
莉稲の父親とバス停で会った次の日、俺は無計画にアルバイトに応募した。親には後から話したので応募する前に言えと怒られたが同意書もすんなり書いてくれた。元々放任気味なのだ。
最初は近所のガソリンスタンドでバイトを始めた。次に実家が新聞販売店の友人のコネを使って朝刊配達のバイトを増やしたりもした。
冷静になってみればわかることだが、借金をすぐひっくり返せるだけの金額を学生ごときの小遣いで何とかするのは無理がある。塵も積もれば山となるとは言うが、山にするにも時間が掛かるのだ。
それでも手を出せるものは短期でも何でも手を出そうと意気込んだ。難しい話なんか何も分からないくせに、莉稲の父親を救いたかった。
俺なんか、赤の他人でしかない。関わる筋合いなんてない。
だから? だから莉稲の世界を優しいものにできないのか? いいや違うはずだ──そう言い聞かせて、がむしゃらに小遣いばかりを稼いでいた。
情報も集めるために、コンビニの求人誌を立ち読みしたりもした。高校生でもできるアルバイトの求人にひと通り目を通しては、うまい話はないと落胆して棚に戻す。それが俺の日常になっていった。
ただ、“あの日”だけは違った。
棚に戻そうと雑誌から目を話した時、横から顔を覗き込んでくる男と目が合った。
「随分熱心だねえ」
知らない男、ではない。同じスタンドで働いてる、俺より8つ程離れている人間。いやに親しげな距離感が気持ち悪くて、俺は自然と一歩退がっていた。
「バイトしててもまだ足りない? 他の仕事、探してるんでしょ?」
その男は野上十八(のがみとおや)と言 う。バイトしていたスタンドの先輩で、名前から永遠の十八歳だと自己紹介するような陽気な男だ。
彼は「少しパソコンが出来ればいいから」とバイトを紹介してくれると親切を利かせてくれた。
ただ、丁度良い獲物でも見つけたような目が俺はいやだった。今にして思えば、必死に小遣い稼ぎをする世間知らずのガキなんて良いカモだったんだろう。
彼はデータ入力と称して、出会い系サイトのサクラを斡旋してきた。
「働き次第で報酬は上乗せされる。女の子のフリしてメール送ったり日記の更新してくれればいいんだけど、どう? 卯島ちゃんメールの文章も丁寧だし。プロフィールや画像は別物を用意するし、素性は一切伝わらないよ」
紹介された仕事は最悪だと否定的な感情が先に来た。しかし魅力的だった。直接会うこともなく、時間を選ばず一定の更新と反応をするだけで今より稼げる。それに俺は沢山の金を稼ぎたかった。結論を焦っていた。
異能も何も無い俺が、彼女に何かしてやれる一歩となるなら。何だって良かった。だから、サクラでも何でもやることにした。
そのサイトはよくある課金制のポイント消費によりユーザー間メッセージのやり取りやプロフィール閲覧が叶う仕組みで、サクラの役割はそのポイントを使わせるよう会話を引き伸ばしたり思わせぶりに誘惑することだった。
確かにとてつもなく難しいということはない。それになんと言っても報酬の上乗せは魅力的だ。
そこから俺は外れた道を進み出した。最後に莉稲の幸せな世界が手に入るなら、どんな悪にでもなれる気がした。
俺は野上と金策を通した関係を持つようになり、卒業後は彼の手引きでアリバイ会社を利用しながら寮付きのナイトワークを始めた。要は、キャバクラのホールバイト。
家を出たので学生の頃のバイトからは離れたが、野上は変わらず世話をしてくれた。というより、野上もスタンドを辞めていたのでアングラな仕事に熱を入れていたのかもしれない。
夜の仕事を始めてからも、俺はまだ女のフリをしていた。けど拾った画像でプロフィールを誤魔化しているだけなので、電話もチラ見せ写メもできない男では稼ぐにも限度がある。おまけに夜の仕事をするようになってから生活の時間が狂いだしていた。日中にやり取りをするのは、正直つらい。
──何をしているのだろう。
ふと、サクラ用のディスプレイを前にして我に返るようになった頃。野上は俺になぜ稼ぐのかと問い質してきた。
「卯島ちゃん、お疲れだね。仕事に対して真面目過ぎない? ああいや、そりゃお金はあれば嬉しいけど」
野上と俺は、都合のいい関係だった。彼が俺の勤労態度を不思議そうに尋ねる程度には、互いのことをよく知らない。
「卯島ちゃんさ、俺の誘いよく乗ってくれるっていうか……めちゃくちゃお金困ってるようには見えないけど一生懸命働くよね。なんで?」
なんで。なんで、って。
決まっている。なのに答える思考に淀みが混じる。
「借金を、返したくて」
ぼそりと声を絞り出す。迷いが拭えなかった。
「その歳で?」
「俺じゃない人の。……恩のある人で。何とか、できないかなって」
「ははあ」
それで良いはずだ。良いはずなのに、咎めるような気持ちが押し寄せた。
野上は納得したように頷いて、なにか考えるように右手で口を覆い隠す。
俺は込み上げるものに堪えられず、否定の言葉を捲し立てた。
「でも、よく考えたら俺は他人だし。勝手にいきがってるだけで。その人が今どこでどれだけ借りてるのかも知らないし。そもそも俺の稼ぎじゃきっと、足りないですよね」
からからと言葉が衝いて出る。
俺では莉稲の世界を救えないのではないか?
