脱落者が出てしまい２人と１匹になってしまったパーティは、その日も大草原で敵勢エンブリオの掃討を行い、昼前には幕営地に戻ってきた。テントを張って夕食の仕込みをしてしまえば、後は自由時間となった。シュガーが他のパーティメンバーの過ごし方を聞いてみると、黒月は作製に励むというし、アイリスは付加職人を探しに市場へ向かうという。シュガーはというと、草原にピクニックに出かけることにした。

シュガーもまた少々一揆に疲れていたのだ。無力感を感じているといってもよかった。パーティは半壊状態、王城への進行もはかどらない。また、闘技大会へ参加したことでメルテーゼでの己の戦力を客観的に把握できた。シュガーは弱兵である。他の参戦者と拳を交える事ではっきりと分かることだった。おそらく、シュガーがいくらがんばったところで、一揆の戦局には恐らく影響がないのだろう。休息をとりたい気分にもなるというものだ。

ピクニックにはシュガー１人で出かけるのも悪くはないのだが、せっかくなので暇を持て余してテントの周りをぷらぷらしていたアニマに声をかけてみる。

アニマは始めて聞く言葉に首を傾げていた。シュガーがピクニックについて説明する。ピクニックとは、屋外に出て野山や海岸などの自然豊かな場所に出かけていき、食事をすることだ。すると、アニマはぱぁと顔を綻ばせて行くと宣言した。

身もフタもない言い方をすれば、まあ、そうだな、とシュガーは苦笑をしてしまう。一揆をはじめてこのかた、ずっと野外でテント暮らしなのだから、野外活動に特別意味はない。ただ、今日は一揆の戦況などは綺麗に忘れて、景色のよいところでのんびりする昼寝がしたいと思っただけだった。

シュガーはランチボックスにお菓子やワインをつめて、大草原の小高い丘へと歩き出す。シュガーが歩きながらあの世とこの世を繋げる術式を履行すると、次々に新たな鬼火が立ち上がり、狩衣姿の平家の怨霊たちが続々と浮世へと立ち現れる。シュガーのように霊体を見るための特殊な訓練を積んでいない者にとって、日光の下では怨霊たち姿は見えないが、シュガーの周りには平家とその郎等たち数十人の霊体の行列が連なっていた。

広々とした草原が遠く山地にまで続いている。所々に樹木が立ち、白や桃色の花畑が広がっていた。青空にはぽつぽつ綿雲が浮かんでおり、草原を揺らす風が歩いて汗ばんだ肌に心地よい。シュガーは日除けにパラソルをさし、敷物をしいてゴロリと横になる。ふー、極楽だ。

平家の怨霊たちも、彼らは日頃海の底の竜宮か、冥府の海上の船団で過ごしているため、草原での休日はよい気分転換となるようだった。歌を詠む者、楽器を奏でる者、馬を駆る者、蹴鞠に興じる者、などなど、怨霊たちはめいめいの過ごし方で草地を満喫していた。平家のおばば様こと二位尼はシュガーのパラソルの日陰に佇み、おつきの女房と一緒に山々や草木、そして、午後の一時を過ごす平家の怨霊たちの様子を嬉しそうに眺めていた。

平家の怨霊の頂点に位置する大霊の安徳帝の霊はというと、アニマと一緒に虫取りに興じていた。アニマは生気に溢れる草原に同調しているのか上機嫌で、安徳帝の霊といっしょに昆虫図鑑を片手に花々の間を飛び回る蝶を観察して歩きまわる。しかし、そこは、空気を読まないアニマのことで、たんぽぽの群落を見つけてしゃがみこんだりする。アニマがしゃがんで少しだけ風がおこると蝶々はぱっと飛び立ってしまう。

アニマはまるで気にする様子もなく、綿毛に息を吹き付けて冠毛を飛ばす。綿毛はふよふよと飛び上がり、風にのって飛び去ってしまう。蝶に逃げられてしまった安徳帝ではあるが、こういうことはアニマと遊んでいればよくあることなので慣れたもの、すぐに興味をたんぽぽに移すのだった。

安徳帝の霊も綿毛の前に座り込み、ふううううと息を吹きかけた、かに見えた。しかし、綿毛は風にゆれるばかりで飛び上がったりはしない。

だから、怨霊は綿毛に息を吹き付けることはできないのだった。安徳帝の霊は自嘲気味に笑みを浮かべ、小さな手を太陽にかざして見上げる。手は透けてその向こうの雲や太陽が見え、顔に影はできない。釣られてアニマも同じように手を太陽に掲げてみる。今度は手によってアニマの顔に影ができる。

