長かったイバラシティへのフライトも終わりが近い。
現在、506ノット(時速940km)の巡航速度で高度4000フィートを飛行中。
新大陸から大海に点在するヒッカム空軍基地、アンダーセン空軍基地での給油を介して、ここまで飛んできた。
第3世代ジェット戦闘機であるMcDonnel F-4 PhantomⅡは今日では旧式に属する。
道中の空中給油か、着陸しての給油をせねば横断は不可能だ。
使用国は全世界でも6ヵ国程度、その中の数少ない一つがイバラシティの航空自衛隊である。
この小さな島では、F-4(正確にはF-4EI改と呼ばれる改装機)が数を減らしながらも二個飛行隊程と偵察飛行隊に偵察機に改装されたRF-4EIが残されている。
既に近い未来の退役は決定しており、新規のパイロットなどは募集していない。
新人教育を投げ捨てた部隊ゆえに、所属する隊員の練度は極めて高いと云われている。
だからこそ、イバラシティに行く価値があるというものだ。
既に新大陸の空軍海軍ではF-4は完全退役しており、僅かに飛行状態で保存された現役機とモスポール保存されている予備機、そして民間団体に払い下げられた中古品が例外的に運用されているのみである。
彼が操縦桿を握るF-4戦闘機もそんな民間払い下げの一機である。
同機種での空戦経験は積んでおきたいのだ。
まだマシカ区のすぐ南東の海上を飛行中。
フライトプランに基づき、成層圏から対流圏へと徐々に高度は落としていく。
風に揺られ振動する機体を制御する。
闘鶏の閉じ込められる狭い小屋を語源とするコクピットが僅かに軋んだ。
次第にビャクリ空港からの航空無線がヘルメット内に響きだす。
それに対して彼は、流暢な新大陸英語で無線を返す。
棒読みの発音ではなく、ネイティブの知識階級らしき英語だ。西部訛りは殆どない。
Byakuri approach, KARYA-1, Leaving FL230 for 180.
《 ビャクリ・アプローチ。こちらカラヤ1、フライトレベル230から180に降下中。 》
KARAYA-1, turn left heading 340 for vector to ILS runway 03L final approach course.
《 カラヤ1、 磁方位340度へ左旋回して下さい。ILS 滑走路03Lへのアプローチ進入を許可します。》
指示を復唱して返し、機体を緩やかに左旋回させる。
F-4、いわゆるPhantom(幽霊)のニックネームで知られるこの機体の操縦特性はじゃじゃ馬。
それゆえF-4乗りは、ファントムライダーなどと呼ばれていた。
現代の主力戦闘機であるF-15のパイロットがイーグルドライバーなどと呼ばれるのとは対照的に、乗りこなすのに馬を制御するような技量が必要という事らしい。
KARAYA-1, Cleared to land, runway 03L.
《 カラヤ1、先行機は滑走路を空けた。着陸は、03L滑走路だ。 》
滑走路の先行機は既に移動を終えたらしい。
操縦桿を押すと、翼が大気を切り分け、空の軌跡――飛行機雲を引きながら、機体が降下していく。
キャノピー越しにマシカ区の半島を一望できた。
先端に僅かに見えるのは、緑に包まれた神社か何かだろうか?
そのまま人口密集地であるタニモリ区の市街地上空は避け、区内の大半が山と森の自然地であるコヌマ区上空を通過する。
イバラシティは湖などのランドマークが多く、目視でも現在位置を把握し易い。
とはいえ、超低空飛行訓練に使える陸上エリアはないらしい。
基本的に海上での超低空飛行が訓練内容となり、対地攻撃となる狭い国土では訓練場の確保に難があり、国民理解もあまり得られないと国際交流訓練で逢ったパイロットに教えられた事があった。
その時は新大陸ほどの土地がないのだから仕方ないと思ったが、こうして実際に地勢を眼下で見下ろすと実感が伴ってくる。
KARAYA-1, prepare for landing check. You are cleared to land.
《 カラヤ1、着陸チェックを実施せよ。着陸を許可する。 》
了解と無線を返し、許可確認を復唱する。
リュウジン区に期待が到達した頃には機体は低空飛行に移行しており、速度もかなり落ちている。
北西の方向に見える大きな湖が、リュウジン湖だろう。
湖上の中心には怪しげな研究施設が浮かび、西岸に見える工場群が環境汚染で悪名高いリュウジン工業地帯だろうか?
リュウジン区、リュウジン湖とはどのような漢字で書くのか?
異邦人である彼は知らなかったが、恐らく『龍神』ないし『竜神』であろうと見当がついた。
汚水に汚されては、さぞ龍神様もお怒りだろうとヘルメットの中で苦笑する。
目的地までは既にかなり近い。
ビャクリ・アプローチというのは、勿論、ビャクリ(空港)管制塔の事だ。
リュウジン湖の北東に位置するビャクリ空港(ビャクリ飛行場)は、いわゆる地方空港である。
先の大戦前にビャクリガハラ海軍飛行場として建設され、戦後は開拓地となった後に、航空自衛隊ビャクリ基地(航空自衛隊ビャクリ飛行場)として再設置された。
それが世紀も変わる頃、官民共用化の波で民間のビャクリ空港が併設で開港されたのだ。
群島で連合的な防衛組織を形成している航空自衛隊が、首都圏で戦闘機運用が可能な唯一の主要航空基地であり、『首都防空の要』とも云われている。
それもあと数年の話だが、基地に所在する第7航空団麾下の飛行隊では、退役が進みつつある旧式戦闘機F-4EI改を見ることができた。
そんな老いた幽霊は、ツクナミに分散配備されたグリペン部隊と並び、イバラシティの空を守る対領空侵犯措置を実施している。
首都防空の要などと称されるのは、そういう事情があるからだ。
基地航空祭はイバラシティの市民に人気があり、島外からも家族連れやミリタリーオタクなどが押し寄せる事で有名である。
愛機を基地の南南西からアプローチする。
滑走路が0度の方を向いている訳ではないからだ。
3 miles to touch down. 2 miles to touch down. 1 mile to touch down.
《 着陸まで3マイル。着陸まで2マイル。着陸まで1マイル。》
1マイルは1609.344m。既に機体は着陸コースに乗っている。
既に主脚は展開しているので、空気抵抗は増し、機速も急激に減速していく。
多少の横風はあったが、この程度で機体が流されるほどの操縦技術ではなかった。
ほぼ同時に滑走路にランディングギア(着陸脚)が接触する三点着地で、03L滑走路着陸する。
その光景を見ていた空港のギャラリーから喝采が上がった。
ドラッグシュートを展開し、急減速。
しばらくして滑走路の半ばで完全に機体は静止した。
KARAYA-1, Turn right A-6, Contact byakuri ground 121.7.
《 カラヤ1、A-6へ右旋回、グランド121.7にコンタクトして下さい。 》
移動の指示がタワーから飛ぶ。
A-6, Contact byakuri ground 121.7, KARAYA1.
《 カラヤ1、A-6、グランド121.7にコンタクトします。 》
指示場所に機体を移動させる。