
過ぎた期待を抱かなければ、幻滅を味わうこともない。
願いが人を傷つけるのであれば、何も願わない方が安全に生きていける。
身の丈にあった生活。分相応な人生。当たり前の日々が、当たり前に続いてゆく。
小さな器で満ち足りて、過不足に思い煩うこともなく日常を送るのだ。
「普通の暮らし」というものに、私はそんなイメージを重ねていた気がする。
せめて、それくらいは許してほしい。
誰にも迷惑をかけず、慎ましく生きていくから。
透明な膚をしたこの化物を、どうか隣人として受け入れてほしい。
―――なんて。今にして思えば、あの頃の私は少し臆病すぎたかもしれない。
私は、学校というものを知らなかった。
同年代の子供たちがひとつの教室に集まり、毎日の課業を務める。
休み時間には友達同士で集まって、他愛もない四方山話に花を咲かせる。
お昼ご飯が楽しみで、お弁当を持ってきている子は仲のいい子とおかずを交換したりする。
放課後になればそれぞれの居場所へと散って、思い思いの部活に打ち込む。
夏休みには合宿があったりして、生徒たちだけで遠出をすることもあるらしい。
知識としては知っている。
そんな空間が実在するなんて信じられなかった。
まっとうな社会生活を知らない私が、その一員になれるビジョンが浮かばなかった。
鮎喰透はそれほどまでに、同年代の普通の子たちとの接点に飢えていたんだ。
近所の子たちと遊んだことなんて一度もない。筋金入りのエクストリーム箱入り娘だ。
家庭教師の先生が教えてくれる、小さな窓から見えるものが世界のすべてだった。
編入先の学校は早くから決まっていた。
―――相良伊橋高校。新興の学園都市、ツクナミ区にある三年制の私立高校だ。
親は共学の高校に通わせたがっていたし、私も特に異存はなかった。
男女が混ざっていた方が多様性に富んでいるし、実社会により近いはず。
少しくらいヘンな子がいても、個性の範疇で片づけてくれるかもしれない。
そういう期待もあったのだと思う。
年が明けてすぐに編入試験を受けて、ほどなく合格通知を受け取った。
私の基礎学力についてはCERVの先生たちの推薦状もあったし、語学の面で不安はなかった。
編入の手続きを進める間に、校内を見学して回る許しも得られた。
今後の学園生活の試金石になる。そう思っていた。
クラスメートたちと笑いさんざめく教室に、いきなり透明の化物が現れる。
さぞかし驚くに違いない。怖い思いをさせてしまったらどうしよう?
ヒトは恐ろしいと感じたものを攻撃してしまう生き物だ。そういう習性だから仕方ない。
けれど、万が一にもそうなってしまったら詰みだ。第一印象は決して覆らない。
チャンスは最初の一度きり。しくじったら最後、やり直しはきかない。
憧れの学園生活。期待が大きいほどに、得られぬことへの怖れも膨らんでいく。
1年1組のドアに手をかけたときの逡巡を、私はまだ生々しく憶えている。
 |
透 「ごめんくださーい!」 |
声を張れ。臆するな。自信満々に胸を張れ。感情を豊かに示し、裏表のないこと訴えろ。
怪しげな素振りで疑いを招くな。自分を偽ることなく、最大限に好意を引き出せ。
何があっても敵を作るな。角が立つような言動をしてはいけない。八方美人になってもいけない。
まるで普通の人間みたいに振舞ってみせろ。慣れない軽口や冗談だって使い倒すしかない。
奇怪な透明人間ではなく、あるがままの自分に向き合ってくれる子を見極めろ。
私の中で渦巻いていた希望と怖れを、正しく見抜いた子がいたかどうかはわからない。
あらんかぎりの勇気を振り絞って飛び込んだその場所は―――
 |
透 「拍子抜けするほど優しくて、信じられないほど温かくて……」 |
 |
透 「もしかしたなら、私にも……なんて…」 |
 |
透 「望んでしまった。願ってしまった」 |
 |
透 みどりご 「恐れを知らない嬰児みたいに―――手を、伸ばしてしまったの」 |
私の脳裏にひとひらの言葉が瞬く。
それは、世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』のラーヴィノヴィッツが放ったはじまりの号砲。
たった一言で世界を変えた。無声映画の時代を終わらせてしまった、旧くて新しい魔法の言葉。
銀幕の彼方、果てしなく続く物語たちの―――いずれ訪れる新世界の歓喜を告げる祝福の鐘。
旧き啓典に伝わる造物主が、創世の偉業を高らかに言祝いだ言葉にさえ、どこか似ているみたいで。
 |
透 「 Wait a minute, wait a minute. You ain't heard nothin' yet! ちょっと待った! お楽しみはこれからさっ!!」 |
過ぎた期待を抱くな?―――まさか!
