○月　○×日

　ようやく体調が落ち着いてきだしたので、自分で書くことにしたよ。
　日記を書くくらいの余裕は出来てきたかな。
　……まだ、ちょっと熱っぽいけど。

　女神の園で不思議な二人組みと戦いを終えると、血相を変えたメリファンちゃんに呼び戻された。
　急いで船に戻ってみると、体中ぼろぼろになった揚羽ちゃんが、メリファンちゃんの作った機械に繋がれて治療を受けてるところだった。

　手も足もひしゃげたようになっていて、特に右半身は見るに耐えないほどのありさまで、思わず目を覆った。
　形はまともでも左半身は黒っぽく変色してしまっているところがあって、影に侵食されかけたんだって直ぐに想像ができた。
　これじゃぁ、意識が戻ってもまともに生活なんて出来ないかもしれない。

　メリファンちゃんの技術では、治癒魔法と合わせても体の形を取り繕うくらいで精一杯らしい。
　なんとか命は繋げるけれど、後は揚羽ちゃんが目を覚ましたら自力で何とかしてもらうしかないとか。
　それだって、時間をかけても元に戻れるかはわからない。
　あまりにも酷い状態だから、後遺症くらいは残ったっておかしくないって、メリファンちゃんは苦虫を噛んだような表情で話していた。

　……それに、影にやられていたことを考えると、正気を残していない可能性だってある。
　人格や、精神が崩壊していたっておかしくないのだから。
　もしもそんな事になってしまったら、私はどうしたらいいんだろう？
　揚羽ちゃんがいなくなってしまったら、私は……。

　――揚羽ちゃんが目を覚ましたらしい。
　治療を終えて今は自室にいる筈だった。
　会うのは少し怖いけど、ちゃんと無事を確認しようと思う。
　



『まったく、揚羽殿は無茶をする』

　暗闇の中で、たった一人。
　茜色をした少女が困った顔を浮かべていた。
　彼女は秋茜祢。私の友人であり、恩人。そして、私と根源で繋がった一柱の神だ。

『今の揚羽殿は、不老であっても不死ではないのだ。一人で無茶をするものではない』

　二年ぶりでも変わらず説教口調の彼女に、つい頬が綻んだ。
　彼女はそんな私を見ると、口をへの字にするのだが。

『……まったく笑い事ではないのだが。さすがにここで揚羽殿を失うと、困るのは私なんだぞ』

　ごめんなさい。

　眉をしかめる彼女に、私は苦笑を浮かべながら謝った。
　彼女は一つ、大きなため息をつくと私に背中を向ける。

『……そろそろ目が覚めるだろう。とてもまともな状態とは言えないからな、少し覚悟はしておくと良い』

　ありがとう。

　彼女の背中に向かってそう言うと、私は目を閉じた。
　すると、徐々に浮かび上がっていくような無重力感を覚え――目を覚ました。

　…………重い。

　自室で目を覚まして最初に感じたのは、強い倦怠感だった。
　体がずんと重く、手足を動かすのも、体を起こすのも億劫に感じられる。
　……まぁ、動かす手足があればの話だけれど。

　ん……っ。

　とりあえず、重い体を少しずつ動かそうとして、状態を確かめた。
　どうやら手足はちゃんと付いているみたいだけれど、まともに動くのは左手ぐらいのようだ。
　足は……無理すれば動かない事もないだろうけれど、右手は正直見るのも怖い。
　この様子じゃ、当然体幹部も、体の中身だって無事だって事はないんじゃないだろうか。
　痛みを感じないのは、まだ全身に麻酔が効いているからなんだろう。
　幸いなことに、メリファンの薬は私にも相応の効果がある。
　薬毒に対して異様なほどに耐性のある私には、ありがたい事だった。

　――さて、と。

　ここまで来て今更だけれど、私は運良く生きているらしい。
　あのミニドラゴン……ティアの兄（の意識）に回収されたのはもちろん、茜祢ちゃんにも助けられたみたいだった。
　彼に回収されるまでの間、私の命と意識を繋いでいてくれたのは、間違いなく茜祢ちゃんだろう。

　また、借りを作っちゃったなぁ。

　もちろん、茜祢ちゃんはそんな風には思っていないのだろうけど。
　ただ、こう二度も三度も命を救われると、流石になにも思わないでは居られない。
　それどころか私は茜祢ちゃんのおかげで、鴉揚羽として生きていられるのだから、何も思うなと言う方が無茶な話だ。

　――茜祢ちゃんと、数年ぶりに墓地で再会した私は、唐突にある選択を迫られる事になった。
　そのまま死んで不老不死の怪物に生まれ変わるか、生きて茜祢ちゃんの眷族となるか。
　そんな、奇妙な二者択一だった。

　いつだったか、不老不死の力を得ていたあの男は、その身を善くない神に差し出していたのだとか。
　不老不死はその神と同化した事で得たのだという。
　そしてそんな人物を殺した私は、どうやら祟られてしまったらしいのだ。

　当時戦ったとき、私はあの男の血を多量に浴び、仕舞には僅かといえ飲み込んでしまった。
　その結果、私の中には彼の力と意識が入り込んでしまったそうだ。
　もしも、そのまま私が死んでしまえば、私の体を奪い取り、再び不老不死の彼が……怪物が生まれてしまうという。
　彼が体を差し出した神と言うのは、そうして次々と宿主を変えて災いをもたらす、禍津神なのだと、茜祢ちゃんは言っていた。

