
その日は珍しく何もかも順調な日だった。
アズちゃんの特製の朝ご飯は美味しかったし、通勤のバスはとても空いていたし、インテグラセンター周辺お掃除もゴミがほとんど落ちていなかった。
司書の仕事も今日は少なめで、これは安定の定時帰りが約束されたかと思った午後四時半。
私はインテグラセンターの事務をやっている後輩に声を掛けられた。
「あの、ウルド局長……ちょっとご相談が」
あ、これ。嫌な予感のするやつだ。
「えっ、何?相談って」
私は嫌な予感を悟られまいと、営業スマイルで応対した。
「実は、ヒノデ区の良い所をアピールしようという、ヒノデ商店街の皆様を集めたプレゼンテーションの資料がまだ完成していなくて……ヒノデ区に詳しいウルドさんにお手伝いお願いしてもいいですか?」
「え、うん……別に大丈夫だけど。大体何割完成してるの?あと、そのプレゼンの発表っていつなの?」
「それがその……明日のお昼からで。まだ半分ぐらいしか纏まって無くて……」
「……うわー。何でそれを今言うかなぁ。間に合いそうに無かったら手伝うから早めに言ってねって、事前に言っておいたよね?」
私は額に手を当てながらため息をついた。
「あっ、ごめんなさい。急用があって後回しにしていたらすっかり忘れておりまして。ヒノデ商店街の皆さんには延期をお伝え願えませんか?」
「いや、それは流石に無理だよ。今から言っても間に合わないし……私が進捗ちゃんと確認しなかった部分もあるから責任もって手伝うよ」
「あ、ありがとうございます!ウルド局長!それであの……もう一つお伝えしないといけない事が」
「えっ、何?まさか悪い話じゃないよね?」
「あっ、違います。いい話です。友達の旅行のお土産が届くって宅急便の人から連絡があって、荷物の受け取りで今日は定時で失礼します♪」
「えっ、それは後輩ちゃんにとっていい話で、私には全然いい話じゃ無いよねえーっ!?」
「あっ、残り30分頑張りますので、一緒にプレゼン資料完成させましょう!」
後輩ちゃんは生粋の天然だった。
『ヒノデ区の商店街オーソライズのアジェンダなパラダイムにインテグラセンターのバジェットを踏まえたトータルソリューションを目指して、期間にバッファを設けたスキームを実現する事を主軸とした……』
「えっ、これ読める人居るの?」
後輩ちゃんお資料は横文字ばかりで、きっと商店街の人達の頭の中には「???」が浮かびそうな説明文に私が赤字で添削すると、使える文章は1割も残っていなかった。
「ダメですかー」
「うん……もう少し分かり易いように作らないと、商店街の皆さんもちんぷんかんぷんだと思うよ。あんまり難しい横文字使うのをやめよう?」
「分かりました。ウルド局長がお手本を見せてください」
「うん、まぁ手直しはするけど……後輩ちゃん、もう帰る時間だよね?」
「あっ、そうでした!お先に失礼します♪」
後輩ちゃんは手を振って口笛を吹きながら帰って行った。
「うおおおお……資料を明日の昼までに完成かー……午前様確定じゃんか!」
どうやら今日は、最悪の日だったらしい。
―資料が完成したのは、次の日の朝日が差してきた頃。
「これ、結局私が全部プレゼン資料作っただけじゃね?」
とても虚無な真実を悟ってしまった私は、後輩ちゃんのパソコンに完成資料を保存した後ようやく帰途につくことができた。
「嗚呼、朝日が眩しくて溶けそう」
こんなに頑張ったけど、プレゼン資料発表するのは後輩ちゃんだし、私は誰にも褒めてもらえないんだよなぁとか考えていると虚しさがこみ上げてきた。
とにかく早く帰って泥のように眠りたい。
大使館に帰宅早々シャワーを浴びた私は、さっさと着替えてオフトゥンの中にINした。
あんまりに虚無な労働を終えたせいで、私の心は疲れ果てて誰かの癒しを欲していたらしい。
夢の中にマグノリアちゃんとユカラが現れた。
「深雪様、夜遅くまでのお仕事ご苦労様です。今日は労いの席を用意しました……此方へ」
私がマグノリアちゃんに案内された場所はなぜか私の部屋のベッドで、そこでユカラが寝転がって布団を開けながら手招きしていた。
「来いよ子兎ちゃん。かわいがってやるから」
いや、ユカラお前そういうキャラじゃないだろう。
マグノリアちゃんもそんな労い用意するわけねーし。
夢にしても、自分で違うって分かるほど酷い夢ってあるんだなーと夢の中で何故か素面になってしまった。
「素直じゃ無い子兎ちゃんだな。それならこうだ」
ユカラが指をパチンと鳴らすと、マグノリアちゃんが突然私の背中を突き飛ばした。
「深雪様、お許しください!」
「な、何をギャー!?」
私はそのままユカラの居るオフトゥンに飛び込むと、ユカラにめちゃくちゃにかわいがられた。
……って、そんなアホな現実あるか!
私はどれぐらい眠っていたのか分からないけど、目を覚ました。
時間は何時だろう?
ベッドの近くに置いてある目覚まし時計に手をかけようとした時、隣に誰か寝ている事に気がついた。
えっ、何これ……ユカラじゃん?なんで一緒に寝てんの?
目覚まし時計に触れるとユカラを起こしてしまいそうなので、わたしはそっと手を戻した。
まだ夢の中にいるのかもしれないと、試しに自分の尻あたりを軽く抓ってみる。
……普通に痛かった。
えっ、どういう事?
ユカラが私のベッドで寝てるってどう考えてもおかしいし、私の見てた夢も何処から何処までが夢だったの!?
夢じゃないとしたらこれはユカラの偽者?だって現実で考えてユカラが私の横で寝てる理由なんて何処にも無くない?
それにこんな状態をもしアズちゃんに見られたりしたらきっと誤解されるしショック受けたりするかもだしというか、ホント何なんだこの状況、地獄から天国になったワーイって素直に喜こべねぇし、どう好意的に解釈してもここから先の展開に修羅場しか想像できねー!?
そうだ!私はここに寝てなかった事にしよう。
そして、ユカラが寝てる事も知らなかった事にしよう。
私はできるだけ音を立てないようにベッドからエスケープしようと企てるのだった。
がしっ。
布団から抜け出そうとする私の腕を、何故かユカラに掴まれた。
「ぷぎゃ!?」
何を喋っていいのか分からず意味不明な悲鳴を洩らしてしまう。
私の腕を握って引き戻すユカラは、じっと私の事を見詰めていた。
……え、何?何か言われるのこれ?
「まだ行っちゃ駄目」
私は何かしちゃった後なんだろうか?
えっ、ええええええええええええええええええええ!?
なんも覚えててねぇええええええええ!?
なんか色々妄想しているうちに、私の頭の中がブルースクリーンになった。
システムダウンです。深雪はシャットダウンします。
がくっ。