最近、花屋敷の奥まったところに書庫を見つけた。
誰の趣味で集められたものか、国籍も様々な本が並んでいる。

手に取った一冊の本は、手に馴染みのある洋書だった。
中を開け数ページ捲ってみると、驚いたことに母国語であった。
屋敷の中でそのようなものを見つけることは珍しかった。私はそのままページを捲る。



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人生というものは、初めから決められた量の運が割り振られているのだ。
自分の場合、それがとりわけ少ないに違いなかった。

夫婦になることを誓った女性は、自分よりももっと背の高く精悍な男へと靡いてしまった。
最後に振り向いた彼女の瞳はとても冷たく、まるで自分のことなど何も思っていない風だった。
いったい自分はどうすればよかったのか、と考えていると、時間ばかりが無慈悲に過ぎていく。
当てもなく、目的もなく、ただ歩みを進めていた。
街を抜け、街道を抜け、とうとう森へと足を踏み入れる。当てのない放浪だった。

「教会……」
森の中に佇む小さな教会が見えた。
救いが欲しいとも思わなかったが、足は自然とそちらへ赴く。今はただ、誰かの顔が、声が恋しかった。
森の中にあってもその教会は手入れが行き届いていた。扉や壁に蔦こそ生い茂っていたものの、それらは調和をもってしてそこにあった。
ゆっくりと扉を押し開くと、古めかしい軋んだ音がした。視線をようよう上げると、聖母像が微笑みをもって私を迎え入れた。
街の豪奢な装飾までとはいかなかったが、ステンドグラスがそれぞれの色に染めた光が降り注ぐ様は美しかった。
等間隔で置かれた燭台には満遍なく火が灯されていた。暗い室内で幻想的に揺らめく光。
それを見て初めて、私はその教会の異様さに気が付いた。

ステンドグラスを通して外光も入っている。さらに、蝋燭の火もある。それなのにこの教会は異常なまでに暗かった。
光が闇に吸われているようだった。大きく切り取られたステンドグラスの周辺は一番明るいとはいえ、それでも満月の月夜程度でしかなかった。
嵐の夜よりも深い暗さに、私はわずか以上に気味悪さを覚えた。
その暗さでありながら、蝋燭の光によって作られた自分自身の影は視認出来る程であった。一体どういうことなのか検討もつかない。
しかし、この教会だけが持つ光と闇の法則に従うより他になかった。そうでなければ、今自分がどこに立っているのかすら分からない。
その暗い――暗すぎる教会に、足を踏み入れてしまった。
並べられた長椅子には、驚くべきことに人の姿があった。最前列に後姿が見える。祈りを捧げているのだろうか、邪魔をするのも忍びないというのに、私は引き寄せられるようにその人物へと歩みを進めた。まるで、呼ばれているような心地さえ覚えた。それも今だけではなく、まるであてもなく歩いていた時分、教会へ来るところから。
その人物は祈りのために手を組んでいることもなく、告解をしていることもなかった。正確に言えば何もしていなかった。
美しいと心から、純粋に思えるほどの人物だった。今まで私が世界一愛していたあの女性よりも遥かに。その美しさは一種の浮世離れしたものであった。
暗がりでも分かる艶のある黒髪、不気味なほどに白い肌、服の上からでも分かる細くてしなやかな肉体。
少々伸び気味な前髪から覗く伏し目、縁を飾る睫毛のひとつひとつが長く、燭台からの光を受け止めていた。
どこを見ているのか、定まっているが目的のない視線――その瞳はこの暗い教会にあって異常なほど輝く黄色をしていた。

「あの……」
「………………………………」
声をかけるとほぼ同時に、その人物はこちらへと向き直った。
フリルのつけられたブラウスにすらりとしたパンツ、胸元に結ばれたリボンタイ。真正面から見ると、違和感に気付く。
こいつ、男だ――
思うより早く、右腕を掴まれていた。力の入っていないものであったが、無言の行為にたじろいでしまう。
そのまま引き倒されることはなかったが、ずるりと体重を預けるようにこちらへと倒れ込んできた。力が籠っていないというのに振りほどくことは困難で、受け身もとれずしたたかに体を床に打ち付ける。
「痛った……なんだ、お前……わっ」
私の体に覆いかぶさる男を払いのけようとするも、体は痺れたように動かなかった。脳裏に輝く黄色の瞳が思い起こされる。
覆いかぶさるだけでは飽き足らないのか、男はその端正な顔をこちらの顔に、いや首に近づけてきた。近くで見れば見る程眩暈がしそうな美しさだ。胸元に置かれた手は、いつの間にか服のボタンをいくつか外していた。いつの間に――いや、それ以前に、このままではいけないと頭の中で警鐘が鳴っていた。
「おい、やめろって」
静止の声も体が動かなければ虚しく響くだけ。この男、ここが教会だと分かっているのかどうか――自分にだけ罪の意識がどっと押し寄せた。
「…………………………………」
男は首筋に顔を埋め、何度か匂いを嗅いだ。その仕草に思わず身じろぎをすると、首に鋭い痛みが襲う。
「――！」
ああ、噛まれている――そう理解するのに時間はかからなかった。噛まれている。それも酷く深く。血が流れ出ていくことが分かった。

