
芙苑植物園イベント(http://lisge.com/ib/talk.php?s=860)用日記
※絶望や恐怖を含む回想になるため、重めの話になります。駄目な人は逃げてね。
『その■を、■■ないで』
「ゆーやーけーこーやーけーでまたあしたー、……あっおかあさんきた。おかーさーん」
ほいくえんがおわって、すべりだいの上でうたってると、いつもどおりおかあさんがむかえにきてくれた。
わたしはすぐにすべりおりて、おかあさんに手をふった。
「せんせーさよーなら。ねぇねぇおかあさん、きょうも『ざなどう』行く?」
「そうね。晩ごはんと、明日の牛乳を買いに行きましょ」
「やったー!」
ほいくえんの帰りに、おかあさんといっしょにスーパー『ざなどう』でおかいものをするのが、わたしはだいすき。
だって、わたしはおかあさんがだいすきだから。
おとうさん……は見たことないんだけど、
「おとうさんが遠くで一生懸命働いてるから、こうしてスーパーでお買い物出来るのよ」
っておかあさんが言ってたから、おとうさんもだいすき。……ってことにしといてあげる。
「あなたのまちのーふんふふーん 何とかかんとかふんふふーん」
「つむじ、その歌大好きねぇ」
「なんかねー、スーパーでまいにち聞くから覚えちゃった」
「ふふ。その割には音程も歌詞もうろ覚えだけど」
「おんてー?」
「ううん、何でもないわ。帰ったらご飯にしましょう。今日は菜の花のおひたしとから揚げよ」
「わーい!からあげだいすき!でもおひたしきらーい」
「我侭言わないの。お母さん毎回頑張って作ってるんだから」
「わがままじゃないもーん。こげこげだったり、にがかったりするからきらーい」
そう、おかあさんは、お料理がへたへたへたっぴなのだ。
半がくシールのついたからあげのほうが、わたしはだいすき。
かのこおばさんはあんなにおいしいたこ焼きがつくれるのにね。へんなの。
おかあさん
葦毛 魚々子(あしげ ななこ)
つむじの母。大判かのこの妹。
つむじと二人で暮らしている。
料理の腕が壊滅的。
「さ、帰りましょ。つむじが手伝ってくれるから、お買い物が早く終わって助かるわ」
「あのね、つむじがみつけたの。半がくシールのからあげ!」
「そうね、ありがとう。お店の人にもありがとうって言った?」
「うん、ありがとーございますって言った!えらい?えらいよね?だから、きょうはからあげだけ食べていい?」
「だーめ。頑張ってお野菜食べましょ。今日はお料理きっと上手くいくから」
「ぶー」
おかあさんの『きっと』は、いつもあてにならない。これはきょうもきっとこげこげぷーだ。
「もー、しょーがないなー。そのかわり、ね」
わたしは、おかあさんにみぎの手をのばす。
えがおで買いものぶくろをみぎの手にまとめて、ひだりの手でわたしをぎゅってにぎってくれる。
おかあさんはわたしのほしいものをすぐにわかってくれる。じつはまほうつかいなのかも。
「えへへー」
ふんわり、おかあさんはレモンの良いにおい。
おかあさんのお料理はきらいだけど、おかあさんの手、だいすき。
おかあさんの手は、とってもあったかい。
おかあさんの手から、わたしのことだいすきってきもちが、ながれてくるみたい。
だから、わたしもおかあさんの手をぎゅってにぎるの。
わたしのおかあさんだいすきってきもちが、たくさんつたわるように。
「おっとっと」
「わ、おかあさんだいじょうぶ?」
おかあさんがきゅうにふらふらっとしたので、わたしもいっしょにふらふら。そのまましゃがみこんだ。
「ちょっとめまいがしただけ。平気平気」
「おかあさんびょうき?いたいとこない?」
「大丈夫大丈夫。一応明日にでも病院で見て貰いましょ」
「びょーいん!?だいじょうぶじゃなーい!貸して!買いものぶくろわたしが持つ!」
「きっと大丈夫だから。あぁもう無理したら危ないってば」
「だめー!わたしがもつのー!!!」
「ちょっとつむじ!袋引きずってるから!穴が開いちゃう!」
「わーたーしーがーもーつーのー!!」
「つーむーじー!!」
 |
つむじ 「……めて。その手を、……」 |
 |
魔女 「……。」 |
「以前から重度の味覚障害があった筈です」「今日から、いえ、今すぐに入院を」「場合によってはツクナミの大学病院に転院も視野に入れて」「いいですか、特にあの子とは何があっても隔離しなければいけない」
おばさんとおいしゃさんが、びょういんでおはなししてた。
