ぱちりぱちりと火の粉が爆ぜる。
　微かに煌き、儚く踊り消えていく火の粉をルベドはじっと見つめていた。


「考え事か？」


　不意に腹の上から問われて視線を向ければ、自分の腹に背を預けた主と視線が合った。
　先ほどまで新しい武器の手入れに余念がなかったのに、その紫の瞳は静かにルベドを見つめている。


「少し…な」


　あまりにも些細なことではあったのだが、喉に小骨が刺さったように引っかかるのは何故なのか。
　話せば疑問も晴れるだろうかと、ルベドは口を開く。


「……昼に、忍の御仁に毛繕いをされただろう？」

「……あぁ、おかげで明日起きられるか、自信がないくらいにふかふかだな」


　丁寧に梳られた胸元の毛はつやつやモフモフに整えられ、今までにない美しさだ。
　そのことに不満はなく、むしろ感謝の気持ちしかないのだが、どこか引っかかる…いったい、何が。


「あの小さなブラシの感触を、どこかで体感した記憶があるのだ」

「……えー？俺はないヨー？」


　右前足を枕に目を瞑っていたニグレドも会話に加わる。
　兄弟が体感していないということは、彼と別たれた数百年の間の記憶のはずだ。
　その間に、毛繕いを許すような親しい間柄になったものといえば―…


「…ああ、思い出した。家主殿だ」

「家主？」

「うむ。正確には、我ではなく護衛契約を交わしていた者の家主だったがな」


　キラキラしい容貌をした夜空色の髪を持つ男が脳裏に浮かぶ。
　そういえば、あの男も彼の忍とよく似た匂いをしていた。
　上手く隠していたし、当時の契約主をはじめとした周りの者は気付いていなかっただろうが、それでも自分のような獣には嗅ぎ当てられる残り香。
　血と、争いと、死の匂いとそして―…『始まり』の匂い。


「…そういえば、ルベドが俺のところに来るまで何をやってたのか、聞いたことなかったな」


　ほんの少し心が過去に遡っていたのを、主の言葉によって引き戻される。
　確かに、過去を話したことはなかったか。
　兄弟とは記憶も共有しているから、わざわざ言葉で語る必要がなかったせいもあるだろう。


「まぁ、凡そは兄弟と変わらぬよ。半身を捜し、封印を解く手段を探していた」


　その過程で知り合ったのが、言霊使いの少女だった。
　古き大妖の加護を受けた人間達の、生き残りだったモノ。
　縄張り争いに敗れて喰い尽くされた樹妖が、最後の霊力を与えて永らえさせた子供。
　ヒトであり、アヤカシであったモノ。


「じゃあ、その子とずっと一緒にいたのか？」

「うむ…だが、ここ数年あの者は深く眠ってしまっていてな…」


　人の魂と妖の魂、平和を望む心と復讐を望む心を同時に持っていた少女は、少しずつ眠る時間が増えていった。
　そして人の魂である少女が眠っているその間、彼女は狩り、喰らい、堕ちていった。


「アヤカシの姿をしたヒトなのか、ヒトの姿をしたアヤカシなのか、分からなくなっていたようだ」


　それでも、少女は彼女の、彼女は少女の手を離さなかった。
　同じ魂なのに別たれた者…寄り添い、けれど同化はできない歪な魂は、今もきっと眠り、嘆き、抗いながら生きているのだろう。

　この声が主へと届き、護衛契約を解消したあの時、よかったねと笑って送り出してくれた少女。
　出会った当初と変わらぬ屈託のない笑顔は今もまだ健在だろうか。


「いつか…主殿をあの子供に会わせてみたいものだな」

「え?!」

「なかなかに面白いことになりそうだ」


　これが我が本当の姿、兄弟、そして主だと告げたなら、あの子供はどんな顔をするのだろう。
　主をもとりこにした胸元の毛は、きっとあの子供も気に入るに違いない。


「いつか、叶うのならば…な」











　常とは違い、穏やかな目で仄かに笑う獣に、人見知りの主は喉まで出かけていた拒否の言葉を飲み込んだようだった。

（言葉を切ってカサネの影へと目を向る。現れたのは、額に角持つ猫科の獣――
ただしそれは、見知っていたものよりも大分大きく。
知った気配であるのと、カサネがその名を呼ばなければ、
同じものとは認識出来なかったであろう程に）

（気にするな、と、目を伏せ非礼を詫びたクレノへ、
どこか懐かしそうに微かに緩めた表情を向け）

＊

（櫛を手にした忍は、忍ゆえの凄まじい集中力を以て事に当たった。
時折モフモフ達の投げる言葉に『…うむ』『…左様でござるか』などと相槌を打ちながらも、
その手は休む事無く毛玉をほぐし、毛並を整え、時に地肌を掻いてやり――）

（――完璧な仕上がりであった。
終わった時には、この忍には珍しい満足げな声が上がった程に）

（獣達の主も何やらよく分からない事を口走っていたが、
獣と共に転げ回っている様子から喜んでいるのだろうと判断して頷く。
…実際どうしようもないツッコミ不在空間であった。コワイ！）

＊

（――モフモフトリミングの件から数日後――）

（待ち合わせ場所に現れた忍は、見慣れたお重ともうひとつ、
携帯用の頑丈そうな布袋に入った手荷物をカサネに差し出した）

（そう言って指した布袋には、キャンプ用品の様な飯盒と小鍋、飲み物用のカップ。
それからしゃもじ、小さなお玉などの付属品がコンパクトに収まっている）

（次は米を持参するから、実際に炊いて見せよう――と。
いつも米を恋しがっている青年とまたひとつ新たな約束を結び、その日は別れた）