大廊下に続く階段を降りながら、並んで歩く黒猫の少年に言葉をかける。
2ヶ月に渡って繰り広げられたこの騒乱も、ようやく終局を迎えた。

ネクターの独占を止めて貰おうと、王に訴え出る為の一揆のはずが、こんな大騒動になるとは…


天蓋庭園の空を埋め尽くすほどに乱れ咲いたネクター。
依代にされた前王と、新王を騙った黒い霧。そして、創世の魔神。


思い返すだけで、くらくらする。


王と相対するなど、2ヶ月前の私なら考えもしなかっただろう。
ましてや創世の魔神など、歯向かったところで 到底敵うとは思えなかった。

けれど、私は、私達メルンテーゼの民は、魔神にその力を示した。

私達の力を認めた彼女は、世界を壊すことを取りやめ、
乱れた世を元に戻す為に、しばらくこの世界を管轄すると言う。



――― エンブリオは、その力を認めた者に対して "契約" を受け入れる。―――



エンブリオと同じ。力を示し、力を借りる。
これも、ひとつの契約なのだろうか…？



ともあれ、メルンテーゼは救われた。

私達は結局、魔神の気紛れに翻弄されただけなのかもしれないけれど…
それでもひとまず、世界に平穏が戻る。皆、元の暮らしに戻ることができる。


しかし…

傍らの、黒猫の少年を見つめる。視線に気付いた金色の瞳に、見つめ返される。
不安を悟られまいと、微笑んで応じる。


メルンテーゼは救われた。

けれども、私達の強制契約の問題は、未だ解決していない。
彼が私を想うほどに、私の命は彼に奪われてゆく。

魔神は、''自分に勝てたらメルンテーゼを住み良い世界にしてやる''と言った。
それだけでなく、強制契約に悩む者も どうにかしてやると話していたらしい。

とはいえ、勝負がついた後の彼女は、一方的に喋るばかり。
ろくに話も聞けないうちに、空へと姿を消してしまった。

まぁ、魔神に勝った直後は、気が抜けてしまって、話しかけるどころではなかった…というのもあったのだが。


強制契約をどうにかすると言った魔神の言葉を信じて、ただ待てばよいのだろうか？　
…けれどもし、そのことを忘れ去られていたら？

ぶるっと、身震いする。


どうすればいいのだろうか…？　

もし…　もし、強制契約が解除されなかったとしたら。
私に…　私達に残された時間は、あとどのくらいあるのだろう？

これから、どうすれば…

ふと、指先に感じる温もり。
黒猫の少年が、はにかみながら 私の手に触れている。

優しく、その掌を握る。
手を繋ぎ、長い階段を、下りる。


彼を、苦しめたくはない。
彼に、罪を背負わせたくは、ない。



私達の一揆は、まだ、終わりじゃない。終わっては、いない。





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階段を降り、1階にたどり着く。このまま廊下を進めば、広庭に出られるだろう。
すると、不意に黒猫の少年が立ち止まり、階段のそばにある調理場へと視線を向けた。

そうじゃない。と、黒猫の少年は首を振り、ボードに文字を綴る。此処に居るかもしれない…と。


ロク君が気にしていたのは、スチュアート少年のこと。

荒野へと進む前に一度、スチュアート少年は私達の元から去ったことがあった。
ロク君は彼を追いかけ…　この調理場で、彼を見つけたのだそうだ。

彼は今もまた、私達と共には居ない。


魔神を退けた後、気が付くと彼の姿は見当たらなくなっていた。
しばらく辺りを捜してはみたものの 気配は無く、一人で先に帰ってしまったのだろうかと、その場を後にしたのだ。

ロク君は心配そうにしていたが、もう城を離れたのかもしれないと諭し、一旦、王城を出ることにした。
いつまた体調を崩すか判らないまま、居るかどうかも判らない彼を捜して荒野を彷徨うのも躊躇われたから…


広々とした調理場を、二手に分かれて捜す。

彼は、私達を…　ロク君の身を、ことさらに案じていた。

会うたび、一揆に参加することの危険を説き、城から離れるよう、安全な場所で待っているようにと釘を刺す。
それは、ロク君と行動を共にする私に対しても向けられ、その無思慮を憤り混じりに咎められたこともあった。


そんな彼が、それほどまでにロク君の身を案じていた彼が、
魔神の脅威が去ったからといって、黙って姿を消すものだろうか…？　



彼の行動を思案していると、ロク君が戻ってきた。

黒猫の少年は、俯きがちに首を振る。

ロク君は一人で戻ってきたのだから、見つからなかったのは判っていた。
けれども、思わずそう声をかけてしまう。ロク君の、寂しそうな姿を見るに耐えなかったから。


二人押し黙ったまま、重苦しい空気が流れる。


『セリィおねえさん…　スチュおにいさんは…』


悩み躊躇っているような、何か思いあぐねているような素振りをしていたロク君が、
意を決したように筆を取った。

次々とボードに記されてゆくその内容は、息を呑むほどのものだった。


スチュアート君は、元々は人間だったというのだ。
彼の世界の王から罰を科せられ、今の姿…鼠に変えられてしまったのだという。

人間の姿…　本来、あるべきはずの姿を奪われるという、罰。


そして、姿を変えられると、いずれ心までも失ってしまうらしいこと。

彼の、頑ななまでに『正しくあらねば』という振る舞いは、
人間らしさを失わない為…　人としての心を失いたくなかったがゆえの態度だった。

スチュアート君に以前、尋ねたことがあった。
他の世界から来た貴方が、この世界の住人ではない貴方が、何故 危険を冒してまで一揆に参加しているのかと。



――― ただ夢に見るだけじゃない、いつか革命は成せると
　　　　僕らの世界を治める王も討たれる時が来ると、そう信じられる拠り所が欲しい。

　　　　　だから、せめてこの世界の革命が成し遂げられるところを見届けなくてはならない。―――

彼には、一揆に…　いや、革命に、その身を投じる理由が、確かにあったのだ。


彼は、革命を起こすという夢を持っていた。彼は『僕たちの夢』と話していた。
けれど彼は、独りでここに来たのだという。それは、つまり……

天蓋庭園の片隅で交わした、彼との会話。
大切な友人を失いたくない…　奪われたくない…　

彼の口から溢れ聞こえた想いが、今一度 蘇る。

目の前に居る、黒猫の少年。大切な人。私にとっても、彼にとっても。

私にとって、大切な想い人であり、彼にとっても、大切な……。


では、彼は？　今、此処に居ない、彼は…？


ロク君にとっては、大切な友達。
姿が見えなくなった彼の身と、その心を案じ…　胸を痛めるほどの大切な、友達。


ならば、私にとって、彼は…？

常に正しくあろうと、善き人であろうとする態度。
彼の言葉にはいつも無謀や身勝手を諫める正しさを含んでいた。たとえ、想いは異なれども…

そして…　王に、魔神に、共に立ち向かった仲間。



それは、やはり…

床に屈み、意識を集中させる。

荒野に舞う砂塵の影響で効きが悪くなっていたが、
清浄な空気の城内を歩くうち、だいぶ元通り利く様になってきた。

この辺りを通っていたのなら。
空気の流れが少なく、絨毯の敷かれた城内ならば、残っているはず…

僅かに、感じることが出来た。その足取りは、大廊下を出て庭園の方へと続く。

酷使で乾き、ひりつく鼻先をさすりながら、黒猫の少年に告げる。
…今の体調では、何度もできそうにない。

いまならまだ、追いつける。彼に。

ぼうっとしていてきづかなかったのか、おろおろととまどいながらぶきをかまえました。