華奢な身体の青年が、同じく華奢な少年に、絵本の読み聞かせを行っている。

「……アリス、だいじょうぶ、なの？」
「大丈夫、っていうのは？」
「こんな、おおきい、あなに、おちたら、しんじゃう、と思う……」

何も知らない者には、ただの微笑ましい光景にしか見えない。

「大丈夫だよ。アリスが今いる世界は――」

「私」だって、そう思って流していたことだろう。

「……、そうだね。こんな所から落ちたら、危ないかもしれない。
だからね――信じてあげて？　アリスはここから落ちても平気だ、って。信じれば案外、夢は叶うものだからね」

青年――ミラルカ・ハウダニットが、少年――ファイに恐怖を覚えていることを知らなければ。

私がそれに気付いたのは、大廊下での戦闘を終えた後のことだった。
戦いの場から引き上げる途中であったミラルカが、ファイに対して一歩引いているように見えたのだ。このような反応を示す者は、大抵目の前の対象に恐れを抱いている。長年人間観察ばかりをしてきた経験から導き出した結論だ。
ではなぜミラルカがそのような感情を持ってしまったのか。その理由は恐らく一つではないだろう。だが、この戦いの前に起こった数日前の出来事も関係していると私は推察していた。

あの日、私は誰かに見られないようにこっそりと、ユニコーンを探していた。ファイの前にはもう現れないという事実を知らずに、だ。
一部を除きエンブリオというものは、この世界に来た日数を重ねていくと、いつの間にか姿を見せなくなるらしい。その事実に身体の主導権をファイに返してしばらく経った後だった。

何故探していたのかというのは至極単純、母が悲しむからだ。母はファイを愛している。だからファイの成長を阻害させる出来事や存在は出来る限り排除しなければならない。私がここにいるのはこの役目をきちんと果たすためでもある。

何度も、何時間も色々な場所を探しているうちに、いつの間にか人目につきやすい場所に移動していた。そうなれば、確実に他人から姿を目撃されてしまう。だが、ユニコーンを捕まえられないことに対する苛立ちと焦りを感じていた私は、姿を隠すことを失念してしまっていた。

「……ユニコーンは、いませんね」

思わずそんなことを呟き、ちらりと後ろを見た。すると誰もいないと思っていた私の目に、人影が映った。その容姿から、私はその人物がミラルカ・ハウダニットだと気付き、慌てて空中に浮かび身を隠した。
そして木陰に移動して、念のためミラルカの様子をじっと観察する。彼は不思議そうにしながら、その場に留まっていた。ファイを探しているのだろうか。なんにせよ、これ以上の問題はないだろう。
そう結論を下した私は、自分自身に対する不甲斐なさを感じてため息を吐きながら、そっとその場を離れた。

意識を現在に戻そう。
私はこの事態を危惧している。私だと認識された状態で私自身がどう思われるかはどうでもよいことだが、私とファイをひとくくりにされた状態で、私が独断で行った行動からファイという存在に悪影響を与えるようなことは、本来あってはならないのだ。
できるだけ他人から認知されず、ファイの成長を手助けすること。それが緊急用の人格役として、監視役としての務め。母から任されたことはきちんとやり遂げなければならない。

自分への恐怖を感じさせてしまうことは、相手と良い関係を築く上での障害としかならない。しかし、
恐怖を払拭させるにはどうするべきだろうか。私が表に出るという方法は使えない。それは余計な混乱を招く事態になりかねないからだ。
だがファイだけの力ではどうすることもできない。そもそもミラルカにどう思われているかということを気にしていないのだから、それ以前の問題である。
ならば取れる方法は――ファイの意識を少し誘導する。これだとファイがどんな行動をするかはわからないので、悪い方向に行ってしまう可能性もある。そうだとしても、今の私はこの方法を取るしかないのだ。

