今日も天蓋庭園は、紅い光で埋め尽くされていた。

時折花びらの舞い落ちる回廊をたった一人で進んでいく。
人の気配が無いことを確認して、私はひとつのカードを取り出した。

強い風が、私の横を通り抜ける。
ネクターの花弁がはらはらと舞い散る中、私の意識は少し過去へ遡っていった。


◇◇◇


時は数日前、国王パラダイスの討伐戦前夜となる。

私はずっと、原因不明の体調不良に悩まされていた。
小僧は風土病などと言っていたが、私ひとりにかかる風土病などあるわけがない。
ここには分割世界から来た者が数多くいるのだ、要員はストレスではないかと私は考えていた。

ここでストレスというと、おそらくホームシックの類だろう。
自分では意識していないが、契約を切らないと帰れない以上どうしようもない。
このままグズグズ腐るわけにもいかないので、ある方法を考案した。

私の案には、『彼女』が必要不可欠である。
ただ小僧に詳しい事情を話すわけにもいかなかったので、召喚までには少し策を要した。
明日の戦いの準備が終わる少し前、休憩がてらに話を切りだす。

「最近また体調不良が続いてな。
　『干渉者』として体に異変が起きているかもしれないから、
　『無貌の蒼頭』を召喚しておいてくれないか。体を検査してもらう。」
「はっ？そんなに大変なんですか？僕もどうなっているか心配なんですけど。」

本当に問診ならば小僧同伴でも構わなかったが、今回においては都合が悪い。

「お前さ、体を検査するためには服を脱いだりするわけだが。目視は大事だからな。」
「……相手は人間の医者じゃないのに脱ぐ必要あるんですか……？」
「いくら契約の仲介するエンブリオだって、全てを把握している訳でもなかろうに。
　とにかくそういう訳だから、しばらくここから出て休憩でもしてろ。」

状況が状況なだけに口も挟めず、渋い顔をしながら小僧は『意思ある人形』を召喚する。
彼がこの場を立ち去るまで、私も彼女も沈黙を守っていた。

「最初に言っておきますけど、人間の疾患は治療できませんよ？
　私は治療の専門家ではありませんから。」

少年の姿が見えなくなってから、ぽつりと『意思ある人形』は呟いた。

「そんな所だろうとは思っていた。
　ただこちらとしても知りたいんだ、どうして私の身体が上手く動かないのか。」
「そうですね……結論を先に言ってしまうと、この戦いが長引いているからです。」

私は首を傾げた。戦いが長引くせいとはどういうことだ。

「『干渉者契約』にも有効期間というものがありましてね。
　イメージとしては、あの少年と私の契約回路が古くなっている状態を思い描いてください。
　回路が効率よく生命力を運べないので、干渉者である貴女の体調に影響が出るのです。」
「その説明だと、改善する方法はないように受け取れるが。」
「ありませんね、あくまで原因は契約の老朽化ですから。私から言わせれば今の状態が奇跡です。」

そんな大事なことは、契約前からきちんと説明したらどうだ。
この言葉が喉元まで出かかったが、
『無貌の蒼頭』からしたら、きちんと伝承しなかった人間が悪いと言うのだろう。

「生命力を補えばいいのなら、ネクターを摂取すれば問題なさそうだが……。」
「人間にあれは食べられません、あれを無理に飲みこむことで修行と称する宗教ならいくつか知っていますが。」
「……その話はやめよう、誰も救われない多分……。」

やはりネクターは人間には食べられないとなると、他の方法しかないか。
私は自分の思考を整理しつつ、ある可能性について聞いてみる。

「少し話は逸れるが、エンブリオというものは病気になったり亡くなったりするんだろうか？」
「個体によるとしか。
　ネクターの核を持つエンブリオは、核を破壊されない限り滅びることはありませんが。」
「不老不死をいうものを体現できる個体が存在するわけか。」
「例えば私達『無貌の蒼頭』は、ネクターの核を持つことで
　この世界の生命力が尽きない限り生き続けることができます。
　ドールのように同胞から攻撃されれば、ネクターの核はあっけなく壊れますけどね。」

