた背表紙の本やら不思議な金属板やらカードやらといった諸々がしまい込まれている。部屋の中央には天鵞絨の布をかけられた大きな机が置かれ、その上には丸い水晶玉が豪奢な台座の上で仄かな照明を受けて煌めいていた。
酷く怪しい雰囲気のある部屋である。十中八九の人が、感想をきけば怪しいと答えることだろう。しかし、それは何一つ問題ではない。
ヴィーズィーは部屋の扉――これもまた重そうな鉄枠で飾られた中世風の扉である――を押し開けて歩み出た。外、ではなく室内だったが先程の小部屋とはうって変わって、こちらは酷く現代的である。接客用のものだろうカウンターに、壁にはポスター大の幾つかの張り紙、そして隅の方には置かれたテーブルや棚に小さな小物が無数に並べられ値札がそれぞれに取り付けられていた。ちょっとした店、といった様相である。
まあそれも当然だろう。何せココは紛れもなく『店』なのだから。それも、占い専門の。
「占い師なぞ、怪しくてなんぼじゃからな」
普段から外す事の少ない仮面に全身を覆い隠す白のローブ。これらを勿論、別のものに変える事は不可能ではなかった。いや、現状を考えれば本来は変更すべきなのだ。今、ヴィーズィーが暫くの住居を構える事になったこの世界は、今まで転々と旅をして回ったファンタジックな世界とは異なり科学技術が程々に進歩した世界なのだから。イバラシティと呼ばれるこの都市はその中でも変わり種――『異能』と呼ばれる不可思議な力を持つ住人が当たり前に闊歩しているのは、こういう傾向の世界ではレアケースかもしれない――とはいえ、この出で立ちは異質そのものと言っていい。
しかしこのスタイルをヴィーズィーは変えるつもりが無かった。それは、少々複雑な事情がからむのも理由の一つだが……それ以上に、この姿形こそ最も自分らしいものだという自負の為だ。ならばこそ、紛れ込むためには上手な嘘を用意してやらねばならない。
ヴィーズィーが今回、この世界に紛れ込むために用意した嘘は『占い師』という経歴だった。勿論、嘘は嘘だが完全な嘘ではない。実際に占いに関しては専門ではないが多少の知識があるからだ。今までそれで商売をしたこともある。そういった経験は確かな説得力となって、今のヴィーズィーを助けている。
何より、こんな非現代的な格好をしていても「これは商売着」と言い張れば多少訝られたり怪しがられたりしつつも受け入れられやすいこの職業は、ヴィーズィーにとってはちょうど良かった。
「怪し過ぎたとして、それに至極真っ当な理由が付けば、人は存外に納得するもんじゃからな」
人は異常を恐れるものだ。
その最たる理由は、理解が出来ないからである。
分からないものは恐怖を掻き立て不安を煽るのだ。
ならば、どうやって異常なものを上手く溶け込ませるのか。
簡単な話だ。
理解しやすい情報を与えてやればいい。
納得の出来る説明を聞かせてやればいい。
其処に存在する簡単な理由を教えてやればいい。
人は未知のものをこそ恐れるが、それが何か分かってしまえば安心する。
たとえそれが真っ赤なウソだったとしても、気付かなければ同じことだ。
「有り難いと言えば有り難い話じゃて」
それが良いのか悪いのかは別として。そんな呟きと共に口元に浮かぶ笑みは細い細い三日月のカタチをしていたが、仮面に隠され誰にも窺い知ることは出来ないのだった。