――森の奥。
　小鳥は囀り、花は咲き誇る。
　牧歌的な空気の中、一つの――“大樹”が目に入る。

　その“大樹”は明らかに異質である。
　何が異質かと問われると筆舌に尽くし難いのであるが、とにかく異質である。

「……、……リリス。本当にここなの？」

　僕――ミラルカ・ハウダニットは一冊の本を求め、邪悪な蛇の導きのままこんな深い森の中へ入り込んでしまった。
「えぇ、間違いないわ」
　リリスは僕の服の袖内から腕に絡みつき、粘ついた声色でそう答えた。

「だけど。こんな所に《図書館》なんて――」
「――上を見上げ、瞼を閉じて」
「……ん」

　促されるまま、異質な樹木の枝葉を眺める。
　その樹木はその地にどっしりと根を張っており、この森の中でも特別に古くから存在していることを伺わせた。
　漏れ出す木漏れ日が心地よい。

　まるで夢に誘われるかのように――瞼を下ろした。

　……。
　…………。
　……………………。

「良いわ」
　五分ほどそうしていただろうか。
　眠ってしまいそうな安寧をリリスによって妨げられると、僕はゆっくりと瞼を開いた。

「ん……？　――わっ！？」
「ふふ」
　得意気に鼻を鳴らすリリス。それもそのはず。
　森の中にいたはずの僕は――

「――ここは、建物……？」

　辺りを見回す。
　石造りの無機質な床。壁にかけられた松明。
　そして古びた木で作られた、見たこともないほど膨大な数の本棚が――この場所が何処であるのかを示していた。

「図書館では、お静かに」

　僕は茶色いカウンターに立っていた女性に、怒られてしまった。

　　　　†

　カウンターの上に、一冊の文庫本を乗せる。
「この本を借りたいのですが」
　街一つ分はゆうにあるのではないかと思われる広さの図書館。目当ての一冊を探すのも一苦労かと思われたが、まるで導かれるようにその本――『吸血鬼カーミラ』を手にすることが出来た。

「はい。こちらでよろしいですね」
　眼鏡をかけたそばかす三つ編みの、恐らく司書と思われる女性は本を受け取ると、丁寧にその中身を確かめた。

「はい、お願いしま――「ちょっと待ちなさい。」

　僕の言葉を妨げたのは、服の袖から蛇の顔を見せるリリスだった。
「ちょっ、こんな所で……っ」
　リリスはエンブリオではあるが、既に実体化を果たしている。
　体のあるエンブリオなど危険極まりないよう映るであろうし、それでなくとも図書館に蛇がいるなど大事件だ。
　慌てる僕だったが、司書の女性は朗らかな笑みを浮かべた。

「深里、この子に《読み手》の体験をさせたいの」
「《読み手》ですね。異本はこの『吸血鬼カーミラ』をご使用なさいますか？」
「えぇ。まだ覚醒度は低いから、ベースは『とある勇者の話』でお願いね」
「了解致しました。NPCを、《Yggdrasil》の力により改変致します」

　目の前で、なんだか良く分からない会話が繰り広げられる。
　困惑する僕に、深里と呼ばれた司書は「頑張ってくださいね」と言い、緩やかに笑った。

「ミラルカ。この場所は《Yggdrasil》――あの大樹の名前のことなのだけど――と、深く繋がっているわ。
この場所なら、あなたの持つ《読み手》の力を最大限に活かしてくれるはず」
「ちょっと待ってくれ。ローラも《読み手》だとか《書き手》だとか記憶の中で言っていたけれど、一体何のことなんだ？　僕にはさっぱり――」

　突如目の前が、真っ白な光に包まれた。
　それは辺りを覆い尽くす程の眩さではあったが、不思議と不快感はない。むしろ酷く心地良く――。

「――まるで、木漏れ日の中にいるみたいだ」

　僕の意識は、そこで、途切れた。

どうやら、過去の事を思い出しているらしい……