斬り過ぎた。
そう思った時にはもう遅かった。

小娘の首から、霧のように細かい血飛沫が飛び、狂骨の顔を斑に染めたかと思うと、
すぐに傷口から凄まじい勢いで血が流れ出した、ぼこぼこと小さな気泡が混じっている。

小娘は後ろから抱くようにして首に当てられた刀を脊髄反射で跳ね除けて、狂骨の懐から飛び出した。
床に転がり、目を見開いてのたうち回る。小娘の小さな手では首から噴出す血を止められない。

声にならない声が穴の開いた気管から漏れ出して、漏れ出すたびに、滝のような血が霧になって噴出した。

狂骨は大きく舌打ちをした。
ここまで深く斬るつもりでは無かった、これは致命傷になる。
殴っても蹴飛ばしても罵っても、父の死骸に縋って静かに泣くだけの小娘に、
首の浅い所を斬って死を間近に感じさせてやるつもりだった、
ここまで斬ってしまうとそれ所では無くなる。

何より、気管まで斬ったせいで、小娘は碌な声をあげられなくなっていた、それが何より狂骨を苛立たせる。

女子供の命乞いは、狂骨の嗜虐心を煽り、無い筈の心臓が初恋のように昂ぶる、
女子供の今際に上げる絶叫で、狂骨は嗜虐心を満たし、絶頂へと到るのである。

つまる所、狂骨は声を上げない女にはそそられ無かった、物足りないのだ。

「豚が」

吐き捨てるように言って、苦しむ小娘の頭に刀を突き刺した、
小娘の体が一瞬、びくりと反応し、それからすぐに動かなくなった。

刀を引き抜きながら、外に繋がる扉を憎憎しげに睨みつける、

外から聞こえる声、多数の人の気配、それが刀を持つ手を狂わせた。

「狂骨。」

名を呼ぶ黒丸を目で制し、足音を立てずに扉へ近付く。

もう追っ手が来たのか。鹿矢達は、碌に時を稼ぐ事も出来なかったのか。役立たずめ。

行き場の無い、燻った劣情が、苛立つ思いとなって頭の中を逡巡する。

「おうい、開けてくれ」

扉の覗き穴を見ようとした瞬間、その向こうから男の声が聞こえる、
狂骨は動きを止めて、聞き耳を立てた。

「例の骨が脱走したんだと、こっちに来るかもしれねぇから皆で固めとけってさ」

そっと、覗き穴を見る。
軽装の肥った男が扉の前に陣取って喋っていた、
その後ろで囲むように数十人の男が並んでいて、皆軽装だが鍬や鎌等で武装している。

斬り足りない、ふと思った。
小娘の首を斬った感触がまだ手に、刀に、残っている。

「おうい、どうしたんだ？」

扉が叩かれた、刀を持つ手に力が入る。

「入るぞ」

扉が開いて、狂骨はほくそ笑んだ。
開いた扉から入る光りに照らされた狂骨を見た男は、扉の取っ手を掴んだまま驚愕していた。

刀を構えて、突っ込む。刀は、男の腹を容易く貫いた。耳元で、男のくぐもった呻きが聞こえる。

もっと、聞きたい。激痛に喘ぐ人の声を、怨嗟に沈む人の声を。

体一杯に浴びたい、真っ赤な血を、湯気が出るほど暖かく、生臭い血が、体を真紅に染めるまで。

「あいつだ」　「出たぞ」

表の男共が口々に喚きたてる。うるさい、黙れ。邪魔をするな。
久々の人斬りだ。もっと楽しませろ。味わわせろ。堪能させろ。

黒丸が戻った今、恐れる物等何も無い。
鬱憤晴らしだ、斬って斬って斬りまくってやる。草根の相手はもう飽きた。

腹に刺さったままの刀をぐるりと半回転させる。
堪らず絶叫を上げる男を無視して、横に薙ぐようにして男の体から刀を取り出した。
腹肉と臓腑を切り裂かれた男は、地に落ちて、芋虫のように蠢く。

