ここには、死者しかいないのか――そんな疑問は、さほどの間もなく解決した。
目の前に立つ青年の肌はみずみずしく、どう見ても死者ではない。
けれど勿論――それで安心できるというわけではない。
聖職者の格好をし、柔和に笑い、そして――死者を、引き連れている。
ケープに隠れた背筋に、ざっと鳥肌が立つ。

あまりにひどい違和感は、容易く、禍々しさやおぞましさに変わる。
あの人を安心させるような笑顔や、口調や、それと相反するようなこの背筋を走る寒気は。

「ブ、ブランカ……」

抗するように、喚んだ名前は雪を操るエンブリオのもの。
かばんから飛び出してきた彼女をペンに宿して、男を見据える。
負けない。
そんな決意を胸に、おぞましさをねじ伏せて。

だって自分は、ひとりじゃない。
ならきっと、何だって出来る。その気になればきっと、空を飛ぶことだって。
だからまずは、それよりずっと簡単なことを片付けてしまわなくては。

「……これが終わったら、ごはんにしましょうね〜」

ああ、それに、それから、そうだ。
せっかく約束したのだ。遊びにだって行きたい。
水辺で魚を釣って、貝を採って、キャンプ。
捕まえた貝や魚を焼けば、さぞおいしいだろう。
食事の後も決まっている。森で森林浴。
ふかふかの草や葉っぱを敷いて作るベッドで見上げる夜空はきっと綺麗なことだろう。
もしかしたら、憧れの、木の上のベッドなんていうのも――お願いしたら、作ってもらえるかもしれない。
そうだ、楽しみは沢山あるのだ。

「だったら、ここで負けるわけにはいかないわよね〜」

そう呟く声には、張りが。視線には、光が。そして頬には血の気が戻っていた。
さあ、はじめようか。
バカンスのための、前哨戦を。

びっくりした顔の彼に、慌てて詫びた。

言いながらも、手は休みなくリボンを結んでいる。
急ごしらえのそれは、衝撃を受け止めるための底もなく、靴というより足袋のようであったけど。
それでも、足を包む暖かさと柔らかさで、少しは痛みもマシになったようだった。
顔を上げれば、彼の方も無事支度ができている様子。
その手際のよさに、まあ、と顔が輝いた。

その時、ぐう、と音がして。
あら、と声に出しそうになって慌てて飲み込む。
自分も経験のあることだし、今の彼の気持ちも察しがつくので、一緒になってこほこほと咳払いでごまかして、差し出された手を受け取った。

急ぐ、という彼の言葉に、はぁい、と答えて、ちょっぴり緊張しながら抱き上げられて。
なにせこちらも、人に抱かれるのは初めてだから、抱き方を試行錯誤する彼に上手くこれ、といったことは言えぬのだけど。
結局、あひるの下半身を横抱きに抱えてもらって、自分が彼にしがみつくのが一番効率が良さそうだったが…さて、結局どうなったのか。
だがきっと、さほど揺れもせずに済んだのだろう。
童謡の続きを口ずさんで、「小川でお洗濯、できるようなのにしなくちゃね〜」なんて、軽口を叩く余裕があったのだから。

その後、無事たどり着いた宿のベッドの上。
座った姿勢で眠る己には随分大きな人用のベッドの上にちんまりとひとり座って。

なんて、どきどきする胸を押さえていたのは、彼には内緒……。

けれどトート村に戻った時の事を思えば、
彼女が両親は元より、村の仲間に愛されている事は言うまでもなく。
おいしいもの好きとして関わりを持ったのがはじまりだが、
お互いがお互いに良い影響を与えているのに、小さく喉がなった。

バカンスにすっかりテンションが上がったらしい彼女に、ふは、と笑い。
地理に疎い男はついて行くばかりのお任せだけれど、
揺れるおしりを眺めれば、自然と釣りなり狩りなりに気合が入った。

そうしてふと、

　『ちっちゃな子達』の面倒は確かに見ていたのだろうけど、寧ろ一緒になった遊んでたんじゃないかな、とか内心、くすくす笑いながらそんな図を想像する。
　まあ、口には出さないのだけれど。

　話を振られたウルヘアは、「ピィ！？」と怯んだような様子を見せたが、何やら考える様に首を傾げた。

　コトカの提案に、ウルヘアもこくこく頷いていた。

　彼女の言葉を聞いて、考えるように僅か視線を落とした。

　まだその声音には躊躇いが混じっていたけれど。
　顔を上げて、

　そう言って、ぎこちないけれど笑った。

　声の調子が落ちる。
　彼の故郷のことを考えると、どうしてもそうなってしまった。

　気落ちした様子の彼女を見て、まずいことを言ってしまったか、と思う。
　だから、せめて励ますように。

　

　からかい交じりにそう言った。

　取り出されたケープをじいと見て、何やら考える様に顎に手を当てたりしてみて。

ラズロが従えたアンデッドたちを一瞥し、

こそこそと、エンバーさんの背中に隠れている！

男の指に嵌る指輪から、不穏な気配が漂い始める。

歌うように呟いて、羽根ペンを持った右手を伸べる。
羽根ペンに宿った光のひとつが飛び出して、くるくると回り始めた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
回るたび、辺りの温度が下がっていく。
吐く息が白くなる。ちらちらと、白いものが落ちてくる。
星まで凍らせるような冷たい風が、サッと下から上へと吹き上げた。
目を開けると、いつから立っていたのだろう。
そこには、白い肌、赤い反物を携えた女がいた。