そんな風に始まった共同生活だが、この数日の間は荷解き（本当に届いていた。断られていたらどうするつもりだったのだろう）に時間を割くことも出来ないほど忙しく、その実感を得ることはほとんどなかったと言ってもいいだろう。

ここのところ激化する城攻めのせいで、<庭園>に帰ってくる頃にはこれから何かを始めるには厳しい時間になっていた。
もっともレンツがどんなに遅く帰ってこようとも、“彼女”は明かりを消さずに待っていてくれているのだが。

全ての冒険者がそうとは言わないが、世界を渡り歩く冒険者には帰る家を持たない者が多かった。レンツもその一人だ。

だとしても『自分は独りだった』とは、思わない。――顔を合わせれば笑い合う仲間は、沢山いたのだから。
けれど今の環境が新鮮で、そして決して悪いものではないと思っていることも、事実だ。

閑話休題。
そう言った訳で、この久しぶりに空いた今日という日を使い荷解きを終わらせ、そして今現在はナルを探していたところだった。

どうやら<庭園>の長に挨拶をしにいく必要があったらしく、レンツの暇が出来た時に共に行くつもりだったらしい。
『荷解きを終えたら、声をかけてください。』と事務的な口調で告げ、この広い屋敷の何処かへ消えていったのが一時間前の話だ。

広すぎる廊下を歩きながらそんな思案を巡らす。
……誠に不本意ではあるものの、これ以上貴重な休日を浪費するのはレンツにとっても、ナルにとっても有意義ではないはずだ。

そう思い口に手を添え、さあなんて叫ぼうかと考えていたところに、ある扉が目に入った。――半開きになっている扉である。

片方の扉を勢いよくあけ放つが、部屋の中には本棚があるだけで彼女の姿は見られない。
部屋の中央に木製のテーブルが置かれ、それを囲むような形で壁沿いに本棚が設置されている。死角はなく、やはりここにも彼女はいないようだ。

どうやらこの部屋は書斎として使われていたのだろう。勿論現在の住人ではなく、昔住んでいた住人に、だ。

指南書、歴史書、娯楽書、等々……配架された本に指を滑らせ順に題名を読み上げていっていると、一冊の本で指が止まる。

本棚の端に収まっていたその本は、一見隣に並べられている本と違いはない。――違いはないというのに、しかしそこに収まっていること自体が違っているかのようなちぐはぐな感覚を感じる。題名は……、

もはや当初の目的――ナルを探すということだ――を忘れ遊んでいるようにしか見えないだろうが、別に忘れた訳ではない。
しかしこれだけ探して見付からないのだから、あちこち動かず向こうに見付けてもらうのを待つのも悪くないだろう。

本を手に取り、表紙を見る。
やはり題名はなく、装丁も他の本とさほど相違ない。


ぺらり

変異。被害。世界間通信。分割世界。アンジニティ。――『セルフォリーフ』。

呼び水となったそれらが、絶対の記憶の水底から情報を引き上げる。


『――ハルトムート。
セルフォリーフの英雄、ハルトムートだ。』

そして、引き上げた代価を求めるように。
発作が、脳を襲った。



ばさっ、


何度経験しようと慣れることのないその痛みに、とっさに頭をおさえようと本を手放し落とす。
だがこの発作は比較的軽い。この前のように悪化しなければ、おさまるはずだ――！！

その呟きはもはや祈りだった。痛みに蝕まれた自分に出来ることはそれしかなかった。
いっそ頭の中身を床にぶちまければ、と思うほどの痛みが脳を駆け巡る。

しかしはからずもその祈りは、確かに届くこととなる。

扉を閉じた記憶はない。だから呟きが部屋の外に漏れたのか、半分開いた扉からナルの顔が覗く。――このタイミングで。
当然ながら、床に転がるこちらを視認すると彼女はすぐさま駆け寄ってきた。

ずきん。


表情には笑顔を貼り付ける。声は笑いで誤魔化す。
痛みも幸い引いてきた。そう己を偽れ。

口では謝るものの、彼女の訝しむ感情がこちらを向いていることは解る。
だが追求する理由を封じられたからだろう、無理矢理気を逸らすように落とした本を拾い、目を向ける。

――？
視線が、本に固まっている？

そうだ。あの本には何故か題名がなかったのだ。
先程の硬直はそれだろう、何せ自分も同じような反応をしたのだから。


ずきん。


まったく、痛みは頭の回転まで鈍らせる。

『わかりました。』と抑揚のない言葉を告げ、背中を向けるナル。どうやらやり過ごせたようだ。
発作の痛みもかなり落ち着いてきた。今回も事なきを得た、と考えていいだろう。

先程の単語とカメルから聞いた話は一致している。あの本は、英雄が救った世界――セルフォリーフのものだろう。
考えてみればあの本がここに存在していても何ら不思議はない。メルンテーゼもまた、セルフォリーフと同じように他の世界から救援を呼んでいるのだ。

そしてきっと、英雄――ハルトムートのことが書いてある筈だ。

ナルの声でふと思い出す。
そういえば、あの本に出会えたのは、元はと言えば彼女を探して書斎に辿り着いたからだ。

まぁ、発作を起こすなど酷い目にはあったけれど、
一応彼女に、ナルに感謝してもいいのかもしれない。

――これも共同生活のおかげか。そう考えながら、彼女の後を追いかけた。

（がりがりと頭を掻きながら、顔をしかめている。）