――私は人間が、この世で三番目に嫌いだった。

「困るんだよね。ここは本物の吸血鬼だけが住める《血人特区》。
あんたみたいな小汚い人間、《一般地区》にしがみつく血液売りがいると。景観を損ねるワケ」
　そう言った男は、わざとらしい真っ赤なマントで豚のように肥え太った体を包み込んでいた。
「ごめんなさい。でも、許可は取っていて……」
「そういう話はしてない。気持ち悪い、って言ってんだよ。わかる？」
　吸血鬼だけが暮らすことを許され、多額の土地代を払うことで住むことが許される《血人特区》。
　この地区に一番早く移り住んだ吸血鬼であるウィリアム・テーベスの“家畜の隣で寝るのは、家畜だけ”という言葉は、今も尚人間達の間で語り継がれている。


「人間より、ちょっと頑丈なだけな癖に」
「あ゛？」

「……何でもありません。明日にはここを出て、別の場所で店を構えます」
　ここじゃ、もう商売はできない。《血人特区》は横の繋がりが強く、一度悪評が立ってしまえばたちまちの内に影響が出てしまうのだ。
　血液の露天販売も、潮時か。
「人間は人間らしく、最初からそうしていればいいのだ」
　吐き捨てるように言う、豚みたいな男。私はこんな吸血鬼が、世界で二番目に嫌いだった。
　　　　　　　　　　　　　げいじゅつひん
　本の中に登場する、 藝 術 品 のように美しい吸血鬼。
　私の描いていたヴァンパイアの幻想を打ち砕くような愚か者共は、皆いなくなればいいのにと思っていた。

　紅い瞳が、炎のように瞬く。
　おはなし
　空　想の中の私は、こんなにも強い。
　私は物語の中でだけは、畏しくも流麗な化物カーミラに成ることが出来た。

　蒼い瞳が、海のように揺らめく。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　カーミラ
　ローラ・ピット。彼女を見た時、私は自 分を抑え込むことができなかった。
　あまりにも凄絶。あまりにも冷淡。あまりにも究極。
　あんな風な吸血鬼に、私はずっと憧れていたのだ。ローラ様のように……いいえ。ローラ・ピットすら超える吸血鬼に、私は成りたい。蝶々が羽化して美しく舞うように、きっと成れるのだと信じるようになった。


「ごめんなさい。ごめんなさい」
「ミラルカ。いくらローラ様のお気に入りと言っても、失敗ばかりしてて良いという訳じゃないのよ。ピット家に無能は要らないわ」
　メイド長に叱られる。
　彼女は私と同じ人間だったが、ピット家の名に恥じぬ能力を持っていた。……私と違って。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
　私との“ごっこ遊び”に付き合って下さるローラ様のお心添えがなければ、とうに解雇されていてもおかしくはなかった。

　――人が、嫌いだった。
　人間は小説みたいに、上手くはいかない。

　――吸血鬼が、嫌いだった。
　力があるなら、もっと上手くやればいいのに。

　ふとした瞬間。冷静になる。溢れ出る嫌悪感。吐き気。
　――世界で一番嫌いなのは。いつだって、自分自身だった。

　僕は眼前の死体――先程倒したばかりのエンブリオ《メイド長》のものだ――を眺め、驚きの声を上げた。
「今のは、違う」
　口元に付着した血液を、白い布で拭う。
　《メイド長》の喉笛を噛み切り、その血液を綴って力の奪取を行った際付着したものだ。

「……何？　どうしたの、ノエル」
　僕の袖から出てきたリリスが、困惑気味に問いかける。
「違うんだ、リリス」
「だから何がよ」
　す、と。深呼吸。
　予想外の状況に、未だ思考が追いついていないらしかった。

「僕は血を吸うことで、新たなエンブリオの力と、記憶を得ることができる」
「えぇ。知っているわ」

「じゃあ、何故――僕は“ミラルカ”の記憶を、見たんだ？」

困惑したように目の前の少年を見つめる。
が、はっとしてすぐに表情を戻す。

感じた違和感を言葉にする。

あなたの言葉に安堵した後、
ふと頭に思い浮かんだ疑問を口にし始めた。