ぽろぽろと、ぽろぽろと、嬉しいのに止まらない涙は、"嬉しい"というその気持ちが身体の中に納まりきらなくて、あふれてしまっているのだろうか。
彼の大きな手に頭を撫でてもらいながら、浮かべるのは泣き笑いの顔。
がんばろう、と言い合って頷いて。
それを実行するように、片づけを終えると歩き出す。

バクラヴァの香りと安堵にも似て浮き立つ気持ちをお供に歩いた先にいたのは、黒い騎士と赤と白の夫婦だった。
共に黒い騎士を退けて、そして。

「あっ、あら大変、血が…！
少しお待ちになって〜、ヴェダ……あ〜っ、お待ちになってってば〜！」

こちらに一瞥もくれずに立ち去っていく彼らの背に呼ばわるが、戻ってくることはない。
追いかけたけれども間に合わず、しょんぼりと尾羽を下げて、彼らの背中を見送って。
そして、傍らの彼を見上げる。

「……ねえ、エンバーさん〜　王様、もう退かれたってうわさ、あったわよね〜
だったら……一揆は、終わった、って言ってもいいのかしら…」

がらんとした廊下を見回す。

「王様に会いに行くよりも……他に、出来ることがあるのじゃないかしら……」

思案しながらの声音は、どこかやわやわと頼りない。
自分でも、最善だという確信は持てていないのだろう。
ギルとシズク、と呼び合っていた夫婦の去っていった方に目を向ける。
再び、しばしの思案。

「…さっきの方たちみたいな、一揆で傷ついた人や、傷ついたものや…
そういう、変わってしまったものを治す、そちらの方が、
これからは必要となってくるのじゃないかしら……」

相変わらず、自信なさげな口ぶりのまま。
つい、と彼の袖を引いて、上目遣いに見上げる。

「だったら、あの、あのね〜？　わたし……」

いちど、村に戻ってみたいの。
遠慮がちに呟いた。
決別のためか、出立の踏ん切りか、去っていった同族の後始末か。
そして、実際にそこに立ったとして、平静でいられるのか。
どうなるか自分でもわからないけれど、世界を渡る前に、一度、見ておきたかった。
衝動ともいえる強さは、そのまま彼の袖を引く手にも滲む。
けれどそれが正しい選択なのか、まったく自信がないのも事実で。
いい？　と尋ねる声は幼子のようにたどたどしかった。

歌うように呟いて、羽根ペンを持った右手を伸べる。
羽根ペンに宿った光のひとつが飛び出して、くるくると回り始めた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
回るたび、辺りの温度が下がっていく。
吐く息が白くなる。ちらちらと、白いものが落ちてくる。
星まで凍らせるような冷たい風が、サッと下から上へと吹き上げた。
目を開けると、いつから立っていたのだろう。
そこには、白い肌、赤い反物を携えた女がいた。