「……！」

魔王が放つ黒い光球が命中した瞬間、"神"は初めて笑顔を崩して驚愕に顔を歪める。

「これは、中々…」

障壁に込めた力は魔王フィーグルに与えたものの3倍だったが、それでは到底足りなかった。
5倍…いや、6倍、7倍でようやく互角といったところだろう。
障壁に力を込めていない状態だったら、あるいは突破されていたかもしれない。

「ですが、ここまでです」

"神"は魔王フィーグルに与えたものの10倍もの力を障壁に流し込む。
障壁を恐ろしい勢いで削っていた光球はそれで完全に停止した。
神は安堵し、再び笑みを浮かべながら魔王を見遣る。

「いやいや、驚きましたよ。…ですが、残念。私には届きませんでしたね」

「…………」

「この威力の光球ともなれば、さしものあなたでも数十秒持たせるのが限界でしょう？
　一点・一瞬に魔力を込める。その判断は素晴らしいですが――」

「アンタ、何か勘違いしてるみたいね」

呟く様にフィーグルが告げる。

「……どういう事ですか？」

「数十秒どころか、一秒だって持たせられないわよ、こんな代物」

「…は？」

何を言っているのか、理解が遅れる。
一秒しかもたないと言っていた光球は、まったく衰える事無く1分近く――

「……！？」

そこでようやく"神"は疑問を覚えた。
何故、威力が衰えないのか？　障壁は迫る光球の動きを、より強大な力で止めている。
障壁には今なお命中し続けているのだから、間違いなく光球の威力は僅かでも削がれているはずだ。
いくらなんでも、まったく衰えないというのはおかしい。

「何をした…！？」

先程よりも混乱した様子の"神"に対して、フィーグルは冷たい目を向ける。

「忘れたの？　アンタがくれたんじゃない」

「私が……？」



「魔王代価、終焉否定。自分以外の誰かの死を否定し続け、死の事実を無かった事にする能力」



「…まさ、か…」

「そうよ。その能力を、この魔法にかけた。だから1秒経たずに「死ぬ」この魔法は、死を否定され続ける。決して死ぬ事が無い。
　…アンタの障壁が永久機関なら、こっちの魔法も永久機関って事ね」

「馬鹿な……！？　生物でないものの死を否定する力など、持たないはずだ！！
　私は、そこまでの力を与えた覚えなどないぞ！！」

「だから、貰ったのよ。歴代の魔王達からね」

「何……！？」

「このシステムも、アンタが作ったんでしょう？」

指を一つ立て、魔王は告げる。
今まで無表情だったフィーグルの口が、にやりと歪んだ。

「"魔王を殺した者は、その力を得る"」

「……貴様。終焉否定で蘇らせていたのは、勇者ではなく…！」

「魔王よ。歴代の。蘇らせては殺して、蘇らせては殺して……何回やったかしらね。
　6桁から先は覚えてないわ」

フィーグルが一歩進む。"神"が一歩後退する。

「…人類のみならず……魔王まで、殺したというのか、お前は……！！
　この、悪魔め……おまえは、狂っている！！」

「アンタよりマシよ」

言いながら、魔王が一歩、進む。"神"は一歩後退する。
魔王が一歩進む。"神"が一歩後退する。
魔王が一歩進む。"神"が一歩後退する。…もう下がれない。
ゆっくりと魔王が"神"へ迫って行く。手を伸ばす。攻撃はできない。そんな事に余力を回す余裕などない。

「……や、止めろ…！！」

「お断りするわ」

障壁へと手を伸ばしたフィーグルは、障壁に流れる力と同質のものを逆の方向へ流し込む。
"神"は全ての力を障壁に注ぎ込むが、毒のようにじわじわと流れ込む魔王のそれは"神"のものよりも遥かに多い。
徐々に弱まる障壁を前に"神"は自分が逃れようのない死に直面している事に初めて気が付いた。
黒い光球は、薄皮一枚手前で命を刈り取らんと咆哮を上げている。