最初の『意思ある人形』であるドールが消滅したのは、私が育てた『随意なる奉仕者』の攻撃を受けたからである。
目の前に居る『意思ある人形』はそれをどう感じているのか、今は知ろうとも思わない。

「なるほどな……ではそろそろ、本題に入ろうか。」

まとまった考えを胸に、私は大きく息を吸い込んだ。

「『意思ある人形』よ、私をエンブリオに変えることは可能かね？」

突風がネクターの花を揺らし、花びらの擦れる大きな音が響いた。
ネクターの乱れる光が私達を照り返す中、『意思ある人形』は、しばし言葉を失っていた。


◇◇◇


新王の周りを埋めていたネクターが、その花を閉じてゆく。

コートの男と少しだけ話したのち新王は、朽ち果てた樹のように倒れ込んだ。
奥に消えた黒い霧を見るに、私達の目にした新王は最初から傀儡だったのだろう。

「……何なんですか、これ。」

新王を仕留めた大剣を振り下ろす状態のまま、小僧は顔を上げようとはしなかった。

「僕達から全てを奪ったのは貴方じゃないですか！
　すでに操られているってどういう事なんです……国王なら民からの責め苦を受けて当然でしょう！？」

掠れた声で小僧は続ける。柄を持つ手が小刻みに震えていた。

「なのにここにはネクターしか残っていない！
　貴方に奪われた僕等の尊厳は、誰から返してもらえばいいんですか！？」

自分の戦う目的が、勝手に自滅していたのだから救いようのない話だ。
これから先に居るであろう黒幕を倒しても、実際に国民を苦しめたのは確かに目の前の傀儡である。
メルンテーゼの民にとっては、心の整理はなかなかできまい。

ただ今は、小僧の気持ちを大事にしてやれる程の時間は存在しないのだ。

「不満が残るなら、今のうちに顔でも蹴っておけ。
　ネクターを回収したら、また次の部隊にこの場を引き渡すことになる。」
「そんな下種なことしませんし！」
「いい傾向だ。ホットミルクを用意してやるから、今日はもう休みなさい。」

戦いに巻き込まれたネクターの残骸を踏み歩きつつ、小僧はテントへ帰ってゆく。
あの大剣を使い始めてから、体の消耗はかなりのものだ。
こんな異常な状態でも眠れるならば、少しでも休息しておいた方がいい。

自分にも用意したホットミルクをすすりつつ、蕾になってしまった新王周辺のネクターを眺める。
反面私の近くにあるネクターの光が、丁度蝋燭のようにも感じられた。

「もしやとは思いましたが、新王はいくつものネクターの核を抱えていたのですね。」

小僧の姿がないタイミングを計らったのか、少し間をあけて『意思ある人形』は呟いた。
躯の傍にあるネクターの蕾から、細い指で丁寧に核を取り出す。

「貴女の望むものはまさに、この手の内にある。
　考え直すなら今のうちですよ、人でありたいと願うならば。」
「あれだけ同胞の繁栄を望みながら、いざ新規が入ろうとすると執拗に拒むのだな。」

私の乾いた声に共鳴するかのように、近くのネクターは淡い光を繰り返していた。

「進化の過程において、不自然なものは嫌いなのですよ。汚らしいあの霧も、この盆暗も。」
「この世の王たる存在に対して、盆暗とは恐れ入る。」
「民草に負けてしまう王など、なんの価値があるのです。
　でも現実は受け入れないといけないのですね……どんなに個が強くても、数には勝てない。」

他の部分を取りきって、彼女の手の中でネクターの核だけがあらわになる。
ひときわ鋭い輝きは、まるで宝珠を思わせた。

「だから少数の立場として、貴女には警告しておきます。
　今更エンブリオになったとて、特別の優位なんて得ることはできませんよ。
　むしろ公になれば、今ある自分の居場所を失いかねない。」

