よく晴れた日だった。
　初めてここに来た時と同じような、そんな空。
　私たちは歩く。
　帰るために。

「ええと、……ここ、かな」
「そうね。ここからは、反対方向だし」

　街道の分岐点。北と南に続く道。私とミハウはそこで足を止めた。
　彼との旅路は、ここまでだ。

「忘れ物とか、ありませんか」
「私は大丈夫。ミハウは？」
「私も、……大丈夫だよ」

　道中どころか、昨日から何回も訊かれたことだ。
　返す言葉は同じ。確認はもう済んでいるから、問題も、間違いも無い。

「帰り道も十分気をつけて、まだ魔物の活動は収まっていませんから」
「うん、分かってる。ミハウもね、エクラタンまで遠いんだから気を付けて」

　とはいえ実際のところ、彼に関してあまり心配はしていない。
　ミハウの腕前は知っている。一揆が始まってからずっと、自分を守っていてくれたのだから。
　今更、その辺の魔物には負けないだろう。イェジだって居るのだし。
　彼がやんわりと笑む。いつもの、柔らかい笑み。

「ええ、もちろん。後れを取るような事はしない、ですよ」
「……あのね、ミハウ」

　じ、と私は彼を見た。いつもと変わらず、真っ直ぐに。
　ミハウはもう、たじろぐことは殆どしなくなった。真っ直ぐ、見返してくれる。

「私、故郷に帰ったら、あなたに手紙を書くわ。ウルヘアに届けてもらうから、そんなに時間はかからないんじゃないかしら」

　前から、決めていたことだ。言葉はすらりと紡がれた。
　友達にも言ったことで、彼女は賛成してくれた。
　だから、そんなに変な提案でも無いのだと思う。

「……返事、出してくれる？」
「手紙、」

　ミハウは驚いたように目を丸くして、鸚鵡返しに呟いた。
　その反応に少しどきりとしながら、返事を待つ。

「うん、……届いたら、出来るだけすぐに返すから」
「無理はしないでね。暇がある時に、返してくれればそれで良いし。……ありがとう」

　彼も自分も、一揆に参加していた時とはまた別に忙しくなるだろう。それは分かっているから、そう言う。
　けれど、すぐに返すからと言ってくれたことは嬉しかった。
　小さく笑う。上手く笑えているだろうか。

「無理はしません、書きたいから書くんですから」

　大丈夫ですよ、と彼は笑った。

「……あの、コトカ」
「何？」
「あ、ええと……その、今まで、……」

　ミハウは、言葉に迷っているみたいだった。
　私にだって、言いたいことはあった。
　あったけれど、言い切らないし纏まらないと見切りをつけて、言うことを止めていた。
　躊躇いの後、そっと手が差し出される。

「……今まで、一緒に進んでくれて、ありがとう」
「……私こそ、ありがとう。ミハウが居なかったら、きっとここまで来られなかったから」

　だから悩んでくれる彼は、有難かった。
　握手に応える。
　なら、自分も彼に応えなくてはならない。
　一拍、置く。
　思っていることを話せば良い。
　それだけだ。

「私は、一揆なんて起こらない方が良かったと思うし、私とあなたが会ったのだって、無かった方が良かったことだと思ってる」

　この言葉は本当だ。一揆なんて、起こらない方が良かったと思ってる。
　平和で穏やかな日々が、ずっと続いていた方が良かったに決まっている。
　彼と出会ったことは、事故みたいなものだ。お互いの故郷は随分遠くて、普通に生きてたら一生会うことは無かっただろう。

「でも、……それでもね、」

　色々なことがあった。お互いの故郷は滅茶苦茶になってしまった。
　彼との旅路も、そう簡単なものじゃなかった。酷いこともたくさん言ったし、泣いてしまったことだってある。
　ミハウは良い人なのだから、私よりも一緒に進攻しやすい人は、たくさん居たのだと思う。
　それでも、

「――私、ミハウと会えて良かった」

　私は彼に、こう言える。
　会えて良かった。
　彼と、会えて良かった。

「……ああ、もう」

　彼は顔をそらして、俯いた。
　零れる声は、少し揺れていた。
　息を吐いてから、また、視線が合う。

「僕も、君に会えてよかった。君が傍に居てくれて、本当に」

　よかった。呟くように、言葉が落ちる。

「……うん」

　その言葉を、噛み締めるように聞く。
　彼と離れた後も、その言葉を、声を、決して忘れないように。
　握る手に、力が籠った。
　けれど、それは一瞬のこと。

「……帰りましょうか、コトカ」
「そうね、帰らなきゃ」

　手が離される。
　離れていく。
　この手は、もう離さなくてはいけないものだ。お互いに分かっていた。
　だからもう、交わす言葉はいつもと変わらない。
　笑う。
　せめて、笑ってみせる。

「……またね、ミハウ」
「ええ。……どうか、お元気で」

　歩き出して、振り返った彼はまだその場に居て、笑っていた。
　笑って、手を振っていた。
　手を振り返す。

「また、会いましょう」



　さよなら、はお互いに口にしなかった。
　名残惜しいのは、私もそうだ。
　でも、彼は私に言ってくれた。

『……必ず、会いに行きます』

　だから私は、もう振り返らずに歩いて行ける。
　自分の、故郷へと。あの森へと。
　歩みを続けた。

だいぶ、色が良い緑になってきた。
俺は皿を取り、コトカちゃんの分、自分の分、ベルの分をよそう。


カレーからはおいしそうな香りが漂っている。
色は緑でアレだが、味は悪くないはずだ。

―・・・

叩かれて大げさに痛がる。
実際はそんなに痛くないが。

そして自信を持って挙げた花の名。
正解は違っていたけれど、外れて残念という気持ちより、
小さな花が生み出した色の鮮やかさかわいらしさに驚いて目を丸くした。

ホウセンカで、との申し出に、大きく頷く。
そうして、続けた己の申し出に、彼女が戸惑いを見せたなら。

エユプ、と名を呼び、己のエンブリオを呼び出して。
紙片になにやら書き付け、託す。
シルフが消えるのを見送ってから、これで大丈夫、とまた彼女に向き直り。

いいながら、てきぱきと野菜を刻んでいく。

顔向けできないのか、ごめんなさい、と彼女に背を向けたまま。
繰り返すその背中は、小さく震えていた。

荷物と槍を持ち直すと、一度片手を上げた後にその場から歩き出そうとする。

深呼吸をひとつして、一歩、前へ進み出る。
武器を確かめるように握り直して、構え。