　……けれど。
　私が茜祢ちゃんの眷族となり神の力を得て、その禍津神以上の神格を得れば、支配し排除する事も出来るのだと、茜祢ちゃんは苦渋に満ちた表情で私に告げた。

　茜祢ちゃんの眷属になると言うことは、つまり私が人間でなくなると言うことに他ならない。
　不老不死の怪物でこそないけれど、人間とは異なる存在に変わってしまう。

　神様になるつもりは、少しも無かった。
　その意志は、結果的に眷属と成った今も変わっていない。
　けれど、私がこのまま死んでしまえば、私の世界はまた戦乱へと逆戻りしてしまう。
　私が父を殺し、茜祢ちゃんと刀真さんが命がけで手に入れた終戦が、すべて無駄になってしまう。
　人が生きていれば、戦はいずれ避けられないことだとしても。私がそれを無駄にする事は、出来なかった。

　……結果、私は茜祢ちゃんの力を譲り受け、人間としての時間を止める事になったのだ。

　今は彼女の力のほんの一部だけれど、茜祢ちゃんが寿命を終えるまでの数十年の間には、全ての力が私に移る事になっている。
　ただ、不老になったとはいえ、私は不死でもなく、体は人間に毛が生えた程度の強度しかない。
　散々虐め抜いてきたからか、常人に比べればよっぽど丈夫なようだけれど、それでも茜祢ちゃんの力を受け止めきれる器じゃなかった。
　けれどそれじゃあ意味がない。
　私は、茜祢ちゃんの力と、神格の全てを譲り受けなければならないのだから。
　そのためにも可能な限り力を使い、徐々にでも体を合わせていく必要がある。
　それで、何度か確かに無茶をした覚えはあるけれど。

　……今回は、無茶をしたつもりはないんだけどな。

　無茶と言うよりも、考えが甘かっただけだと思う。
　まだまだ私は、私の世界の常識に……それも偏った常識に、とらわれているんだろう。
　魔法の類はそれなりに見てきていると言うのに、あの攻撃を予測できなかった。
　未知の相手に対して、必要な警戒が出来ていなかった。
　……これは、運なんかじゃなく、完全に私のミスで違いない。

　だめだな、思考が随分鈍ってる……。

　今必要なのは、これからどうするかを考える事。
　反省したところで、すぐにはどうにも出来ない事なのだから。

　……こう言うとき、母さんならどうしたんだろう。

　話したこともない母の顔を思い浮かべて、思わず苦笑した。
　母なら、きっとあそこで見つからず、あっさりと仕事を終わらせていた事だろう。
　残された記録を見ただけだけど……それくらいの事は、きっとやれたに違いない。

　まだまだ、届きそうにないなぁ。

　そんな風に、ぼんやり考えていると、視界の端のほうで扉が開くのが見えた。
　飛び込んでくるのは、小さな影。
　一瞬、どっちだろうと思ったけれど、髪の色でティアだと気づけた。

　すぐにのぞき込むように、ティアの顔が私を見下ろした。
　その顔はどこか顔色も好くなくて、不調が見て取れたけれど、それ以上に心配そうで泣き出しそうな表情が浮かんでいた。

　…………？

　ティアの口が動くのだけれど、なぜだか声が聞こえない。
　妙に思って思わず首を傾げたけど、そんな私を見てティアが怪訝そうにしたのを見て、ようやく気づいた。
　さっきから、あまりにも静かすぎる事に
　ティアの声どころか、物音一つ聞こえない。
　それは、あまりにも変だ。

　そういえば……。

　音だけじゃない。
　気づかなかっただけで、視界もおかしい。
　右側に対して、視野が狭い。
　どうやら、右目が……というより、視神経がダメになってるみたいだ。
　耳と目、匂いは……感じる。
　ティアの纏う暖かな森の匂いは確かに感じられる。
　けれど、触覚は特に右側がやたらと鈍い。
　味覚はわからないけれど、五感の大部分がまともじゃなくなっていた。

『もしかして聞こえないの……？』

　唇の動きを読みとると、どうやらそう言っているようだった。
　読唇でなく、読心したいところだけど、うまく頭が働かなかった。

　大丈夫、大したことじゃないよ。

　衝撃を受けたように青ざめるティアに、私は笑いかけて言った……つもりだったのだけど、それを見てティアはますます顔色を悪くしてしまった。
　もしかしたら、まともに喋れていないのかもしれない。
　それとも表情すら作れていないのか。

　その、両方なのかもしれない。
　言葉を失っているのか呆然とするティアに、私は唯一まともに動く左腕を伸ばした。

　泣かせちゃって、ごめんね。

　言葉になっているか不安だったけど、私はそう言いながら、ティアが泣きやむまで頭をなで続けた。

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※ちがいます。

さすがに恥ずかしくなって、大丈夫あぴーるを入れつつ。
落ち着いて挨拶をすませてから、話に戻ります。

本当ですよ、と、念押しします。

秘密じゃないという言葉を信じて、すごい突っ込んだことを聞いてきます。

　

　クロエは少し驚いたような表情を浮かべている