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それは榊を名乗る人物が『イバラシティが侵略されている』と告げた、ある騒がしい日の夕刻のこと。
熾盛天晴学園の三年生である神実はふりは、ゲームセンターの待ち椅子に座り、スマートフォンの画面に視線を落としていた。
何か考え事でもしているような、神妙で、難しい表情を浮かべながら。
「……やれやれ~、やっぱりか。まあ、疑うようなことでもないかもしれないけど」
端末に映されていたのはメモ帳の画面だ。そこには箇条書きで何行かの文章が綴られていた。
たとえば、突然男の声が聞こえただとか。あるいは、侵略とかいう訳分からないことを言われただとか。
つまるところ、聞き取り調査の記録だった。本当にあの言葉が、全員に聞こえていたのかどうかの。
「ま、裏は取っておいて損はないからね~……私もずいぶんと動きを決めやすくなるってものだし」
そう言うと、はふりはくるくると手の中でスマートフォンを弄んでから、それをパーカーのポケットにしまった。
あと一人二人くらいに話を聞いておいてもいいだろう。特にまだ『こういう場所』にいる人からはあまり話を聞けていない。
そして、そういう人種からはどうすれば情報を聞き出しやすいかも、はふりはきちんと知っていた。
「……えーっと、それじゃあ……誰に行こうかな」
金色をした瞳で、ゲームセンターの中を行き交う客のことをぼんやりと、しかし注意を払いつつ眺める。
果たして誰であれば、すぐに話をしてくれるだろうか。こちらの『対応』次第で、もっと詳しい事を言ってくれそうな人は。
カモと言えば言い方は悪いのだが、ターゲットの属性をきちんと見分ける事は調査を行う上で必要なことだ、と。
そして、彼女の視線は——ひとりの少年に止まった。
「ん……?」
じいっと、じいっとその少年を眺めるはふり。その視線の先に居るのは、茶髪をした同年代前後の男子だった。
先程のはふりと同じようにスマートフォンを眺める彼は、何の事はない、ごくごく普通の少年にも思える。
おそらく話には応じてくれるであろう。世間話なら簡単そうだ。しかし、極端に『騙しやすい』ようには見えない。
その彼からはふりが視線を離すことができない理由が、ひとつあった。
「……似てる。たぶんだけど、私と。能力が」
騒がしいゲームの音に掻き消されてしまうような声で、彼女はそう独りごちた。
——神実はふりには、普通の人間が見えない物が見えてしまう。
それは彼女の情報分析能力だとかそういうことを抜きにした、もっと根本的で、かつスピリチュアルな物として。
すなわち、一般的に言うところの霊感がある。それでほとんど語弊はないはずだ。
彼女の目に、その少年はどう映っていたのだろう。同族であるのか、あるいは、普段彼女が『見ているもの』なのか。
しかし、少なくとも。彼女は彼を見た上で似ていると判断し、なおかつ倒すべきものではないと理解した。
つまり自身と似ていて、なおかつどうやら敵対的ではないらしく、それも年齢が近く、世間話には応じてくれそうな、少年。
はふりは薄く微笑む。ここに至って、彼女の次のターゲットは決まったと言ってよかった。
彼女はやおら待ち椅子から立ち上がる。そして人混みの中をするすると抜けて。
スマートフォンをじっと眺めている彼の後ろに忍び寄って、ぽんぽん、とその背中を叩くのだった。
「——やっほ~。今暇かな、少年?」
■ ■ ■
「嫌な場所だね」
あの男が言っていた場所——『ハザマ』に降りたはふりは、開口一番そう言った。
金の瞳をしかめて眺める大地は、普段の彼女が見ている世界よりもずっと暗い。
突然蔵の中にでも放り込まれてしまったかのような気分になるのも無理からぬことだ。
彼女はイバラシティの住民だった。否、本質的にはそうではないが、少なくとも今は。
アンジニティの人間でなく、イバラシティのために戦おうと彼女自身が決めている以上。
その心だけが、神実はふりという人間をイバラシティの存在であると規定するのだ。
「さ、て。この場所でこれが役に立つのか……分かんないけど」
スマートデバイスを取り出し、画面上で印を切るかのようにすいすいと指を動かす。
すると——彼女の手元に、漆黒の鞘に納められた一本の日本刀が姿を現した。
代行召喚術式の再生。『組織』の技術による、魔術が使えない彼女へのサポートである。
はふりはそれをしっかりと握りしめると、再度周囲を見渡した。
ここからは戦いだ。何が起こるか分からない以上、警戒だけはしておかなければならない。
彼女の視線は、イバラシティで見せた表情とは全く違う、厳しく鋭いものだった。
そう、異能機関のエージェントの一人としてのそれだ。
「……まずは信頼できる人を探さなきゃ。
うーん、ザクロ先生とか伐都君、結城ちゃん、あと……かぎ君とかいればいいんだけどね」
ひとりごちると、はふりはハザマでの第一歩目を踏み出した。