「……ねえ、シセ」

　妖しげな光が立ち込める森の最中。私は道すがら、横に並んで歩く同行者の名前を呼んだ。
シセ＝フライハイト。緑色の髪と金の瞳がかわいらしい、私と同じくらいの年齢の少女。
彼女を見るたびに変わっている服装からして、本来はきっと私よりもずっと快活な子なのだろう。
そんなシセに、聞いてみたいことがふと浮かんだのだった。

「どうしたの？」

　彼女の瞳がこちらを映す。こんな場所、こんな時でなければ普段の挨拶に聞こえそうな様子で。
それでいい。シセが今見せてくれた『普通な女の子』の様子が、今の私にはありがたかった。

「ん、と。別にそんな真面目な話じゃないんだけどさ」
「シセは……寂しい、って思ったことはある？」

　それは彼女たちと合流する前、パーティメンバーと二人で居た夜に覚えた感情の名前。
本当にどうしようもない問いかけだと自分でも思うが、それでも彼女は真剣に取り合ってくれたようで。
しばらく口元で「寂しい、うーん」などと零しつつ、思考を巡らせる様子を見せて。

「あるよ」

　再びシセがこちらを向いてから紡いだ答えは、肯定だった。
私はそれになんとなく安堵したような気持ちになった。彼女だって寂しいことはあるんだ、と。

「ちょっと前まで私さ、迷子でね。すごく心細かった。寂しかった」
「まあ、大きく見れば今も迷子だけど……」

「……そっか、迷子……」

　シセも別の世界から来たんだもんね、と補足すると、彼女は小さく頷いた。
異世界人として道に迷い、そして自分の心に迷う。それはとても不安になることだろう。
胸中を語っていた時の彼女は、私にはほんの少しだけ微笑んでいるようにも見えた。
……それが諭すためのものなのか、自嘲する物なのかは、判別できなかったが。

「どうしたの？」

　シセが首を傾げた。頭の横にまとめられた緑の髪がふわり、と揺れる。
多分彼女の問いかけは、今の私の状態ではなく、こんな質問をしたことに対する物だろう。
さて、どう話してみたものだろうか。小さく息を吐き、僅かに彼女から視線を外して。

「んと、ね。……この前、私も……、『寂しい』って思ったことがあったからさ」

　たったそれだけのことを言うのに、どれだけ心を悩ませていたのだろう。
何度か言葉が途中でひっかかりそうになり、左手は居づらそうに服の端を握って。
――その時丁度触ったポケットの中身を、私は外側から縋るように掴んだ。
それは、ヘイアンが私のコートの中に忘れていったコートとライターだったから。

「……誰かに、会いたくなったの？　会えなくなったの？」

　きっとシセは私の様子から何かを察したのだろう。本当に聡い子だ、と思う。
おそらくその選択肢は、彼女が生きてきた中で感じた『寂しい』の理由なのだろう。だけど――。

「うーん……その、どっちでもないんだ」

　小さく首を振って、もう一度シセの顔を見る。彼女は僅かに不思議そうな表情をしている。
たったあれだけのことでも言うのに苦労した私が、自分の心をしっかりと話せるだろうか。
信頼のおけない自分のために、す、と小さく息を吸い込むと。迷いを乗せたまま、口を開く。

「……なんだろう、ずっと一緒にいた人たちのことが……何も、……わからないなって」
「そう思ったら、なんだか……急に、寂しくなっちゃって」

　できる限り、自分に起きている心境の変化と胸の中に淀んでいる物を伝えたはずだ。
それでもこの感情が正しいのか、分かってもらえるのか不安で、思わず私は力ない苦笑を零していた。
そして理解する。……先ほどのシセの微笑みも、もしかしたらこんな感情だったのかもしれない。

「大丈夫」

　その言葉と同時に、ふと、シセが足を止めて立ち止まった。
私もそれにつられて足を止める。前を行くニコレットとアシルは、そのまま歩き続けている。
二人で立ち止まったことに気付かなかったのか、それとも気をきかせてくれたのだろうか。

　シセの表情を見れば、彼女もまた先ほどと同じように、私と同じように微笑んでいて。

「……私も、何も分かんない。ニコレットのことも、アシルのことも。見えるぶんしか、分からない」

　私のことを宥めるように、優しい声色で、シセはそう言ってくれた。
それが私の心を癒してくれるのだと理解しているかのように、温かい言葉だった。
どこか自嘲するような微笑みさえも、私の心を映す鏡のように思えた。

　自分の心の無力に打ちひしがれる時。それを他人と分かち合い、立ち向かおうと手を取り合うとき。
――人はそんな時にも笑うのではないだろうかと、彼女の言葉に思う。

「確かに、そう言われると寂しいね」

「……シセも、そう思ってくれるんだね」

　同意を得られることで得られる安息感。自分の悩みはそこに在っていいのだという認識。
それがたとえどんなに安っぽく軽い物だと罵られようと、『迷子』にはそれが最も大切なのだ。
『そこにいて良い』と言ってくれる人間がいるのであれば、私はまだ先に進むことができる。

　だから――もうひとつだけ、彼女に聞いておきたかった。
タバコとライターを握る手の震えを律し、彼女の金色の瞳を覗く。

「ねえ、シセ。……私、さ」
「もっと……皆に踏み込んでもいいのかな。そうすることって、許されるかな？」

　そう問いかけた時、シセの肩の力が抜けたように見えた。
もしかすると、初めからシセはそのことを聞かれるのを待っていたのかもしれない。
安心したような穏やかな微笑みは、それを物語っているように思えて。

「みんな、待ってると思う。……私が話したのは、フィアくらいだけど」

　彼女は断言する。
きっと今話をしているのが普通の二人なら、何も知らずにそう言う彼女に苛立っていたのだろう。
けれど、そうじゃない。言いきってくれたシセの言葉に、私は間違いなく安らいでいた。

「……そうかな。そうだといいんだけど」

「待ってるよ、うん。許す、許さないじゃないと思う。だから――」

　シセが握った左手を差し出す。金の瞳を細めて笑う。
美しい紫のドレスと緑の髪が、暖かな風にふわりと広がった。

「ミモザ、勇気を出してみよ？」

　本当に、彼女に話してみてよかったと思う。シセの笑顔で、どれだけ心が落ち着いたか。
私はそれに答えるために、左手をポケットから離す。震えはもう、すっかり消え去っていた。

「……うん。ありがとうね、シセ」

　こつん。
ふたつの拳がぶつかる音が小さく鳴って、それから二人でくすくすと笑った。


（PTMのEno.186、シセさんをお借りしました。）

じっとシセの取り出した絵を見つめた後、静かに首を振った。

　
ぐい、とさらに顔を近付け