薄々勘づいていた、見ないふりをしていた現実が口から出て、俺の本音を認識させる。
俺では駄目だ。俺には無理だ。最初から。どれだけ足掻いたって。力も無い、ただの他人なのだ。
「大丈夫だよ、卯島ちゃん。何とかしよう。今すぐその人を助けちゃおう」
野上は口角を上げてパシンと景気よく俺の肩を叩いた。
大丈夫だ、何とかしよう。
そう言われて、俺は野上の胡散臭い笑顔を希望のように錯覚した。
「情報屋に名簿屋……その辺を当たれば特定はできる。お金に困ってそうな人に目星をつけるためのリストがあるんだ。切羽詰まってるみたいだし条件を絞ればその人も見つかるでしょ」
彼は荒唐無稽で胡乱な話を始めた。俺は呆気に取られながらも、それを全身に浴びる。
どうしてそんな名簿が存在するのか当時はまったくわからなかったが、それはブラックリストの共有であったり怪しいバイトの勧誘候補に用いられるらしい。
「肝心のお金は俺が店長から借りられるよう手を回してあげよう。利子はつくけど闇金みたいな暴利は無いし、消費者金融より良心的な利率にしてくれる」
「完済できるんですか、それ?」
いかにも怪しい話だ。訝しむように見た野上の顔は尚も好意的な笑顔を湛えている。
「このままじゃ無理。だから卯島ちゃん、ウチにおいで。手っ取り早く収入を得る方法、みんなで考えてるんだ。店長も“こっち側”の人間だし話は通しておく」
それは仄暗い世界への誘いであることには気づいていた。きっと、この先輩風を吹かした男になんらかのメリットが生じるのであろうことも。
けど、俺自身は既に道を外れている。あとは堕ちる所まで堕ちるだけ。
「……詳しく教えてください」
俺は覚悟を決めた。正義のヒーローになんてなれないことは、ずっと前から知っている。だから、汚くてもいい。
野上がにかりと歯を見せて、やはり好意的な笑みを浮かべた。
「まあ、もうわかると思うけどウチって碌なところじゃないんだ。でも、手を替え品を替え色々やってるから勉強にはなると思うよ?」
この頃から俺は、借金のために借金をするようになり、結局闇金のお世話になってまで野上らの詐欺行為に加担するようになった。
そう、この頃だ。この頃から。
卯島渉という人間の本性は、日陰に置かれることとなった。

[844 / 1000] ―― 《瓦礫の山》溢れる生命
[412 / 1000] ―― 《廃ビル》研がれる牙
[464 / 500] ―― 《森の学舎》より獰猛な戦型
[156 / 500] ―― 《白い岬》より精確な戦型
[340 / 500] ―― 《大通り》より堅固な戦型
[237 / 500] ―― 《商店街》より安定な戦型
[160 / 500] ―― 《鰻屋》より俊敏な戦型
[97 / 500] ―― 《古寺》戦型不利の緩和
[41 / 500] ―― 《堤防》顕著な変化
[17 / 400] ―― 《駅舎》追尾撃破
ぽつ・・・
ぽつ・・・
白南海
黒い短髪に切れ長の目、青い瞳。
白スーツに黒Yシャツを襟を立てて着ている。
青色レンズの色付き眼鏡をしている。
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白南海 「・・・・・ん?」 |
サァ・・・――
雨が降る。
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白南海 「結構降ってきやがったなぁ。・・・・・って、・・・なんだこいつぁ。」 |
よく見ると雨は赤黒く、やや重い。
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白南海 「・・・ッだあぁ!何だこりゃ!!服が汚れちまうだろうがッ!!」 |
急いで雨宿り先を探す白南海。
しかし服は色付かず、雨は物に当たると同時に赤い煙となり消える。
地面にも雨は溜まらず、赤い薄煙がゆらゆらと舞っている。
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白南海 「・・・・・。・・・・・きもちわるッ」 |
チャットが閉じられる――