城下町の外れ、宿の一室。
忍はいつもの様に、攻城前の得物の手入れと確認を行っていた。
窓越しに差す陽が小さなテーブルの上、光を吸い込む様な黒鋼を鈍く照らす。

今日向かう先は、“守護神”と呼ばれる男が守る庭園。
実の所、今更通らずとも良い場所ではあった。
しかし――


『　広庭　に　いきませんか？　』


部屋の前で自分の帰りを待ち、そう記した少年の顔を思い出す。
龍貴があの地下牢で声を失くしてから、どの位経っただろうか。
当初程の動揺は表立って見せなくなったものの、その裏側でどれだけ思い悩んでいた事だろう。
以前は時折見せていた笑顔も、その無邪気さを潜めて既に久しい。

…それでも。
こちらを見上げたあの表情に、忍は確かに彼の決意を見て取った。
ならば、異を唱える理由はどこにもあるまい。
小ノ木の家を出る前、彼の祖母と亡き祖父に誓った務めを果たすまで。


「………」


この所巷で拾い集めた話はどれも、この王国での騒乱も終りの日が近い事を指し示している。
それはつまり、…別れの日も近い、という事だ。
決着がどうつくのかは分からない。それに、ついたところで元の世界に戻れるのかどうかも。
――が、忍にはどこか確信めいた予感が、暫く前から既にあった。
それがきっと、この世界との別れの日なのだろうと。

ふと手入れの手を止め、服の上からそっと右胸の下を押さえる。
この世界に於いて“蝶”を預けた一人――彼は、もう大丈夫だ。
どれだけ離れようと、どれだけ待とうとも、己が揺らぐ事が無ければそれだけで良いのだと言い切れる。
身に刻んだ藍紫の蔦竜胆、これはその証。

そうして、もう一人。

あの少年には、別れの前に果たして何かを残してやれるのだろうか。
けれど結局その身を支えるのは、彼の足。先へと歩む力は、彼の心にしか生み出せないもの。
所詮己の出来得る事と言えば、その足元を僅かながらも照らす事のみだ。


「……されど、――」


ぽつと独りごちると、手入れの済んだ得物を懐にしまい、身に着ける。
程無く身支度を終えた忍は、少年が一歩を踏み出す為の場所…あの庭へと向かうべく、部屋を後にした。





（――されど“標の蝶”は、道を分かつ最後の時まで照らし続けると誓おう。
忍としてではなく、…己自身の名にかけて）

ﾌﾞｰｰｰｰﾝﾌﾞﾌﾞﾌﾞﾌﾞﾌﾞﾌﾞｰｰｰｰｰｰｰﾝﾌﾞｵｰｰｰｰｰｰﾝﾌﾞｰｰｰｰｰﾝ

飛んでった…
ブランチマンから逃げるように　飛んでった…　遠っ…

セ　ン　タ　ー　奪　っ　て　こ　い　（　使　命　感　）

…龍貴は、オーバーオール一丁の庭師と再び向かい合った。