何も願わない方がいい?―――ご冗談!!
身の丈にあった生活? 分相応な人生?―――嫌だ嫌だ嫌だ!!!
それっぽっちじゃ全然足りない!
自分の人生を取り戻すって決めたんだ!!
私は独りじゃない。叶えられなかった願いを背負ってここにいる!!!
―――――――。
1年生の教室を一巡してきた私は、いくらか図太くなっていた。
手ごたえを感じていたし、この先やっていけそうな自信も湧いてきていた。
だから、向こう見ずな冒険心みたいなものがムラムラと湧きだしてしまったのだと思う。
 |
透 「お願い! 今晩だけでいいから泊めてくれない?」 |
ビジホを追い出された私は、しらくちゃんの家に転がり込んで―――
あの子の好意に甘えるままに、二人だけの共同生活を始めることになったんだ。

[860 / 1000] ―― 《瓦礫の山》溢れる生命
[431 / 1000] ―― 《廃ビル》研がれる牙
[492 / 500] ―― 《森の学舎》より獰猛な戦型
[171 / 500] ―― 《白い岬》より精確な戦型
[369 / 500] ―― 《大通り》より堅固な戦型
[274 / 500] ―― 《商店街》より安定な戦型
[193 / 500] ―― 《鰻屋》より俊敏な戦型
[134 / 500] ―― 《古寺》戦型不利の緩和
[47 / 500] ―― 《堤防》顕著な変化
[116 / 400] ―― 《駅舎》追尾撃破
[5 / 5] ―― 《美術館》異能増幅
[1 / 1000] ―― 《沼沢》いいものみっけ
[24 / 100] ―― 《道の駅》新商品入荷
[72 / 400] ―― 《果物屋》敢闘
―― Cross+Roseに映し出される。
ザザッ――
暗い部屋のなか、不気味な仮面が浮かび出る。
マッドスマイル
乱れた長い黒緑色の髪。
両手に紅いナイフを持ち、
猟奇的な笑顔の仮面をつけている。
 |
マッドスマイル 「――世界の境界を破り歩いてはその世界の胎児1人を自らの分身と化し、 世界をマーキングしてゆく造られしもの、アダムス。」 |
 |
マッドスマイル 「アダムスのワールドスワップが発動すると分身のうち1人に能力の一部が与えられる。 同時にその世界がスワップ元として選ばれる。スワップ先はランダム――」 |
女性の声で、何かが語られる。
 |
マッドスマイル 「・・・・・妨害できないようね、分身。」 |
 |
マッドスマイル 「私のような欠陥品でも、君の役に立てるようだ。アダムス。」 |
 |
マッドスマイル 「・・・此処にいるんでしょ、迎えに行く。 私の力は覚えてる?だから安心してね、命の源晶も十分集めてある。」 |
 |
マッドスマイル 「これが聞こえていたらいいけれど・・・・・可能性は低そうね。」 |
 |
マッドスマイル 「絶対に、見つけてみせる。」 |
 |
マッドスマイル 「そして聞こえているだろう、貴方たちへ。 わけのわからないことを聞かせてごめんなさい。」 |
 |
マッドスマイル 「私はロストだけど、私という性質から、他のロストより多くの行動を選ぶことができる。」 |
 |
マッドスマイル 「私の願いは、アダムスの発見と・・・・・破壊。 願いが叶ったら、ワールドスワップが無かったことになる・・・はず。」 |
 |
マッドスマイル 「・・・これってほとんどイバラシティへの加勢よね。 勝負ならズルいけど、あいにく私には関係ないから。」 |
 |
マッドスマイル 「アダムスは深緑色の髪で、赤い瞳の小さな女の子。 赤い服が好きだけど、今はどうかな・・・・・名前を呼べばきっと反応するわ。」 |
 |
マッドスマイル 「それじゃ・・・・・よろしく。」 |
チャットが閉じられる――