ひゅん、と風を切る音がひとつ。
痛みをはっきりと感じ、歯を食いしばっていると覆いかぶさる男の体は弾け飛ぶように横へと崩れ落ちた。途端に体の自由と、今まで以上の痛みの感覚が戻ってくる。首筋を押さえながらも何とか距離を取ろうと後ずさった。
途端、何かにぶつかる感触がした。
暗闇の中見上げるとそれは人間だった。闇の中に光る金のフレーム――眼鏡をかけた長身の男だ。もう一つ闇の中光るものがあった。胸元に掲げられた十字架。こいつは神父だと理解した。それもそのはず、ここは教会だ。
神父は血濡れの私を見ることもそこそこに、先ほどまで私を襲っていた方の男を見た。
「人を襲うなとあれほど言い聞かせたのだがな」
そう言うと、神父は手にしていた細い棒状のものを男目がけて投げた。先ほどの軽い音もどうやらこれだったようで、右と左に一本ずつ男の手に深々と刺さり、まるで蝶を縫いとめる虫ピンのような様相だった。
「銀だよ」
何も聞いていないのに神父はそう言った。
「こいつは吸血鬼の中でもとりわけ銀が苦手らしくてね」
「きゅっ……吸血鬼！」
ひっくり返りそうな声でそう復唱すると、神父は私が驚いたことに何も感情を抱かなかったらしい、平坦な声で返した。
「さっき君は噛まれているじゃないか……ああ、動くなよ。今治療をしてあげよう」
吸血鬼だという男をよそに、神父は私の首の傷を見て、「まだ浅い」と一言漏らした。手際よく傷口を消毒し、布で覆っている。
「大事に至らなくて良かったな。放っておくとこいつは血管まで食い破ってしまう」
一度死にかけた、と神父は付け足した。

吸血鬼の方は苦手であるという銀を両手に撃ちこまれ、体を時折痙攣させていた。それでも貪欲に血を欲しているのか、顔をこちらに向けて舌を僅かに出していた。吸血鬼の名に相応しい尖った犬歯を確認し、私は短い悲鳴をあげた。髪が乱れてようやく確認できたその耳は尖っておりおおよそ人間のそれではなかった。
しかし――私の血に濡れた口元、昂揚した面立ち、どれをとってもやはり美しかった。
体の自由を奪われ、口を開けて荒く息をする様をまじまじと見ていると、神父はややつまらなさそうな様相でひとつため息を漏らした。
「君はあれを見て美しいと思っただろう？」
神父は悠々と長椅子に座るとそう問いかけた。
「あれで人間を誘惑して血を吸うんだ。魅入られてしまうと体の自由がきかなくなる」
身に覚えがある、と私は身震いした。
「本当は銀の弾丸をもってしてでないと死に至らないという話だ。……死なれては困るのでこうしているのだがね」
神父は饒舌な性質らしく、聞いてもいないのに様々なことを口にした。
「さあ、少しは懲りたかい」
痙攣している吸血鬼の口許、私の鮮血を布で拭き取る。吸血鬼は殆ど表情がなかったが、少し名残惜しそうなように見えた。神父はそのまま銀の杭を抜き取り、吸血鬼に自由を与えた。それでもまだダメージが残っているらしく、僅かにぐったりとしている。
杭が刺さっていた跡は、肉の焼ける匂いと共に塞がっていった。

「何できょ、教会なんかに吸血鬼が居るんだ……！」
吸血鬼を抱き起した神父に、半ば八つ当たりのように疑問をぶつけた。先ほどからこの神父は、傷つけることに何の良心の痛みも感じていないことは分かっていた。しかしながら、抱き起す手は赤子を抱くように優しいものであることに私は気づいてしまった。
「吸血鬼が教会に居てはいけないという法律はないさ」
捻くれた答えだった。私は確信に近い閃きを得ていた。
「ま、まさか、飼ってるのか」
私の声に、神父はひどく満足したように目を細めた。金のフレームの奥、輝く水色の瞳。

「ああ」

「飼っているのさ。こうして。私の血を与えて……ね」
白い手袋を外し、おもむろに吸血鬼の前に差し出す。神父の掌に、私の時と同じように牙が突き立てられるのが見えた。まるでスローモーションのようだった。吸血鬼は相変わらずの無表情で、目の前の血にしか意識がいっていない様子だったが神父は苦しみながらも満足している表情だった。
「だから私以外の血を吸われると、それなりに心外なんだよ。……さあ、こうしている間に出ていくといい」
血に飢えて襲いかねないぞ、と神父に脅されると、私は転がるように扉の前へと戻って来た。
何の目的か、何をどうしていたのか、何があったのか――私はそれまでのことを忘れてしまっていた。うまく思い出そうにも、目の前の光景ばかりが目に焼き付いている。

「狂ってる……」

ぽつり、と漏らした言葉を、神父は耳ざとく聞いていた。

「ありがとう」


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私はそっと本を閉じ、元あった場所へ戻した。
その場を後にし、人気のある廊下まで戻ってくると佐久呂と鉢合わせた。

そういうの好きそうやしやるやろ、と佐久呂は言った。
その通り、イベントごとは好きな性分なので参加をする予定だったが、何をするかは全く決めていなかった。

着せられた洋服――普段とあまり変わりはないが、
それでも装飾品としてつけられている尖った耳や鋭い牙が気になっているようだ。

すん、と鼻をひとつ鳴らした

純銀製の杭――先端が輪になっているそれを、お手玉しては弄んでいる。

System Message : M.E.E.駆動...出力...30%...40%...50%...M.E.E.戦闘出力確保......

鼻歌でも歌いそうな素振りで、使えそうなものを物色している

System Message : M.E.E.駆動...出力...30%...40%...50%...M.E.E.戦闘出力確保......

トランクを広げはじめるも、色々とそれどころではない！

熊らしき動物と、地面を這う見たこともない物を交互に見やり、顔を引きつらせた