黎明のための終焉。
栄光をささえる挫折。
理想にもとづく現実。
許容をつたえる拒絶。
真実をついばむ虚偽。
正義とたいする邪悪。
希望をはぐくむ絶望。

「クリス」
　その声は抱擁だった。　
　周囲に漂う冷気さえもまとめて優しく包み込むような。

「対立する物事は、一見してそれぞれが喧嘩をしているように思えるかもしれない」
「けど、実際は共存関係にあるんだ」
「表裏一体、という言葉を聞いたことがあるだろう」

「……分からない」
クリスはじっとうつむき、先ほどから繰り返している言葉を呟く。




アルヴィン・チハヤ・モクラと一端別れ、別行動を行うクリス。
ひとつの扉もなく続く大廊下を、ひたすら歩く。
「この赤いカーペット……継ぎ目もなしにさっきからずっと繋がってる」
「持ち込んで敷くことはできないでしょ。だとしたらこの場で編んだとか？」
壁には見事な彫刻が施されている。異形の者に対して跪く民の姿が彫りこまれていた。
「未知との遭遇が友好的なものになることはないからね――ほぉら」




院長は、鞄の中からどこか冷徹さを感じさせる色合いの小物をクリスの前に置いた。
「クリス。これが何だか分かるかい」
院長の声色は、気持ちのいい陽光の差し込む朝、
孤児のみんなに挨拶をするときのように爽やかで平常だった。
言われるがままに、クリスはじっと小物を見つめる。
彼女の中の知識と照合する限り、それは金属であると考えて差し支えはなさそうだった。
だが――
「……何、これ」
ごろん、と意思を持っているようにひとりでに動く物体。
内部が生き物のように赤く胎動しているようにも見える。
「違うよ」
院長が声のベールでクリスを再度包み込む。
「これには確かな意志が、生命が存在するんだ」
「こんなものを、クリスはこれまでに観たことはあるかい？」
黙ってかぶりを振る。
「人は自分にとってよく知っているもの、内部が理解できるもの、分かりやすいものを周囲に置き」
「何だか分からないものを遠ざけたがるんだ」
「……私は、未知のものを怖がったりしないもん。それは勇気のない人だよ」
クリスは、隙間を縫ってこちら側にころころと転がってきたそれをためらいなく手に取り、

口へと運んだ。




刃。
メルンテーに見られる独特な形状の武器。
近接兵装でありながら槍を凌駕するリーチを誇るそれは、
時に刀のように鞘に収まり、時に暗器のように服に仕込まれ。
魔力を注ぎ込むことで伸張し目標へと到達、対象を幾重にも切り刻む。
クリスは腕に前から装備していた魔装から魔刃を展開し、
キマイラの目の前のカーペットへと突き刺した。
「駆け抜けろ、ユーリ」
瞬間、ユニコーンの加護を受けたクリスの全身が迸る。
幻獣から祝福されし三連撃が、キマイラの身体を宙へと誘った。

「何度見てもその武器は面白いよね。名前はなんだったっけ？」
「……アイムオール」
「”I’m oal(櫂)”？　確かに形は変ではあるけど」
「そうじゃないよ」





「だから」
「私を」
「ここから」
「出してよ！？　ねえ！？」
重い鉄格子を掴み、喉が千切れんばかりにクリスは叫ぶ。
クリスは乱暴に目の前の鉄格子をつかむと、あらん限りの力を込めてそれを揺さぶった。
だが、老人と少女の間を厳然と分かつそれが、か弱い少女の力に応ずるはずもなく、
込めた力はそのままクリスの皮膚と骨に痛みとして返ってくるだけだった。
掌に指が食い込み、うっすらと血が出る。
獰猛な犬のように顔を前後に揺らし、目は院長とその背後の扉へと向ける。
ふーっ、ふーっ、という野性的な吐息が絶えず口の隅から漏れた。

「私が何か悪いことをしたっていうの！？」
「全部……」
「全部、私なの？」
「全部、私のせいなの？」

「クリス」
その声は緊縛だった。




「”I’m all”か、なるほどね。聞いただけじゃスペリングは分からないわ」
「……ひょっとして、クリスタルっていうのも私の想像していたのと違ったりして？」
「……多分、そうだよ」
「Kristal Karellen」
「私の名前を呼びたくない人からはKKって呼ばれることもあった」
「名前を呼びたくないって、なんでさ。可愛いのに」




……お前は、この世界にとってのリスク。
不可視の危険なんだよ、クリスタル。

クリスの言葉を物凄く単純に返す。
やはりあまり変わっていないのだろう。

そして、新しく作った「負不知」に目をやってから言葉を続ける。