【-音成さねども-メルンテーゼ・水辺近くの林】



草を摘む小さな音が、水の匂いの濃い林に響いた。
忍の指先が背の低い緑の葉を摘み取ると、檸檬の様な爽やかな香りが仄かに漂う。
自分の居た世界では山薄荷、などと呼ばれるものに良く似たそれ――
付近の斥候目的で分け入った林で、群生していたものをたまたま見つけた。
あちらではこの時期にはもう葉は落ちている頃だが、ここではまだ青々と茂っている。

あちらのものと、こちらのもの。同じ様でいて、けれどどこかが違う――
そういった物をこれまでも色々目にしてきたが、これもまたその一つなのだろう。
幸いな事に成分などは大差ない…少なくとも、害は無い事は自らで確認済みだ。
必要な分だけの葉を採ると、小さな布袋に収める。
乾燥させて、茶に使ったり焼き菓子に混ぜ込んだりといった用途に使うつもりである。

…実際の所、こうして足を止めてまで採る必要が特にあるもの、という訳ではない。
これ自体で食料になる訳でも、また食料の保存に使えるという訳でもなく。
言ってみれば、単なる嗜好品の類。
それでも、その葉はそれを目にした忍の足を止めた。

――『あれ』以降、龍貴は声を失ったままだ。

外傷によってではなく、それは恐らく龍貴自身の心に因るもの。
まさか敵の呪（まじな）いでは、とも一瞬思ったが、そういった様子は見受けられなかった。
激しく揺さぶられた心の影響が、彼の声を封じるという形で現れたのだろうと思う。


『そういった事も、まま有ると聞く。心の在り様次第で、いずれ戻るという事も』


――だから、気に病むな…とは言う気になれず、そこで言葉を止めた。
気に病まない訳が無かろうな、と思う。
それを分かっていながら口にした時の己の嘘臭さは、かえって龍貴の気を重くしただろう。
今の所、―勿論気落ちしている感は否めないが―声が出ないという事以外では、
龍貴の振る舞いに大きな変化は無い。
しかし時折、人目に付かぬ場所で喉に手を当て身を震わせて――
そうして、それでも出ぬ声に、泣き出しそうに眉を寄せる姿を忍は何度か目にしていた。


（…山薄荷の清しい香りには、心を安らがせる効用がある。
ほんの気休め、とはいうものの…それが多少なりと気を休ませるものならば、それで良い）


心の中でそうひとりごち、葉の詰まった布袋を懐にしまう。
程無くして忍は、静かに元の道へと戻って行った。

『もちろん』と答えが返ってくると思っていたので、巳南のその反応は意外だった

そう言うと、飴玉を差し出した
感情の機微に疎いなりに、気を使っているらしい

もう少しマシな本を選んで読むべきなのだろうが、
取捨選択するだけの知識もないのだった

賭場じゃないよ！

巳南の話に途中まで難しそうな顔をしていたが…

（『影渡り』かとの言葉に、軽く目を見開いて）

（忍者が何か言葉を飲み込んだ様子に、微かに首を傾げた。
エンブリオのことで気になることでもあるのだろうか…と、口を開こうとするが）

（ガッとそれぞれの鼻口部を掴み、「余計なことを言うのはこの口か！」と叱る主と
きゅんきゅんひゅんひゅん鼻鳴きして許しを請う犬達の遣り取りがしばらく続く。
何かを聞こうとしたことは、カサネの頭から吹っ飛んだようだ。）

地下牢で手に入れた護符を忍に預けた。