安徳帝の霊はくるうりとシュガーのほうへ振り返り、こっちゃこいと手を振ってシュガーを呼びつける。呼ばれたシュガーが草原を歩いて安徳帝の霊の元に歩み寄ると、安徳帝の霊はたんぽぽの綿毛を指さし、お澄ましの表情を作って、『我の代わりに吹きつけよ』、と命じるのだった。怨霊が浮世に何かをなそうと思った時には、怨霊拳の継承者の手を借りる、それがそなたと我らとの約定じゃったな、と。しかたねーなーと、シュガーがひざまづき、綿毛に息を吹きつけようとすると、日が陰って暗くなり、草木がざわざわと揺れて風がふき、綿毛がばっと吹き飛ばされてしまった。綿毛は空高く舞い上がり、シュガーも安徳帝の霊もアニマも、綿毛の行方を追って空を見上げる。

安徳帝の霊はふむと笑みを浮かべ、何事もなかったかのように昆虫観察を再開した。綿毛を息で飛ばそうが風で飛んでいこうがそれはどちらでもよいといった様子だった。シュガーさんもとアニマに袖を引かれたので、シュガーも２人に付いて回り、草花や春の虫について解説をしていたのだが、いつのまにやらアニマの興味が昆虫ではなく休暇を過ごす平家の文物に移ったので、安徳帝の霊といっしょに平安時代の文物について説明してやる。アニマは中でも鞠を蹴って回す蹴鞠をする一団には興味新々な様子だった。

かくして、アニマと安徳帝の霊は蹴鞠で遊び始めた。安徳帝の霊はぽんぽんと上手に蹴り上げるが、不慣れなアニマの鞠はうまく蹴り上がらなず明後日の方向へ飛んで行く。シュガーが飛んで行った鞠を取りに行って蹴り返したりしていると、いつのまにやら走りながら鞠を蹴るようになり、他の平家の怨霊も混ざりだし、キーパーもついていつのまにやらサッカー大会になった。傍目にはシュガーが１人でぐるぐる草原を走り回っているだけであるが（しかも意味不明に笑顔で）、霊が視える人が見れば、シュガーが怨霊達にまざって霊体のボールを追い回す姿が見えたはずであった。

日も傾いて草原が朱色に染まるころ、シュガーもぼちぼち幕営地に引き上げることにした。アニマと安徳帝に振り回されてわりとカオスな一時だったが楽しかった、シュガーは夕日を眺めながらそう思えていた。平家の怨霊たちも、安徳帝の霊もアニマも、午後をめいいっぱい遊び倒したので、みなそれなりに満足げであった。その笑顔がシュガーにとっては何よりの喜びであった。ピクニックにでかけてよかった。

怨霊たちの声でがやがや騒がしいシュガーの耳には届かなかったが、そして今日も今日とて冥府よりの声が届く。草原をかける初夏の風のごとくさわやかな声であった。

幕営地への道すがらシュガーは謎のシスターが草原に座っているのを見つけた。思わぬ宿敵との遭遇であったが、シスターはこちらに気がついていないようであった。怨霊達から奇襲をかけるべきか？という声も上がったが、そもそも自分達も戦闘準備を整えていないので、しばらく様子をみることにした。

シスターは穏やかな笑みを浮かべていた。シュガーがシスターの視線の先をみやると、マントを羽織った凛々しい男性とその奥方と思われる麗しき女性がいて、そして、その子供と思われる幼児が草原で草と戯れていた。トロイア勢最強の勇者ヘクトルと、その奥方、アンドロマケー、その一人子アステュアナクスの霊に違いない。

シスターの彼らを見守る表情は優しげな笑みであった。トロイ戦争で彼らがたどった悲惨な運命とを思うと、シュガーもまたほほえましく思えてしまう。プリアモス王家の霊魂のささやかな家族団らんの一時を邪魔することなど怨霊拳の継承者としてありえない。平家の怨霊達ももはや何も言わない。シュガーはシスターに見つからないように早々に退散することとした。

シュガーは黄昏時の草原を歩きつつ思う。シスターも己と同じように悲運の死霊達の慰撫と平安を願っていることが心で理解できた。それゆえに、己とシスターは相譲らないだろうとはっきりと分かる。自分が平家の怨霊達の勝利を渇望するように、シスターもまたトロイア勢の王城守護を願いを背負っている。相手の事を理解すればするほど、両者の激突は不可避に思えてくる。これは呪われた宿命。反転した論理の世界、冥府に関わった者共に用意された、避けがたい行き先なのだろう。

シュガーは怨霊と会話をしているようです