「経験です」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―――― 傷を負う行為

　赤色の蓮華が一つとパワーストーンを詰めた袋が無くなっているのを確認し女王とコノエは呟いた。力の憑り代に戦闘を任せて花見に行った二人だが、回収した憑り代の記録からなかなか悲しい事態を読み取ったらしい。
　たとえ明日この世界が滅ぼうとも大した問題ではない二人には何もかもがどうでもいいが他人はそうではないのである。

　数百年を生きてきた二人にとって、その程度のことは暇潰し。それこそ女王の思いつきで出かける予定が生まれなければいくらでも付き合っただろう。
　一国の女王と近衛騎士である前に彼らは逸脱者なのだ。道徳を説く分だけ無駄である。

　悲しむふりを。怒れるふりを。死んだふりを。気を失ったふりを。無力化されたふりを。悔しがるふりを。
　コノエは自分がどういった役割を求められているかを理解している。その役割を的確に果たした結果、誰もが都合のいい今を信じてきたのだ。
　項垂れ焦点の合わない瞳で目の前の出来事をただ見つめるしか出来ない騎士の役もその中に含まれている。

　私自身はその記憶を忌まわしいものと思ってはいない。多くのことを忘れたが今も鮮明に思い出せる。それがひどく苦痛であったというのは間違いないし、忘れられないのだという意見も否定はしない。それでも悪い思い出ではないと思う。
　いつだったか春の眠気は死ぬほど気持ちがいいと女王陛下は言った。確かに春になれば彼女は気が済むまで眠っているがそれは他の季節でも同じことである。ただ春の暖かくどこか冷たい眠りは、濃厚な死の匂いを運ぶ。

　彼女を抱えての午睡は珍しいことでもないが桜の匂いがそうさせたのだろう。
　私は樹の根に頭を預け、大の字に寝転び腹の上に女王陛下を載せていた。ただ腹には穴が開いていてその隙間を埋めるように彼女の上半身が埋まっている。
　互いの血管は繋がっていて私からは温かい血が吸い上げられていた。返ってくるのは冷たくとろりとした、私には蜜と認識できるもの。
　白く柔らかな手が私の頬を包み込み、近づいた顔が何かを囁く。

　謝られている、と思う。上半身だけの彼女が纏う薄絹が、寒気を増す身体と反比例して紅に染まっていくのだ。手を伸ばして背中を抱くと一瞬だけ冷たい皮膚の温度を感じる。その先にあるのは人肌の暖かさで、頬に感じるのと同じ少し高めの体温。
　撫で上げるように上へ手を動かすと翼に触れた。血の通うワインレッドの翼。脈動を感じる。幻の感覚だとしても。


　寄り添う人の冷たさが愛おしい。

食べる様子を、少し不安げに見ていたが
食べ終えたのを見て、少しほっとした様子を浮かべている

　　　　　　男はそっと指輪に口づけた。

　　　　　　男はそっと指輪に口づけた。