※チキレ負けたバレンタイン分です。


好物の香りが階下から漂ってくるとあっては、足を向けずにはいられない。
この屋敷には年頃のお嬢さんが多いものだから、恐らくは彼女たちが仲睦まじくお菓子作りというところだろう。私は生きてこの方まともに料理をしたことがないので――それでも、コーヒーを入れるくらいは出来るが、とにかくまともに包丁すら持ったことがないのだ。花屋敷の厨房にも入ったことがない。
こういう時に匂いとは有り難いもので、それを辿っていけば少し奥まったところの引き戸まで辿り着く。中から談笑が聞こえてくるからここで間違いないのだろう。
引き戸を開けた瞬間、中でも身のこなしが一番早いカレンがとんでもない速さで私を制した。今まで笑いながら混ぜものをしていたのではなかったか。
「ダメです！　出て行ってください！」
頭からそう否定されては驚くのも仕方ない。私は少し笑いながらも（何故か分からないが、笑えてしまったので）その訳を尋ねてみる。
「おや、見てはいけなかったかい？」
「お嬢様からそう言われておりますので！」
当のお嬢様は賛同半分、申し訳なさ半分といった顔なのだが生憎背を向けているカレンには分からなかったようだ。さらにはトーカまでもが手を止めてこちらに近づいてくる。
「ユーくん、こういうのは分かってても入ってこないのが筋なんだよ？　だから男は入っちゃだめー」
「こういう……何かあったかな。思いつかないのだが」
トーカは何を言っているのだこの男は、と露骨な顔で驚いた（音読出来るくらい、そんなセリフが顔に書いてある）。そうは言っても思いつかないものは仕方がない。男性が接触できない催しものや風習など、そのようなものがあっただろうか。
横のツグミもいまいち分かっていない様子だった。分かっているのならば、一言言わないまでもこちらを見るくらいはするだろう。

「いいじゃない。私が面倒を見ててあげるから」
椅子に座ってそう言うのは真那霞だった。皆一様にエプロンをつけているけれど、真那霞だけは手伝っている気配が微塵も感じられない。
「まな姉ー」
「きっと本当に知らないのよ。文化の違いというものかしら」
「うっそお、バレンタインを知らない人とか居るの？」
トーカはそこまで言って、しまったと慌てて口を噤んだ。彼女は本当に見ていて分かりやすい。
バレンタイン――そこまで言われれば多少は物事が分かってきた。勿論知らない筈はないが、私の知っているものと少し違うようだった。
「流石にサン・ヴァロンタン――ヴァレンタインは知ってはいるけれど……男女で違いがあるものではなくってね。お世話になった人、好きな人、まあ何でもいいけれど……そういう人に贈り物をする日なんだよ。日頃の感謝を込めて」
「えっ、バレンタインって女の子が男の子にチョコをあげて告白する日でしょ？」
色々限定されているヴァレンタインもあるものだ。――何故ショコラ限定なのか。

「そういう違いもあるものよ」
「じゃあ居ても大丈夫、だよね？　ほら、ユーグさんってチョコレート好きだし！」
ルクリの一言で何となく賛同が得られたので、真那霞の向かいに座って甘い匂いに包まれることにした。
面白いからセロには黙っておこう。

「マナカ。君は手伝わないのかい？」
「ええ。私は味見役」
エプロンこそつけているものの、全く手伝う気がないらしい。それで良いのだろうかと思わなくもないが、彼女の中やそれにお嬢さん達には了解が取れているらしい。
「君ならば、料理くらい出来そうなものだけれどね」
「出来ないわけじゃないのよ。……自分が食べるには大丈夫」
「どういうことだい」
究極の味音痴だとか何かなのだろうか。真那霞はひとつ笑ってみせると、私にこう吹っかけた。
「きっと貴方の嫌いな理屈よ。私も科学者とはいえ、魔術を使うのだから……魔術や魔力の話は好きじゃないでしょう？」
そういわれた瞬間、私の思考は急激に冷めてしまった。私が信じたくないものの一つに魔法や魔術があることは恐らく大体の人間が知っているだろう。ああ、と一言返すと真那霞は特に気にした様子もなく笑っている。
その笑い方が何か含みのあるものだったので――私は無言で、表情だけでその真意を尋ねてみせた。

「うん……？　ふふ、どうってことないのよ。貴方って、女性に嫌われるタイプなのかもしれない、と思って」
まさか女性関係に話が飛び火するとは思わず、内心慌てた。だが一応こちらにもプライドはある。
「女性関係が無かった、なんてことはないけれどね。むしろ引く手は多かったと言ってもいい」
実際その通りで、利益を狙ったかなど彼女たちの含んでいるものはさておき声をかけられることは多かった。
私もそれなりに女性は好きだから、教養のある女性ならば――関係を持つことに何ら問題もなかった。
「いえ、そうなんだろうけど」
真那霞は続ける。
「女心が分かってないというか……そうねえ」

「女性の方から近づいてくるんだけど、離れていくのも女性なのかもしれないと思って」
「何故そんなことが分かるんだい？」
言い終わったと同時にしまったと失言に気付いてしまった。真那霞はそんな様子の私を見て特に何も思わなかったようだが――


「今日はなんだか、皆失言が多いわね。……浮ついているのかしら。バレンタインデーだから」

どこか懐かしくなるようなメロディの歌だが如何せん歌詞が分からない……