「何を求めてここに来た。ここは既にほぼ人の世界に非ず・・・」
　声の主を噛み殺す。悲鳴は聞こえず、ただ肉を食い破る音だけが響いた。

「早くォオオ・・・逃ゲ・・・ゲ、ゲ・・・・・・」
　続けざまに、声の主を斬り殺す。
　飛び散る血液。血の色は絵の具のような緑色をしており、眼前の化け物が何処までもマトモではないことを示していた。

「儚いものだ・・・・・・」
　声の主は、先程食い千切った化け物だった。首だけになりながら芋虫のように這い、声を漏らしていたのだ。
　僕はそれが酷く気持ちの悪い物のように思えたので、千切れた生首を踏み付けた。





「ご馳走様でした。」
　口元に付着した血液を白い布で拭う。

　ヒュドラ――数多の首を持つとされる、海蛇の化け物。その存在は"悪魔"と呼ぶに差し支えないはずであったが。

「やっぱり、記憶は流れ込んで来ない、か……」
　血液を口にする度に得ていた、敵の記憶。それがここ数日、全く発生する様子が無かった。




　そんなラケルトの言葉を思い出し、足元の死体に目をやる。
　――否、死体と言う呼び方は適切ではない。このヒュドラやリッチは、生きてなどいなかったのだから。
「……ああ、なるほど」
　得心したとばかりに手を叩く。
　“そもそも、人工物に記憶はない”のだろう。考えて見れば当然のことだ。物を思う書き物机は存在しないし、日記は人の手に触れることなくして物事を記録することはないのだから。

「人造悪魔の研究所、か」
　思えば、研究所への扉を守っていたらしいファルマという女。あれは恐らく、悪魔創りに関係していた人物だったのだろう。
「血、吸っておけば良かったかな？」
　人間相手に血液を吸ったことは今まで一度たりとも無いが、試せば何か、ファルマの記憶を読み取ることも出来たかもしれないと言うのに。

　――こんな風に考えてしまう自分は、心まで化け物になってしまったのかもしれないと思った。
　
　　　　　†

　エヴォル・メダルドゥスは、溜息を吐いた。
「勘弁して欲しいよね」
《何です、どうしましたエヴォル》
　そんなラウラの問い掛けに、座椅子をくるくると回転させながら答えた。
「以前、少し話をしていただろう？　――内通者の出処が解った」
《……ふぅむ？》

　緩やかになっていく、座椅子の回転。
　ブ ル ー ク ロ ス
「青い十字架。“吸血鬼排他的人間至上主義集団”の中でも、特に過激な殺戮部隊だ」
《――！》
　ラウラが息を飲む音が、通信機越しに伝わる。
　そんな反応もどうやら予想していたらしいエヴォルは、肩を竦めてこう言った。
「内通者は三人。一人は既にこっちで確保したよ。職員の中に、データを無断で閲覧していた奴が見つかったんだ」
《残る二人は？》
「一人は不明。捕まえた鼠も、詳しくは知らされていなかったみたいだね。もう一人は、名前だけ把握している」
《ほう？》

「年若い女らしいよ。名前は――――ダンテック・ノエル」

《……聞いたことがない名前ですね？》
「そうだね。構成員としては末端もいいところ。情報の横流しは、主に一人目の内通者が行っていたらしい」
《なるほど。然しブルークロスとは、また厄介な》
「だから悩ましいんだよね。下手を撃てば、ボクらが“フリージア”に蜥蜴の尻尾切りをされてしまう。青の十字架は、敵に回すには規模が大き過ぎるからね」
《上手くやり過ごすか、秘密裏に処理するしかないでしょうね。――ところでエヴォル》
「うん？　何だい？」

《捕らえた鼠の処理は、どのように？》
「丁重に扱ったら、秘密を全部喋ってくれたよ」
《ああ、丁重に》
「そう。丁重に」

　エヴォルは毒々しい蛍光色の液体が入ったフラスコを手にすると、「そう。丁重にしていたら、案外正直に喋ってくれるものさ」と言った。
　それを聞いたラウラは《よく平然と言えますね、このマッドサイエンティスト》と、それを揶揄した。

　　　　†

　
自らに言い聞かせるように呟く目の前の少女。

　
ですが、と少女は笑みを崩さずに続ける。

　
少年のわずかな表情を感じ取ったのか、少女は心配そうに彼を見つめている。

視線を斜め下に落としながら男は続ける。

男は再び目を軽く閉じ、呟き始める。

場面が変わり、アリスが穴に落ちていくところになった。