［基本］OK.　［戦闘］OK.　

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雨宮綴。
どうして綴、という名前をつけられたのかはわからない。小学生の課題で自分の名前の由来を調べてくるように、と言われたときは字画、と曖昧に誤魔化されたような記憶がある。欠けたものをつなぎ合わせる、というその言葉のとおりに何かを綴ってほしかったのか、はたまた何かを書き表して欲しかったのか、そのどちらもなのか。
ただ結果的に少なくとも雨宮綴には、そのどちらもを、望んだわけでもなく履行している。自分なしに受け取り手のない、”どこかの世界の誰か”の見るものを、この世界に占いとして綴じ込む占い師として。

地方都市の裕福な家で育ち、その街では上位の高校に特に苦労するでもなく滑り込んだ。優秀な学生の多さからくる生徒の自律を尊重された校風だったが、学生に無意識に課せられる同調圧力がどうしても息苦しく、自律を良いことに「不真面目な学生」の立場を享受していた。やりたいことも、やりたくないことも、そのどちらにも適用できる明確なエネルギーは彼の中に燃えていなかった。
高校に入ったぐらいのタイミングから眠りながらに見る夢を見なくなった。そもそも段々と眠れなくなったのはこの頃からだ。若さゆえの夜型生活と笑い飛ばしていた時世はとうに通り過ぎ、今はもはや不眠といってもよいその症状の兆しとして。
夢を見ない代わりに見るようになった「白昼夢」。曖昧な、大凡高校生が出会ったことがない風景、情景。絵画のようで、写真のようで、でも自分やまわりの世界とは大きく乖離している不思議な世界の夢を。
ただの一時の幻覚と片付けるには、その白昼夢は連続性があまりに強かった。いつも夜で。水の流れる音がしている。月は三つ浮かんでいて、時折四つ（四つの月は、滅多にない。そして浮かぶときには大きな変革のサインだった）。海と、鳥と、花と、そして時々に雨の。そうして、それが、これから己や誰かの周りに起こりうることの暗示らしい、そしてそれが自分自身の異能らしいということにも、ゆっくりと理解していった。

なんとなく入った大学を休学して外の世界に旅に出た。
その頃には少なくとも日付を越えなければ眠れず、誰かの見せる白昼夢は酷いときには日がな一日視野を奪っていた。今から思えば、気づいてほしいという救済だったのかもしれない。行くあてがあったわけでもなく、ただ足と想いの向くままに。そうして、とある砂の国で22枚のカードを手に入れた。タロットカード、というものは名前だけは知っていたけれど、それに極めて類似していて決定的に違うその22枚の描く世界は、翻って白昼夢の世界と極めてよく似ていた。ラピスラズリを散らしたようなカードの装丁。水辺に咲く野薔薇。花や鳥を吐く女。こちらを見つめる眼球と刃を穿たれた舌。ああ、これだと思った。人生を庇おうとする夢から覚めたいと縋る気持ちで、大枚を払って手に入れたそれをもって帰国したときには、大学は中退の扱いになっていた。

占い師として生きていくことになったのもたまたまだ。
眠れない夜、街中を歩いていたらテレビ局の街頭インタビューに捕まった。待ちゆく人の人生を電波に乗せるドキュメンタリーだった。あれこれ話しこんでいるときにそのスタッフの男に異能を見た。夜の海に真珠が浮かぶ情景を。たった一夜の袖擦り合う縁ではあったが、同年代の気持ちの良い男だったこともあり、なんとなく気になってーー恋人がいるなら気をつけたほうが良い、とアドバイスをした。何のことですか、と笑われた。彼自身も、気の迷いで彼を惑わせることに罪悪感と責任が急に胸に迫り、冗談だよと笑い飛ばした。
ーー多忙さからすれ違いが続いていた恋人が無理心中しようとしてきたこと、生命はとりとめたものの一時は生死を彷徨うことになったことの報告と、一度正式に何が見えるのか話を聞かせてくれないかという連絡が来たのは、彼自身もドキュメントに出たことを忘れつつあった半年後のことだった。

結局のところ、雨宮綴の占いはマス向けのショービジネスとしては成り立たなかった。
若くて背が高く気安さのあるそれでいて外見にも華のある男がロマンチックな占いをするというコンセプトは、企画自体は悪くはなかったが、本人自体に執着がない以上ショーをわきまえた振る舞いなど出来はしなかったし（する気がなかった、というのが正確だ）何より「誰か」はカメラが回っている時に、そんなに都合よく夢を見せてはくれなかった。
テレビ局を勝手に放り出されて再びの流浪人になりかけた。………が、また都合よく、今度は出版社に拾われた。
そこからはよく知られている《リヴ・ゴーシュ》の巻末で、一部の層からコアな人気を博す星占いを連載することになる雨宮綴の話になる。

流されるように生きてきた。
要領よく、なんとなくなんでも出来た。品行方正でも挫折がないわけでも苦しんだことがないわけでもない。それでも、まるで導かれるように彼の人生の道はいつも開かれていた。
だからこそ、雨宮綴の中には、願望がない。
人生をかけて為しえたいものも、護りたいものも、焦がれるものも。
代償を払って、痛みとともに生きていくということの、その意味も。
どこかの誰かが見せる夢を、この世界に、イバラシティに接続して。その願いを「そうでありますように（”　　　　　　”）」と軽薄に口にする。その夢が叶っても叶わなくても彼としてはどちらでもよい。ただ必ずそうなると知っている。見せる夢がいつか自分の死であったとしても、きっと抗うことはないだろう。
願望も熱情もなにもないからこそ、誰かの夢を預かることができるのだ。
まさしく、彼は「誰か」の持ち物だ。それを認識しているかどうかは、きっと本人にもわからない。