「……ッ！！　……た、助けてくれ。助けて！　我が神！　我が友！　我が混沌！！　強壮なるものよ！！」

自分が縋りつく事のできる唯一の相手へと、喚くように嘆願する。
答えは、すぐに彼の脳裏に響いた。

『助けて？　おかしいですね。過干渉は嫌なんでしょう？　僕も、それには同意してきたつもりでしたけど。この局面で僕に過干渉をしろと？』

「たのむ、頼む…！！　助けてくれ…！　死ぬわけには、死ぬわけにはいかないんだ、私は…！！」

『でも、これってあなたの望んでいた「イレギュラー」ですよね？
　あなたを滅ぼした魔王は過去にいなかったわけですし、あなたも想定していなかったわけですから……良かったじゃないですか。なんでそんな顔してるんです。
　喜びましょうよ。笑いましょうよ。ほら、笑顔はどうしたんです？』

嘲笑うような言葉にいらだちを覚えながらも"神"は叫ぶ。

「ふ、ふざけないでくれ！！　このままでは私は…！！　私は真理を得たいんだ！！　こんなところで終わるわけにはいかない！！　いかないんだ！！」

『何を冗談を。あなたが望んでいたのは、そんなものじゃないでしょう？』

冷たく、しかし笑うような響きを含ませて。

『あなたは"神"になること自体が目的だった。そうでしょう？
　でなければ、魔王をここにわざわざ呼び寄せた事、攻撃を許した事、攻撃をわざわざ受け止めた事。どれもする必要がない』

「ちが、違う…違う、私は…。私は…！」

『まあ、あなたが何を思おうかなんてどうでもいいです。
　……ああ、でも最後に』

「最後……も、もう最後でも構わない！　これが最後の助力と思って、頼む…！！」

『あなたに渡した力、返して貰いますよ。…障壁に流したのは、あなたに差し上げます』

言葉と同時に、男の中に残っていた力が全て失われる。
正真正銘、男は何もできなくなった。
破滅の光は目前に迫っているのに、何一つできない。障壁を消して楽になる事すら許されない。
自分の意思を一切介せぬままに、迫る破滅をただ眺める事しかできない。

男は、無力だった。
未だかつて、彼が彼の世界のすべてに対してそう振る舞っていたように。

『さようなら。そこそこ、暇潰しにはなりましたよ』

言葉を最後に、障壁が砕け散る。
黒い光が迫った時、男は何かを叫ぼうとしたが、それが声になる前に男の全ては消え去った。
肉体も、精神も、魂も、時間も、存在も、歴史も。
全てが破滅の光によって滅び去った。


後に残る魔王フィーグルは、かつて神だった男がいた場所を眺める。
その顔はやはり、疲れ切ったものだった。
無言で数秒ほど眺めて、ぽつり、と呟く様に言う。

「……終わったわよ。みんな」

言葉は、酷く虚しく心へ響き渡る。
フィーグルはゆっくりと膝から崩れ落ちた。

「もう、勇者も、魔王も…終わったから……」

フィーグルの目尻に涙が浮かぶ。

「……ごめんね……」

誰もいない半透明の天蓋で独り、少女は慟哭した。

物騒極まりないものの護身＝攻撃というからには、その手が得意そうな彼女に教えてもらうのがいい。
罠などは自分の力だけで体得できるが、自分から動くことは苦手だからだ。
こう、と言いつつゆる〜っとこぶしを突き出す仕草。正確な攻撃を打ちたいらしかった。
フィーグル……否、フィーグル先生、ご教授お願いしますとばかりにお願いのため軽く頭を下げた。

　気にしたところで専門外なのだが、何となく気になる様子である。

　魔力が文字通り無尽蔵であるなら、誰も反乱など起こす気もしないだろう。

　動かず座して待ち続けるのは非生産的で何より退屈だ。これから試行錯誤を繰り返せば、その世界の力だけでもより良い社会を築けるだろう。

　それをどう治めるかもまた、王の手腕の見せどころだろう。