天蓋庭園深夜。
わしはニスイくんからグッドボーイくんを受け取り、そのまま天蓋庭園に残ると伝えた。

わしは誰に言うわけでもなく、1人虚空に向かってしゃべる。
唯一、焚き火の炎だけが、わしの独り言に反応するかのようにパチンと音をたてた。

わしの独り言にも、焚き火の音にも、意を返さず眠りこけているグッドボーイくん。
彼はニスイくんから"一時的に"借りているエンブリオだ。

主人の元を離れた状況で、こんなにぐーすか眠れるというのは、
よっぽどわしを信頼しているのか、それともバカなのか。
どちらの意味も変わらんな、主人によく似たエンブリオだ。

グッドボーイくんは、この天蓋庭園に生えているネクターの花を嗅ぐと、花粉症に似た症状が現れる。
原因は花粉によるとのこと。だから寝る場所は、花粉が飛んできにくい場所にする必要があった。

わしはグッドボーイくんを起こさないよう、物音を立てずにそこから離れる。
そして足音を殺しつつ、天蓋庭園に生えているネクターの花に近づいた。

近づけば、うっすらと光の筋のようなものがネ飛び交っているのが見える。
それは恐らくフェアリーくんの軌道だろう。彼には昼のうちに花粉を集めるように命じている。

わしが近づくと、その光の筋もわしのほうに近づいてきた。

わしの言葉を受けて、何も言わずにフェアリーくんは口角をあげた。
それにつられるようにして、わしも唇をにやりと上げる。

しかし、その笑みの意味するものは違うのだろう。
……いや、同じなのか？　彼の求めているものは分かっているが、本心は未だにわからんな。

と言って、フェアリーくんはわしに何かを手渡してきた。
それは、白い粉のように見えた。

耳の裏にゴシゴシと指をこすりあてて、その指の臭いを嗅いでみる
……言われてみれば臭い気がしないでもない。
まあ今日は風呂に入ってないからな……汗の臭いと区別は付かないけど。

◇


翌日。
わしはグッドボーイくんに揺さぶり起こされるようにして目が覚めた。

ショボショボとする目をこすりながらそう答える。
行き先は昨日の時点で言っていたはずだが、わざわざ改めて聞くということは、ニスイくんとの習慣だろうか。

喋りかけてくるグッドボーイくんをテキトウにあしらいながら、わしは旅立つ準備を整えていく。
と言っても身軽な男一人旅だ、荷物をまとめて焚き火に砂をかけるぐらいである。

荷物を全てまとめ終えて、忘れ物がないことを最後に確認する。

グッドボーイくんは荷物袋の隣に置いてある、小さく折りたたんだ袋を鼻で指した。

わしは、ポケットの中に閉まっていたおしろいのケースを取り出し、それを開けて、二本の指にたっぷりとおしろいを付着させた。
そして、間髪入れずにグッドボーイくんの鼻の中に押し込んだ。

花粉という異物に対して拒絶反応を起こす。
つまり、くしゃみをしてそれを押し出そうとする働きだ。

こうなることを予想していたわしは、素早くグッドボーイくんの鼻と口を押さえる。

腕の中でグッドボーイくんが暴れる。力で上回るわしがそれを押さえつけることなぞ動作もなかった。

グットボーイくんは声を揚げることができず、モガモガともがき続けていたが、やがて20秒もしないうちに、ピタリと動きが止まった。四肢はだらんとして、彼の体重がわしの両腕に伸し掛かる。

昨日のバッドボーイくんと同じ症状だ。

体にとって有害な物質を体内に取り込めば、体は異物と戦うために発熱を起こす。
その抵抗力を確保するために体は眠気を起こすのだ。
微弱な臭いでもその状態に近くなっていたのに、その数段強い花粉の塊を粘液に直接くっつけたならば、もはや眠気を通りこして気絶に近い状態だろう。

最悪はそのまま死に至る可能性もあるが……まあ、グッドボーイくんの抵抗力があれば死ぬことはあるまい、それだけの強さを持っている。

フェアリーくんが姿を表す。
どこからか今の一部始終を見ていたのだろう。

これからだよ、本番は。

グッドボーイくんが鼻で突いていた袋を広げて、その中にグッドボーイくんを押し込む。
そして天蓋の山を一気に下る。
天蓋から離れたらネクターの花の匂いが消えるため、ここから先は、わしの臭いをニスイくんの近くにいるバッドボーイくんに感知される可能性がある。
それを防ぐために、天蓋を出る際におしろいを耳の裏にたっぷりと塗る。


山を降りたわしは、そのまま町外れにある、とある家を目指す。
その家はまさに豪邸という文字が相応しいほど豪華な邸宅だ。

……その映像を思い出すだけでも気に食わない、見てくれにこだわる金なぞまったくをもって非効率な金である。
しかし、それは非効率に金を使えるほど金を余らせていることも同時に意味している。
ならばわしがすべきは、それを奪い取ることだ、何をしても。

わしはその豪邸を目指して、最短ルートで歩を進めた。