（そしてそのまま、きっと雨宮綴は溶けて、消えるのだろう）
（熱情に出会わなかった、いびつな俺のひとつの影だったんだろうか）
（それももう、誰も知らない。知っているとしたら、ーーそれもきっと、夜だけだ）

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マタル・ユイ。
響きに何の意味がある。名前なんてただの仮初のラベルに過ぎない。それでも、俺はマタル・ユイという響きを愛している。俺は、マタル・ユイとして生きていたい。これからもずっと。特級宮廷託宣士でなくなったって。託宣の力が俺から失われたとしたって。言葉を離せなくなったとしたって。この声が、俺の喉から出なくなったとしたって。
俺は、マタル・ユイでありたい。それだけが俺のきっと唯一の望みだ。
サーキィでもなく、マタル・ワルドでもなく、あるいは雨宮綴でもなく。

ただサーキィ、と呼ばれていただだけの少年だった俺をマタルと呼んだのは、ライラだった。
《飾声の将軍》ナクシディル・ライラ。俺が育った《西方領》の侯爵で、俺の後見人になってくれた女。「ナクシディル」なんて《二つ名》を貰えるのはきっとあの世界であの女ぐらいのものだ。俺なんかよりもずっとずっと、人を動かすことのできる声。命令することに慣れた、世界を弄うことに何の衒いもない。奪うことも、与えることも。
ーー俺に、マタルという名前をくれたように。

（どうして、俺は《マタル》なんだ）
（不服なのか？　お主の精霊であるユイは、何処かの世界では雨を指すだそうだ。まあ、それも彼の精霊のひとつの側面でしかなかろうが）
（なんだそれ。ーー俺を雨の男にしたいってか？）
（お主はもうユイのものだ……だからユイの舌として生きるお主が、「優しいもの」の片割れであれば幸いだろう。
　まあ、そのうちわかる。そうして、お主はいつかその名前を誉れに思うことになるだろう）　

マタル・ユイ。
ふたつの雨の名前。夜の帝国の、ふたつの優しいもののうちのひとつ。
俺が、今ここに存在している理由のすべて。価値のすべてで、そう、すべての誉れで。
そうして、奪われたくないと魂のすべてで願うもの。
ーーもう本当は奪われてしまっている。精霊・ユイと契約したマタルという男はもうどこにもいない。
ユイは奪われた。偽装神託罪としてアンジニティに追放されたときに。
帝国の託宣士として生きる俺に与えられたマタルという名前は、ハザマに在る今もまだ俺のものなのか。
それでも、きっと永遠に俺はマタル・ユイであるという自負で生きていたい。
ユイの唯一の持ち物でいたい。

それがきっとアンジニティでも奪うことが能えなかった俺だ。

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もう一つの優しいものが、目の前にある。
ハザマの海。海を見たい、と二人を連れてきた。ハザマの時間はもう少しで終わる。もうあと幾ばくかで、あの一つの東から昇る太陽と日毎に沈み姿を変える一つの月の待つ世界に行くことになるだろう。あの街にも海はある。俺たちのような犯罪者が（そうだ、世界間では俺たちは犯罪者の集まりだ）あの街を維持することは出来ない、とアッシュは踏んでいる。だから、次に見るのはきっとイバラシティの海だ。
そうして何処に行こうか、だなんて雨宮綴たちが会話するような気安さはない。俺は雨宮綴ではないし、アッシュも、それからルスヴンも違う。

夜の雨はすべての声を打ち消していく。夜の海が、言葉をすべて飲み込んでしまうのと同じように。
それが優しさだというのはわからないではない。意味のないことばを、求めていた。愛の囁きがただそこにあるだけで良いように。時にはそれすらも必要がないことが。文字も声も存在しなくて良い世界が、そこにある。
ーーそう、海は、誘惑と破滅のカードだ。彼の２２枚の世界では。
けれどふたつの優しいものは、己の中にすでにある。雨と雨。だから、海が好きになれるのかもしれない。
自分の外にある、この世界間で自分を許してくれるものがあるということが。自分の存在だけで満たされていると証明されるような気がして。

シャラザの海を。アンジニティの海を。そうして、ハザマの海を。
これから幾つの海を見ていくのだろう。
攫われることのない熱情をぎゅっと抱きしめて。
それでも、確かなことは新たな海をこれからも見続けられるということだ。
俺の中のユイの記憶と、それから少なくともイバラシティの海をあの二人と。
それが、きっとすべてだ。少なくとも今は。






託宣をつづけよう。
神はもう去った。かつては居たのかも知れない。だから、去ることが能うのだろう。
硬貨を投げたら明日は雨になる。
花弁をちぎっても、俺の熱情は勝利で終わる。

神はもとより存在しない。
ユイはもういない。けれど精霊は今も俺の中にある。

俺は。
俺の託宣を、絶対のものとしなければならない。
絶対の力。
俺の夢を、夜にあかあかと燃える、第四の月としなければならない。
（その月は、去ることも奪うことも出来ないのだから）

ENo.1353 アッシュ とのやりとり


ENo.1354 ルーシー とのやりとり