わたしもドアのそとでこっそり聞いてたけど、おいしゃさんのことば、むずかしすぎてわかんない。
そのひから、わたしはおかあさんにあえなくなった。
ああ、そうか。『私』はあのときの夢を見ているのだ。
母が入院してから、一年。初めて、面会が許された。
私は一番お気に入りの服を着て、スキップしながら担当の医師と病院の廊下を歩いた。
母は面会謝絶の個室から4人部屋の一番奥、春の日差しが差し込む特等席に移されていた。
医師が間仕切りカーテンを開けると、そこにはあれほど待ちわびたはずの母の姿があった。
「――!」
一年ぶりの再会の時の衝撃を、恐怖を、絶望を、その時の『わたし』は口にすることが出来なかった。
レモンの匂いがしていた艶のある母の髪の毛は、頭皮からかろうじて繋がっている弱々しい糸にしか見えず。
私の我侭を受け止めていた優しい瞳は、白く濁って焦点すら合わせられず。
友達を家に呼ぶたびに羨望を集めた健康的な肌は、数十年の時を経たかのように無数の皺を刻んでいた。
立ち尽くすわたしに、「いいかい、絶対におかあさんに触れないようにね」と念を押して、医師は出て行った。
「……つむじ、そこに、いるの?」
「!! う、うん。いるよ。ここだよ」
「……そう、よかった」
かすれ切った声。まるで魔女のようだと思ってしまい、わたしは慌てて首を振って思考を追い出す。
「ずっと会えなくて、ごめんね。こんな格好で、びっくりしたでしょう」
「ううん、大丈夫だもん。つむじぜんぜん平気だもん」
「そう。……おばちゃんの、言うこと、きいてる?」
「うん。おばさんやさしいし、お料理はおいしいし。たこばっかりだけど」
「……そう、よかった」
いっそ別人だと思いたかった。でも、その声、左目の下の泣き黒子、そして苦痛に顔を歪めながら笑いかけようとするその優しさは、どうしようもなく母のものだった。わたしは、涙を我慢するので精一杯だった。
「つむじ。……手を、にぎっ、て、頂戴」
ずるり、と毛布の中から骨と皮ばかりの右手が出てくる。……駄目だ。やめろ。その手を握ってはいけない。『私』は『わたし』に呼びかける。しかしこれは、既に起こった過去。ただの観客である『私』は、映画の中の『わたし』を変えられない。『わたし』を掴もうとした『私』の手は、するりと空を切る。
「でも、お医者さんがだめだって」
「……お願い。お母さん、手をにぎってくれたら、きっと、元気になるから」
そう言われて、『わたし』は断ることが出来なかった。
母の『きっと』は嘘をつくときの口癖だと知りながら。
その時の母の手の感触が『わたし』を通じて蘇る。
恐る恐る触れた手は、わたしよりも痩せ細っており、まるで氷を掴んだかのように冷たかった。
「おかあさん、わたしが、きっとげんきにしてあげるから」
わたしは無理やり笑顔を作って、母の手を両手で握り締めた。
こらえきれなくなった涙が、ぼたぼたと手の甲を濡らしていった。
(かみさま。もしかしたら、いるかもしれないかみさま。
おねがいです。わたしの元気を、おかあさんにわけてください。
おかあさんが、いなくなるのはいやです。
わたしのいのちを、はんぶんおかあさんにあげてください。
そうしたら、ずっといっしょにいられるから――)
わたしは、ありったけの祈りをこめて、その手を握った。
私の手に宿る異能が、【奪う】ことしか出来ないとも知らずに。
 |
つむじ 「……。はぁ」 |
 |
魔女 「目が覚めたか。どうした、ずいぶんとうなされていたようだが」 |
 |
つむじ 「……ん。まぁちょっと、昔の夢をね。私病院でお見舞いしてたらその場で倒れちゃって即入院したことがあるんだけど、まぁそのあたりのこと……とか」 |
 |
魔女 「……そうか」 |
 |
つむじ 「その時はさ、三日三晩高熱が出て、そりゃもう大変だったんだから。おっと、寝てる暇なんて無いんだった。さーて今日もさくさく進まないと!」 |
 |
魔女 「……そうだな」 |
 |
魔女 (……『その手を握らないで』か。ただ熱にうなされただけの夢なら、そんなうわ言にはならないはずだが……一体どんな夢を、どんな過去を見たというのだ……?) |
三日三晩の高熱から回復した朝、わたしは伯母から母親の葬儀が終わったと伝えられた。
それから二十年。私は未だに、他人の手だとか、純粋な善意とかいうものを少しだけ苦手にしている。