ネクターの花の陰から身を乗り出し、黒猫の少年の前に姿を現す。
私を目にした少年は、夢か幻を見ているような表情を浮かべ、その場に立ち尽くしている。

一緒に礼拝堂を抜けたとき、私は彼に言い付けた。
城の外に出るように…　一揆が終わるまで、安全な場所で待っているように…と。



　城内になだれ込み、各階を制圧してゆく一揆集。


　ベルクレアと呼ばれた一団。


　クローンの研究と強制契約型エンブリオ。




　そして…　エンブリオである王と、ネクター




様々な思惑が絡み合い、混沌としたこの一揆はもう、
子供が参加できるような状態ではなくなっていたのだから。


私は彼を残し、独り、礼拝堂の奥…天蓋庭園へと進んだ。


けれど…

少年の傍らで、泡を食っている先生を一瞥する。


庭園の進攻の傍ら、私は他の一揆参加者に小物の作製を依頼をしていた。
お互いの技能を生かして必要な品を融通し合う。一揆ではよくあることだ。


ところが、この前の依頼を受けた作製士は、少し妙なものだった。
依頼は受けるが…完成した品物は先生が取りに来い という指定をされたのだ。

何故そんな条件を付けるのか疑問にも思ったが…　
何かあっても先生なら大丈夫だろうと、取引に応じ、対応を任せていた。



しかし…



その作製士から受け取った小物に付いていた臭いは、覚えのあるもの。





そう。ロク君にひどく似ていたのだ。







彼が、この庭園に来ている…？



そのことを先生に尋ねても、はぐらかすばかりで埒があかない。
それならば…と、同じ相手に再度依頼をした。

前回と同様、先生が取りに来るようにとの指示があり、
私は先生にお菓子を土産に持たせ、こっそりと後をつけたのだ。


予感は、当たっていた。

彼が何故、ここに来ているか。
彼が何故、私に隠れて、先生を通してまで、依頼を受けてくれたのか。


理由は、判っている。判らないはずがない。


それは、感謝の念を持って応えるべきことなのかもしれない。


だけど…





“子供”を解っている危険から遠ざけて守るのは、人としてそうするべきことでもあるだろう？





いつぞやの鼠の少年の叱責が、私を、縛る。


私は…

ここに居ては、彼は不幸になる。
私の傍に居ては、彼は不幸になる。


彼をここから遠ざける為に、私は何をすべきか…
彼を私から遠ざける為に、私は何を…

ぐっ と奥歯をかみ締め、彼を睨む。


早足で近づいて、彼の前に立つ。




そして…

　じん…。と、

　　掌が、痛む。






彼は よろめいて、腰を抜かしたようにその場に尻を突く。


叩かれた頬を手で押さえ、呆然とこちらを見上げ、
驚きで見開かれた目からは、ぼろぼろと涙が零れてゆく…

私は、声を発しない。声を発せは…決意が萎えてしまいそうだったから。
怯え、混乱する彼を、ただじっと 睨む。




ほどなく彼はこちらに背を向け、一目散に駆け出していった…

そうだ。
これで…　これで…　いい。





これで、彼に嫌われたとしても。


これで、本当にもう会えなくなってしまったとしても。







これで、大切な人を不幸に巻き込まなくて済むのならば。


これで、愛する人を護れるのならば。








これで……



………



………



………

両の頬をさすりながら不平を訴える狐。うるうる涙目状態だ！

屈んで地面に鼻をすりつけ、足跡を辿る。

乱れ咲くネクターを掻き分けて、庭園を進む。

庭園の一角で佇む黒猫の少年の姿を見つけ…

その名を、呼ぶ。

　ナスルはセレナの死角で鈍い轟音を立てて何やら作業をしている。