倒れた男を踏み越えて、小屋の外に出る。
男の脂肪と血に濡れた刀が陽の光に照らされて、てらてらと光る。

「無茶をする、また捕まるぞ。」

「黙れ　黒丸」

何が、無茶なものか。

男共は、ざっと見て二十人。しかし、各々武器を構えたままじりじりと後退している。
誰も掛かってこようとしない。こんな腰抜け共相手に、何が無茶か。

"左目"が、ずきずきと痛み始める。怨みが、体に染み込んでいるのだろう。
誰のものだ。最初に斬った男か、小娘か、足元の豚か。

「う ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ ひゃ」

狂骨はつい、笑ってしまった。

怨まれれば怨まれる程、自分にとっては都合が良い。
死して尚、怨めしい相手の糧となる、どれほどの屈辱なものか。

「うわあああああああああ！！！」

一人、恐怖に耐えられなくなったのか、若い男が鎌を片手に突っ込んでくる。

軽い動作で、鎌を持つ手を斬り落とし、返す刀で首を飛ばした。
血飛沫があがる、大量の返り血が、狂骨の真白い体を赤に染めていく。

落ちた首が、こちらを見たままぱくぱくと口を動かしているのを見て、また笑う。
落ちた首を拾い上げて、渾身の力で投げつける。

首は、遠巻きに見ていた男の一人に、不運にも当たり、その男の脳漿をぶち撒けさせた。

それを合図にして、刀を構えて突っ込んだ。
男達は、逃げない。踏みとどまって、狂骨に打ちかかって来る。

馬鹿が。

小さく口に出して言った。

正面にいる一人を、まず草を刈るように薙いだ。
下半身が腸を零しながら崩れ、間抜けな顔を付けた胴体が支えを失って落ちた。

両脇から、二人が鍬で打ちかかって来るのを、二本の腕で受け止めた。
関節が軋むが、この程度、問題無い。

両方の鍬を、男諸共押しのけ。
よろける男の片割れの、首根を掴み、刀を持つ手でぶちのめした。
もう一人が体勢を立て直して、再び打ち掛かる、それを、手元の男を盾代わりにして避けた。

男の背に突き立った鍬。悲鳴。苦痛の顔。愕然とした顔。

手元の男の腹から、その後ろの男まで、刀で串刺す。
二人分の血が流れる振動が、刀を伝って右手に響く。

後ろから、土を蹴る音。右目を回して見る。
小柄な男が後ろから襲い掛かってきた。得物は剣。

「死ね！」

鋭い突きが、狂骨の体を貫く。
剣は、胸骨の隙間を綺麗に通って貫通していた。傷はどこにも付いていない。

「救いようのねぇ阿呆が」

頭骨を後ろに回して睨みつけた、男は既に剣を手放し背を向けていた。

首骨を、蛇のように伸ばし、うねらせ、逃げる男の首筋に噛み付いた。
悲鳴を上げ、もがく男をお構いなしに、噛み千切った。また、血の噴水が一つ出来る。

口に残る肉と血を吐き捨て、長く伸ばした首骨縮めながら、辺りを見渡す。

もう、掛かって来る者はいなかった。また、怯えた目で遠巻きに見ている。
繋がれた、二人の男の体から、刀を抜く。

気付けば、辺りは噎せ返るほどの血の臭いで満ちていた。

首無しの死体や。とぐろを巻く赤蛇のように地に零れた腸。
大量に流れた血をもはや土が吸い切れず、血溜り幾つも出来ていた。

宛ら、地獄のような惨状を見て。狂骨は、興奮した。

この惨状を形作っているものは、少年でも、少女でもなく、男である。

普段なら、歯牙にもかけぬ、男の死体。
女と違ってただただ臭い、男の血臭。

いつものように、手酷く痛めつけた訳でも無い。それでも、興奮していた。

人肉を斬る興奮、恐れられる興奮。

打ちかかる者皆なぎ倒し、殺す。自分が絶対的強者である事への興奮。

持て余していた劣情が、徐々解放へと導かれていくのを感じる。

かかって来い、怯えるな、逃げるな。
もっと味わわせろ、もっと興奮させろ。

血をもっと浴びたい、血をもっと嗅ぎたい。

もっと。もっと。もっと。もっと。

興奮と比例するように"左目"の、痛みが増す。
左眼窩が鋸で切り裂かれる様な、ずきずきずきずきと断続した、強い痛み。

"呪い"も興奮している。もっと血と怨みを浴びさせろと言っている。

そう思った。


一歩踏み出す、男共がびくりと後ずさる。泣き出している者すらいる。


笑った。笑う。思い切り笑う。

飛び掛る。

死ね。俺のために、死ね。


ぼんっ


重い破裂音がして、狂骨の視界は真っ黒に染まった。

何が起きた。

そう、言おうとして、狂骨は自分が地面に倒れているのだと気が付いた。

どうして。

考えた瞬間、目に、顔に、頭に、違和感が走った。

痛む。痛みだ、これは。痛む。痛む。
先ほどまでの比では無い、尋常じゃない、凄まじい、痛み。

"呪い"か、これは。"呪い"の痛みか

今までも、正気を失うほどの痛みを"呪い"はもたらした。それ以上の、強い痛み。
失うはずの正気が、一週回って鮮明になるほどの痛み。

頭骨が手で真っ二つに裂かれるような、両側から押し潰されるような、途方も無い痛みが襲っている。
地べたに手を付き、立ち上がろうとするも、視界が揺れて、上手く行かない。