当たり前なことだが、私だけの力ではファイの考え方を変えることはできない。魔法を使って強制的に、というのも不可能だ。ファイを作った科学者たちによって厳重に対策が施されているため、そんなことをすれば、私という存在が消えてなくなってしまうだろう。
だが、誘導することは可能だ。これは考え方を変えることにはならないので、前述の対策に引っ掛からない。……一、二回ほど試しに使った結果、相手が人ではないことを察知したファイが、相手にそのことで質問をするということが起きてしまったことはあるが。あれはファイが判断して聞いたのだから、私の考えに反していない、と思いたい。

さて、やると決めたからにはさっさと行動してしまおう。丁度割りこむにはいいタイミングでもあるのだ。
私は意識を集中し、ファイに語りかけた。





じっと見つめるミラルカにどう返答するべきか、とファイが自分なりに考えをまとめている。
そこに、唐突にその思考に割りこむ何かが出現した。
それはすぐに消えてしまったが、ファイの次の思考を変えるものとしては十分すぎた。





「んと……一つ、きになること、できた……」
「さっき、ミラルカ、なにか、かんがえてた、けど……
なに、かんがえてた、の？」

いつもの仲間と久しぶりに一緒に戦えることが嬉しいらしく、
そわそわと落ち着かない様子だ。

――尤も、見ない方がこの世界にとっては平和かもしれないが。

子供が争い事に巻き込まれる時点で、異常だ。

じっと身体を見てから、背後で黒い尻尾を揺らす。

じっと、目を見据えて。

おでこを軽くぺちっと叩き、少し距離を取る。
真面目なことを言っているのが性に合わないらしく、足をぶらぶらとして、恥ずかしさをごまかそうと、ふらりふらりと周りをうろつく。

そう言い、にっこりと笑う。

そう言って背中からゴレムを出現させる。どうやら似ている奴と言うのはゴレムの事らしい。

皆、口々にいろんなことを言う。

少し言うのを躊躇ったような沈黙の後、青年は続けた。

　つたなく文字を書いてみせる少年を、微笑ましく見守る。
　外見年齢よりも、ずっと年若い童のように感じられた。

　尾を撫でさせながら、髪をくしけずる。
　反応がいちいち愛らしくて、自然と頬が緩んだ。

　軽く持ち上げてみれば、さらさらと零れる。目を細めて微笑んだ。

　云いたくないなら応えずとも良いぞと前置いて、尋ねた。
　しかし、まずは彼が何者なのかを知らねばなるまい――。

ファイの言葉に少し眉を顰めたのは、それは自分が生まれ育った研究所と似た風景だったから。

目が覚めたらいつの間にかここにいた、それは仲間の妖狐ツヅミから聞いた話と一致する。
何かファイもよくないことに巻き込まれているのじゃないといいのだけど、と思わず不安になり。

新しい発見が沢山あってきっと楽しいからと微笑み。

言うとファイの頭に手を伸ばしてそっと撫でようとし。

貴方からの視線に彼女は少しトーンを落ち着かせて話す

彼女は貴方の頭に軽くポンポンと手を置きながら話す

複雑な表情でそう呟く。
この少年はユニコーン狙いだったのだから、そりゃあ残念だろう。
そんな風に思っていた矢先、問いを投げられ思わず言葉に詰まる。

そんな無難な返答を返した青年である。

まさか『喰った』とはいえない。
無難にそんな返答を。

紗智はそっと手を伸ばし、頭を撫でようとしている。

そう言って貴方の頭を優しく撫でます。

バン！と一発、少年に当たらぬギリギリの方向に引き金を引き、青年はそのまま銃を懐へと戻した。

警戒心を解いたのか、青年はぶっきらぼうに自己紹介を行った。

シオンがファイに向け、幾つかの球体を動かした。
球体達はそれぞれ色めきながら、シャボン玉のようにゆらゆらとファイに近付いていく。
触れば、それはゴムボールのような触感を彼に与えることだろう。