流れる琴の調べと皆の笑い声。
　華やかな宴席の中心で、一段高い場所に座った青年の元に、素焼きの瓶を持った、家の主らしき立派な身なりをした男がやってくる。

「？　どうされました？　当家の酒はお口に合いませんかな？　」

「いや、失礼……どうも山で身体を冷やしたのがいけなかったのか、酒を飲むと腹の中がじくじくと痛みまして……此度は私の為にこのような宴を催していただいたというのに、真に勿体ない思いです」

　青年が手を付いて深々とお辞儀をすると、家の主らしき男は瓶を傍らに置き、恐縮したようにお辞儀を返す。

「おお、それはそれは……御身はこれからこの国を背負って立つ大切なお身体ですからな……」

　男は手を叩いて下女を呼ぶと、茶の用意を命じた。




「すっかり遅くなってしまったな」

「あの方はお話し好きで有名ですからな。まぁ、今の都であなた様の話を聞きたく無い者を探せという方が難しいでしょうが」

　夜半宴席からの帰り道。そんな他愛のない事を伴の者と話しながら、青年が屋敷への道を行く。

「ささ、今宵は月も無く、霧まで出てまいりました。足元にお気を付けを……」

　夜空に月はなく、ふと、足元を見ればあたりには膝くらいまでの霧が立ち込めている。

（霧？　）

　青年が何かに気付いて腰の刀に手をやった刹那、小さな風切音のあと、先頭を歩いていた伴の者が肩を抑えて地面に蹲る。

「火を消せ！！　弓矢の的にされるぞ！？　」

　響く叫び声に従者が一斉に蝋燭を投げ捨てる……

（！？　今の声っ……しまった！！　）

　地面に投げ捨てられた蝋燭が次々に何者かに踏み消され、踏み消される毎に闇が濃度を増す。

　従者達は青年を中心に背を向け、腰の刀を抜く。

「あのさぁ……万全の状態の１対１で互角だったんだから、もう、今日のところは引いとけよ。さっきの矢がツナちゃんに当たらなかった時点でお前の負けだっつーの！！　勾玉も割ったし、刀も取り上げた。今日はこんだけ伴の者もいる。今、お前にツナちゃんに勝てる要素が無いわけじゃん？　」

　青年が闇の中に潜む者に、そう告げるも闇の中から答えは無く、周囲は闇に包まれたままだ。
　刹那、従者の悲鳴があがり、１人、また１人と青年を包む壁が引き剥がされていく。

（！？　馬鹿な……こいつらだって相当の手練れだぞ！？　）

　本能的な恐怖を感じて青年が咄嗟に飛び退くと、一瞬前まで青年の首があった場所を鋭い風切り音が通過する。

（まさか……この暗闇の中、あっちにはこっちの位置を確認する術がある！？　）

　あまりにも正確に首を両断すべく放たれた一撃から、青年のあらゆる感覚が激しく警鐘を鳴らし、どっと汗が噴き出る。
　新月の夜のこと、曇天で星明りすらなく、目を凝らしても、ただただまぶたを閉じているかのような、漆黒に塗り潰された闇が広がるばかり。

（音か？　臭いか？　それとも夜目がきくのか？　何にせよ獣じみてやがる）





　恐怖、いやさ武人としての経験・勘がただただ「逃げろ」と指示を出し、それに弾かれるように青年が真っ暗闇の中を走り出す。

　すぐ背後なのか？　それとも刀の届く位置からはまだ遠いのか？　走りながらでは皆目見当がつかないが、ただひとつ確かなのは足音が背後に迫ってくるという事。

（やっべぇ……鬼ごっこでは確か一度も勝った事無かったよなぁ）

　この暗闇の中であれば、逃げる方が絶対的に有利に思えるが、それは勿論追う側に追われる側が見えていない場合の話。

　相手にこちらが見えているのであれば……それどころか足元すら見えているのであれば、真っ暗闇の中を足元も、先に何があるのかもわからずに盲滅法逃げている側が絶対的に不利なのは自明の理。

（考えろ！！　このままじゃ絶対逃げ切れない……考えるんだ！！　）






　ここは、昼なお暗い森の中の洋館…ダンウィッチホテルのスイートルーム…

　豪奢なスイートルームの現在の主は、来客が誰かを聞く事もせずに、ベッドの上に寝転んで眺めていた雑誌から顔を上げ、扉に視線を移す。

　ソルトは治療を受け、特に見える個所に外傷があるわけでもなく、シルエットが変わっているわけでもない。

　ソルトはツナの観察力に、心の中でほうと感心する。

　ツナはベッドから飛び降りてテーブルの上の呼び鈴を振る。
　すると、扉の前で控えていたのか、音も無く扉が開き、先ほどの妙に特徴に乏しいメイドが顔を出す

　メイドはスッとお辞儀をしてやはり音もなく扉を閉めて去っていく。
　程なくして紅茶の用意が整うと、ツナはソルトが持ってきたカップケーキを齧りながら、ソルトの報告を受け始めた。

いそいそと音響機器の準備を始める

ぺこり、と一礼。
その服装も、仕草も、態度も、「一般人」のそれであった。
このような場所に大荷物で来ることも、武器を携帯していないことも、やはり場所にそぐわない異物感を与える。
ただ一つ、その大荷物を、まるで空容器でも運ぶように軽々と持ち上げている点だけが、彼女を異常たらしめる要素だった。