男達の雄たけびが聞こえる。

まずい。殺される。男達に。

いや、死ぬ。痛みに。呪いに。殺される。痛い。嫌だ。


助けてくれ。死にたくない。怖い。誰か、助けて。

助けてくれ。助けてくれ。死にたくない。こんな所で。また。死ぬのは嫌だ。

誰か。誰か。

熱い。燃えている、何かが燃えている。燃やされているのか。俺は。

「落ち着け、狂骨。落ち着け。」

前方から、声が聞こえた。

揺れる視界を押えて、なんとか声の方向を見た。

赤く揺れる、炎の前で、赤い少女と若い男が、黒丸と共にこちらを見ていた。

「加勢が来た。立って、逃げるぞ。」

痛みを堪えて、のろのろと立ち上がる。

黒丸が動いた。

「どこにいく」

咄嗟に出た、自分の声が酷く震えていることに、愕然とした。

「先導する、こっちだ。」

黒丸は、音も無く、藪の中へと入っていた。
覚束無い足取りで、追いかける。

後ろから、二人が追い抜いていった。

ハーカ、鹿矢。

頭の中で二人の名を思い浮かべるも、すぐに痛みに潰されて見えなくなった。

何度も、足を縺れさせながら、懸命に光を追いかける。

遠い後ろのほうから、罵声と足音が聞こえる。

木に、左腕をぶつけた、ばらばらに散らばるも、気に留める余裕は無かった。

死にたく無い、その思いでひた駆けた。
逃れたかった、恐怖からも、痛みからも。

どのくらい走ったか、もう大分走った気がする、どこまで逃げれば良い。

走る脚の感覚が無くなっている、自分が走っていると知覚できるものは横を流れる景色だけだ。

限界だ。そう思った時、前方の光が動きを止めた。
それを見て、狂骨は地面に転がるように蹲った。

「追っ手の声が聞こえなくなった、もう平気だ。」

地面に蹲りながら頭を抱える、"呪い"の痛みは、最初よりは引いている、
しかし、まだ酷い。頭骨全体が、まだ痛んでいる。

「二人は、逸れてしまったな。まあ同じ方向に逃げたんだ、近くにいるだろう。」

黒丸の口調はいつもと変わらない、それが慰めの様に聞こえて、狂骨は酷く惨めな気持ちになった。
無様だった。無様すぎる、逃げ方をした。

この、"呪い"のせいだ。
狂骨は、あの"呪術師"の顔を思い浮かべて、怨んだ。
瞬間、鋭い痛みが頭骨に走って、小さく呻く。

「狂骨。場所を変えよう、あそこに酒場がある。人目に付くとまずい。」

顔を上げる。斜め向かいに、小さい明かりが見えた。

「いい」

「何？」

「酒が飲みたい」

「お勧めは、しないな。」

「うるせぇ」

よろよろと立ち上がって、明かりの方に歩いて行く。
気を紛らわせたかった、無様な自分を、早く忘れたかった。

"呪い"の"左目"に手をやる。

"連中"を一刻も早く血祭りにあげるため、刻み込んだこの"呪い"

あの時は、怨みを晴らすためなら、どんな諸刃も扱いこなせると、思っていた。
あの時は、怨みを晴らすためなら、どんな事にも耐えられると、思っていた。

しかし、実際は。

死の恐怖が、間近に迫ったとき、自分はどんな行動を取ったか。

死に怯えた、"呪い"に、恐怖した。

これが、あの狂骨か。

忸怩たる思いで自嘲する。

元の自分を、取り戻さなくては、怨みを、取り戻さなくては。


左腕が、かたかたと音を立てて戻ってきた。

左腕が、肩甲骨を繋がっても尚、暫く辺りに、かたかたと音を響かせた。

溢れ出ようとする薔薇のつたを手繰り、首を横に振る。

開いた両の手のひらから、薔薇の花が咲く。
指には薔薇の棘が生え、指先からは、つたが伸びる。
棘の生え口は傷だらけで、赤黒い肉が覗く。
だが。

血が見えない。

つたは少女の身体中に纏わり、棘が刺さった肌は熱を持ち、赤く、ぼんやり染まった。

ぼうっと瞳が一色に染まり、赤いガラス玉のような透明な目が、狂骨を見つめる。

気が付けば、少女が狂骨の指に、指を添わせていた。

視線は気にした様子もなく。むしろ肩を竦めた結果前面が見やすくなったくらいだった

赤い髪の娘は瞬きもせず、首元で光る刃を見つめ、人形のように硬直している。
ただ睫毛だけが、小刻みに震えた。

娘を捕まえた骸骨の言葉に目を閉じ、やれやれといった様子で大仰に首を振って見せた。
瞼を開いた、わだかまった暗闇のような双眸に小さな、灯がちらつく。

刀を突き付けられた娘を心配する風でもなく、世間話をするような口調で男は言った。