「信じて貰えないかもしれないけれど
僕たちは案外人間のことが大好きだ」
自己紹介をしよう。私の名前はナンディナ。
カダーヴェルヘールヴァ氏族のナンディナ。
とある分割世界に生きる長命種(これは人間を基準にした物だ)で、人間の血を生存に必要とする。
それ故にカダーヴェルヘールヴァ氏族は『吸血鬼』と呼ばれる。
悪竜の二つ名は氏族から——その分割世界からアンジニティに追放されるときにつけられた物だ。私は悪をなした。悪をもってそれを濯がねばならない。
発端は私の所領で疫病が出たことだ。
肺を病み、咳が出る。私はそういう症状を抑えるのに適したカダーヴェルヘールヴァであったから、所領の人々を癒やした。その数およそ五万人。
所領に平和が戻り、人々に笑顔が戻り、交易の人は絶えず。
——そして。
私がしたのは結局、「症状を抑える」事だけであって、病を癒やしたわけではなかったらしい。
私の所領の人間が通った場所に疫病が出た。
疫病は国を巡り、諸国を巡り、世界を巡った。
氏族の物が手を尽くした(私ももちろん尽力した)が、事態が収束した折には人間の数はあまりにも減ってしまった。
そうして私は氏族の円卓の前に膝をつかされていたのだった。
今や円卓に座ることは許されなかった。
聡明な氏族の仲間たちは原因を究明し、それが私の浅慮にあると結論した。
私は人間を助けたかった。そして助けたが、その行為はより多くの人間を死に追いやった。
その咎により『アンジニティ』と呼ばれる世界へ行かされる。と長老から宣告される。
そこで私が助けたのと同じ数の人を殺せば、この世界に戻れると約定がなされた。
私はそれを受け入れながら、到底無理だと思った。
私にはそんなことはできない。無論、氏族の誰にもだ。
人の身を超えた命と力を持っていても、人がどんなにか細く死にやすい命でも、奪おうと思わなければそれは不自然には奪われない物なのだ。
氏族の者は例外なく人間を愛していた。
その地に生きる営みを愛していた。
そうであればこそ、私にその条件が課せられたのだ。
愛する者を奪った者に、最も重い罰を。
罪を償う気すら萎える罰を。
そうであるから、アンジニティに降り立った私には枷の一つもはめられていなかった。
「信じて貰えないかもしれないけれど
僕たちは案外人間のことが大好きだ」
人の血が必要だといっても、それは人を殺す程には必要ではない。
それに私の必要とする血は月に四度ほどであるから、蒜手に嘘をついたまま、血について素知らぬ顔をしていられる。
残り30時間。
彼女に嘘を突き通すのにはあまりにも短いように思える。
彼女には、私が「南天然」の変化した姿だと、そう嘘をついたままでいよう。
嘘をつくのは心苦しいが、本当のことを話すのはあまりにも酷なように思えた。
彼女は私を信じてくれる。それはなんと尊いことだろう。
30時間後。もしもイバラシティを守りきった暁には彼女はどうなるのだろう。
彼女の記憶から私のことが消える。
南天然の事が消える。
私は私より後に死ぬ者の知り合いがいないが、それはまるで彼女より自分の方が先に死ぬのと同じ事のように思えた。
彼女より先に自分が死ぬ。
生まれて初めて直面する事態に、なんと心を抱いたら良いのかわからなかった。
「信じて貰えないかもしれないけれど
僕たちは案外人間のことが大好きだ」
もう一人、私を信じてくれるといった人物がいる。
目から(自称)ケチャップを流しながら私を、皆を信じているといった笹塚。
痛みで錯乱しているとしか思えない言動だった。
彼女は自分を大事にしない。
それがいかなる理由による物なのかはわからないが、痛みの中でさえ自暴自棄なことはあんなかわいらしい嘘に気がつかないと思っているのだろうか。
——思ったのかもしれない。
これらの信頼は南天然が培ったものだ。
あの、無防備に人を信じ、そして人に信じて貰える存在。
それがなんとも歯がゆかった。
「それは、私が貴方の食べ物だからですか?」
それはひどく古い記憶。
まだ私が幼かったときにある人間に言われた言葉だ。
『吸血鬼』は人の血を糧にする。
それ以外の物を口にしなくともよいくらいだ。
だから人間をどんなに愛していても人間から信じられることはない。
蒜手からの親愛も、笹塚からの信用も
人間である南天然のものだ。
笹塚は南天然の存在を信じている。
そうであれば、それを守ることが彼女のところにとんでゆけない私にできる全てなのだろうか。
誠実に嘘を突き通すことが彼女のためならば、私はそうせねばならない。
笹塚もまた、私より長く生きることになるのだなと思った。
可能な限り苦悶のない生を。イバラシティで。そう願いたかった。
「信じて貰えないかもしれないけれど
僕たちは案外人間のことが大好きだ」
アンジニティの空は紅く、少し陰れば昼でも難なく出歩くことができた。
そして私は出会ったのだ。地に伏せる真白い裸身の少女に。
死んでいるのかと思ったが、か細く脈があったので私の城へ招いた。
蒜手を入れた影の部屋とは規模が違う、広大な影の城だ。
食事を用意し、寝床を整え、人が生きるのに必要とする子細を整えてなお、彼女は私を憤怒と屈辱の表情で見ていた。
力で押さえねばならないこともしばしばあった。
理由は簡単なことである。
信じて貰えないかもしれないが、これは本当に不慮の事故で、私はすっかり忘れていて。
三日ほど彼女に衣服を渡すのを忘れていた。
「信じて貰えないかもしれないけれど
僕たちは案外人間のことが大好きだ」
イバラシティは小鳥が自由に空を飛び、さえずることのできる楽園だ。
しかしアンジニティはそうではない。
ナトゥーラと名前を名乗った少女が一人で生きていくのは到底無理に思われる大地だった。
そうであるから私は彼女を鳥籠に入れた小鳥のように扱うことにした。
「やめて」と彼女は苦悶の表情を浮かべていう。
私の毒は彼女には効かなかった。効けば血を吸われる間も法悦のうちにあって痛みも感じないというのに、かわいそうな彼女はその効果のうちになかった。
彼女の血は蜜のように甘く、酒精の快さを忘れる程だった。
何もできないまま流れる時間に膿んで、私は彼女との時間を過ごした。
「殺してやる」と言うのが聞こえた。
影の城の一室の、甘い香りの中で。
どうやら彼女の香りにも毒があるようだったが、残念ながら私にはその毒は効かなかった。
思い出すまでもない私のアンブローシア。
…………甘美なだけの香り。
今やそれは、『それ』以外の意味を持っている。
あの香りを『僕』はイバラシティで嗅いだことがある。
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