「……はァ、闘技ねェ……。」

　気の入らない返事をアイヴォリーが口にした。メイリーに闘技に参加しないか、と聞かれてのことだ。いつもの皮肉めいた笑みのまま、グローブをした細い指で頬を掻きながらアイヴォリーが答えたのは、そんないかにもやる気のない返事だった。
　アイヴォリーにしてみても、別に対人戦闘をやりたくない、という訳でもない。むしろ、以前の様々な場所でそうだったように人狩りが許されているこの一揆の現場では、日々の探索への影響なしに対人戦闘を行える闘技大会は貴重な訓練の場だといえた。それでも彼があまり乗り気でないのは、この世界での装備の効果を嫌というほど思い知らされているからに他ならない。装備の性能によってついこの前までエンブリオにさえ押し負けていたのだ。それに限らず、彼らからすれば装備も進行度でも遥か先を行くメイリーの知り合いが、練習試合で簡単になぎ倒された様子をその場で目にしている。それほど装備の影響は大きいのだ。
　当然、何をするにしてもその作業にとって道具の質は結果に大きく影響する。アイヴォリー自身暗殺者だった頃にはギルドに腕利きの職人がいて、一般に出回っているよりも遥かに質の高い装備を支給されていた。彼が自らの装備にやけに拘りを持っているのはその頃の影響だといっても差し支えない。手練れの暗殺者たちでさえ自らの道具には高品質なものを準備するのだ。
　それに加えて、今のアイヴォリーの装備は武器にしても防具にしても、あまり対人戦に適した状態だとは言えなかった。鎧は盾であることを重要視した結果彼の身上である身の軽さを殺しかねないほどに重装甲になっているし、武器に至っては使い慣れた二振りの短剣ではなく長剣だ。エルフの技術である姿隠しの外套は世界渡りの影響でその魔力を発揮できていない。要するに、何もかもが今の探索向けに調整されていて、他のことには向いていないということだった。

「仕方ねェなァ……アンマリ期待すんじゃねェぞ？」

　それでも、アイヴォリーはメイリーにそう言った。相変わらずやる気のなさそうな口調のままで、それでも彼がいつも浮かべているその笑みはどこか楽しげなものに変わっている。

「セッカクのお誘いだしな、まァ息ヌキがてら遊んでくるのも悪かねェさね。」

　そう言って、アイヴォリーは彼女に器用に片目を瞑ってみせた。


　肉厚の花びらの中央からは得も言われぬ臭気が彼らのところまで届いてくる。そのすぐ下、茎に当たる陰からは数本の蔓が伸びていた。唯の植物と異なるところがあるとすれば、その蔓が彼らの目の前で自在に動き、その株自体も緩慢ながら移動している、というところだろう。ラフレシアは話に聞いていたよりもずっと怪物に近く、植物からは遠かった。森で遭遇したかったエンブリオとは会えず、代わりに二人が出会ったのがこの何とも表現しがたい悪臭を発する花だった。
　実際のところ、“襲ってくる植物”という相手はさすがのアイヴォリーもそれほど相手をしたことがない。“忍び寄る縄”といった名前で表現されるそれは大抵は蔦に類する植物で、密林などで他の植物に紛れて生えている。動きはそれほど機敏ではないが強靭で、その構造から痛みを感じるようなこともない。獣や不注意に分け入った冒険者たちなどが休息しているところに忍び寄り、動きを拘束してそのまま絞め殺す。鋭い棘が並んだ蔦は犠牲者を傷つけて流された血と、そしていずれ時とともにその肉が養分となるのだ。密林の中では非常に見分けることが困難で、それが奇襲を受ける大きな要因になっている。何せ動かなければ辺りの植物のひとつと全く見分けがつかないのだ。とはいえ、その特性は弱点も植物と同じで、乾きはもちろん火にも弱い。襲撃されても近くに火があればそれで身を守ることが出来る。
　とはいえ、今彼らの目の前にいるその花に対して、アイヴォリーはそういった特攻を用いるつもりはないようだった。鞘に納められた長剣の柄に手をかけ、低い姿勢のままで蔓の中へと走り込む。抜き様に自らの行く手を遮る蔦をその長剣で一閃すると、あちこちの枝を蹴って空中で複雑に軌道を変えながら、速度を殺すことなくアイヴォリーはその中央、花の傍らまで飛び込んだ。

「ッ！」

　気を吐く。そのときには既に、彼の体重と速度を乗せた切っ先が深々と花びらを貫いて向こう側へと達していた。防御も何もあったものではない。通常剣を振るう場合、攻撃の後には相手の攻撃に備えて防御姿勢に移行するように訓練されるものだ。そうして隙をなくすことで遠心力を利用した斬撃という攻撃の不利な点を打ち消し再度攻撃できることが剣の利点なのだから。アイヴォリーの攻撃は、そういった剣を扱う上での基本を全く無視したそれだった。
　無論、その一撃で相手を仕留められるならば体重と速度を最大限に乗せたその刺突は非常に強力だ。だが、相手に躱されること、見切られること、そして仕留めきれない状況を考慮しないそれは、自分の身を守る得物として優れた剣の利点を一切利用しない極端なそれだった。
　微かに震えながら、刺し貫かれた花が緑の汁をまき散らす。鼻も曲がるような悪臭がさらに強くなった。その緑の汚汁を浴びながら、あまりに深く刺さり過ぎた刃を、足をかけて力任せに引き抜こうとするアイヴォリー。その背後から静かに迫る蔦に目をやりもせずに、アイヴォリーは足を花びらにかけたままの姿勢で懐から小さなナイフを明後日の方向に向けて投げつけた。

「ココはもう、オレの領域だ。」

　金属音が風を切る音にかき消され、蔦と比べればあまりにも細い鋼線が張力と遠心力で蔦を絡め取る。ふ、と大きく息をついてからアイヴォリーはもう一度それにかけていた足に力を込めた。

「よッ、と。」

　間の抜けた声とともに、深く突き刺さった長剣が抜ける。それを肩に抱えて汁塗れのままで、こちらは上品に遠くから魔法で同じ植物を始末したメイリーの元へとアイヴォリーが戻り始めた。

「アイ、待って！」

　唐突にかけられる相方の声。足元に落としていた視線を上げて、アイヴォリーが彼女に目をやる。もう敵は片付いたはずだ。気配を察することにかけてはこの盗賊の右に出る者はそうそういない。彼を静止した妖精は、手を突き出したままで彼に静かに言った。

「アイ、こっちに来ないでくれる。
　すごく、臭いから。」

　汁塗れのままで、見事に長剣を使いこなしてみせた盗賊は毒気を抜かれた間抜けな笑みを浮かべるしかなかった。