『無貌の蒼頭』は大体表情が乏しいものだが、声はかすかに震えていた。
彼女達にどれだけ心というものがあるのか分からないが、これは正直な気持ちなのではないだろうか。

「そんな事言っても、必要なんだから仕方ないよな。」

私はそう言って、口にたまった息を吐く。

「……人の話を聞いていましたか？」
「もちろん。ただ、そんな事はとっくに考慮済みでね。
　さんざん考察した結果、いたずらに長期化するよりエンブリオになってでもカタをつけた方がいいと判断したんだ。」

自分の傍にあった、まだ光を放つネクターをひとつ手折る。
淡く光るそれを手に、新王に近づいていった。

「心配しなさんな、ちゃんと自分で責任を取るから。大人だからね。」
　
顔をあげた『意思ある人形』は、薄い表情の中にも驚きが感じられた。

「もしかしてそれは、『干渉者』として生命力の消費を食い止めるのが目的ですか。
　ネクターを食むことができれば、『召喚者』の寿命を蝕む必要はありませんもの。」
「それもあるかな、強くなければ生き残れないからね。」

そう言って、私は新王の身体の上に一輪のネクターを添える。
残されたネクターの淡い光が、佇む私達を静かに照らしていた。


◇◇◇


生命の花に囲まれた無人の空間に、澄んだ少女の声が響く。
祈りを捧げる少女と私を中心として、吹雪のごとく紅い花びらが円を描いて舞った。

「本当に後悔はありませんね？」
「そちらも大概しつこいな。悔いるとしたらそっちだろう？
　人間を自分の眷属にしたとて、旨みが全くないのは驚いたが。
　これでは餌になるだけ人間で居てくれた方がマシというのはなんとなく分かった。」

私がエンブリオになる方法は、『無貌の蒼頭』の眷属として扱うのだと先ほど説明を受けたばかりだ。
眷属といっても同胞全体に個体識別すら存在しないので、事実上の扱いは同じだと言える。
全く機能しない飾りの制度だが、
確かに生命力は得られない、力の優位は保てない、繁殖もしないのではこれだけ渋るのも納得できよう。

「それでも乞われて断れないあたり、世界の意思を自称するのも大変なんだな。」
「貴女もこれから、その世界の意思に仲間入りですよ。せいぜい感激してくださいね。」

少女の祈りは高らかに、天へ昇って消えてゆく。
私は手にしたカードを掲げ、『無貌の蒼頭』から授かった宣誓の言葉を紡いだ。



ネクターの光を吸収したカードが、勲章へその姿を変えてゆく。
私の手に残ったのは、ネクターの花を模した1つの大綬章だった。

「これは……そうですね、『従三位命花大綬章』とでもしておきましょうか。」
「なるほど、君等は正三位というわけだ。ご立派なことだな。」

私の世界では正三位は上流貴族、従三位はその従者の身分とされている。
いずれも本格的に機能していたのは、1000年近く昔の話だ。

「それにしても、驚くほど何も変わらないな。本当にエンブリオになっているのか怪しいレベルだ。」
「核が破壊されない限り再形成し続ける、自分の身体を見れば実感もわきますよ。
　自分が何を失ったのかも、思い知るのにそう長くはかからないでしょう。
　それが想像できない貴女ではないと私は思うのですが。」

『意思ある人形』は、ただ冷ややかにこちらを見つめていた。

「確かにな……力に溺れるには、少しばかり歳をとりすぎてしまったか。」

私は苦笑しつつ、手にした勲章を肩にかける。


「でもね、小僧の足手まといだけはごめんだ。私は英雄としてこの世界に召喚されたんだろう？」


目の前の少女は言葉を失っていた。自分の常識では考えられなかったのかもしれない。
ただ何かを変える力というものは、元を辿れば存外単純だったりするのである。

「エンブリオの世界へようこそ、短い間でしょうが同胞として歓迎しますよ。」

相手から差し出された右手をしっかりと握り返す。
少し間をおいて口を開いた『意思ある人形』の瞳に、私は一筋の光を見たような気がした。


To Be Continued......