
手に入れた肉を眺める。
勝手に飛んでいったのは意味がわからねぇが、見た目は普通だ。不思議と汚れてはいない。よくわからん生物やその辺にぶつかった肉なんてめちゃくちゃ不安になる。それに、得体の知れない生肉を食う趣味はない。
まぁ、順当に焚火で焼いてみる。
じゅうじゅうと音をたてて焼けていく肉。
頃合いを見て、少しだけ齧ってみるもおかしな所はない。
「普通、だな……」
ハザマでは、その手の異能があれば作った料理に何らかの付加効果がつくらしい。逆にいえば、そのへん拘らなければ焼いて食うも煮るも自由っぽい。イバラシティで読んだゲームの中に行く小説みたいに、スキルなしで肉を焼いても黒こげになったりはしないのだろう。
それでも不思議だ。
冷静になると色々と違和感がある。
異能とか、Cross+Rose とか。
そう思うと、ここでこうして考えてる俺はデータ上の存在で、イバラシティのが送られた本体で。いや、逆か? イバラシティ側がコピーみたいなもんなら? イバラシティという実在の世界にデータだけの存在が介入できるとは思えねぇから、下手したらイバラシティそのものが仮想的な世界って可能性もある。いや、これもうさ。キリねぇよ。俺が元いたとこでも、宇宙は情報だけで出来てるとか他の宇宙で行われてるシミュレーションに過ぎないとか考えてる連中がいたし。
ま、今は今のことをだ。
自己の存在に疑いをもったなんつー理由で生きる為の選択を投げ捨てるのは、例え俺がまやかしの存在だとしてもあまり面白くはねぇ。
元々大した能力もなく術なんてきれいなキラキラを出すくらいの俺が、ここハザマでは色々できるのも意味がわからねぇし、肉出したら勝手に飛んでくのは、どうしたって意味がわからねーが。
この世の “想像主“ のセンスを疑うよ、全く。
♦︎
そんな思考に時間を割けるほどに。
当初思っていたよりも時は穏やかに過ぎていく。
時折遭遇する連中を除けばだが。
それが特異であろうことには、伝え聞く情報から気づいていた。
イバラシティの俺はマシカの海から殆ど動こうとはしない。最近の事件といえば近くで火事があったくらいだ。平穏な日々と美しい海の記憶はハザマの俺に何の負担も強いることがない。
慣れた手付きで Cross+Rose のインターフェイスをタッチすると、いくつかのウィンドウが空中に展開された。赤く縁取られたフレームの中で情報が錯綜する。
噂も事実も。様々な出来事がここには綴られている。そこではイバラシティでの友人がハザマでは敵だったなんてありふれた出来事だ。流れ込む記憶と自己との隔絶に苦しむ奴もいる。そこかしこで滲み出る叫びと苦悩が。直接聞くことはなくとも、ここハザマには満ち溢れているかのようだった。
そのいずれからもどこか離れた位置で、あたかも他人事のように ——いや、実際に他人事なのだが—— 俺はハザマを観測している。
イバラシティのネットで見た言葉を思い出す。
なんだっけ、アレだ。
たしか……
「正常性バイアス、か」
あぁ、それだ。そんな感じだ。まぁ、だとしても、気が狂ってしまうよりは悪くはない。既に狂っている? 可能性はなくはねぇが。それは多分ねーかな。深読みも過ぎると生きるのに不便する。
それはそうとして。
俺はイバラシティでの俺も紛れもなく自分だと感じている。
時折流れ込む記憶は自らの過去の経験のように馴染んでゆく。
『人の ”今経験している” という感覚はね。実際に今ある刺激か、想像したり伝え聞いたものか、記憶から再現したものか。システム的には区分けされていないのだよ。物語に怯える時、思い出が蘇る時、それを経験しているかのように脳は活性化するんだ。だからこそ、こうした術の付け入る隙があるのだがね。……聞いていたかい? まやかしの術について聞きたいと言ったのはキミだろう、イツ。まさか、寝てる?』
聞いていたさ。
吊るされたハーブの柔らかな香気と、奴には似つかわしくない品の良い紅茶の香りが会話の記憶と共に蘇る。ちょうど、彼の言う感覚のように。
あの目隠しの男にも話したか。俺の知っている生き物とイバラシティに住むものの脳? 精神構造? そういうものの作りに大差が無ければっつー話。昔得た知識もイバラシティで得た知識も似たようなものだ。多様な生き物…… それに人工のものも含めた知能において、その仕組みには共通したものがあるという事実を合わせれば。ここには脳がねぇとか霊体とかそういう連中もいるとしても、あながち外した話でもないはずだ。
イバラシティでの時間が自分に統合されていくこの感覚はそんな脳の曖昧さ、いや、適応性か? なんかそんな感じのいい感じにするやつで、そうなってるのかもしれない。まぁ、脳を模した何かかも知れねぇが、今はそれはいい。
画面をスワイプする。
Cross+Rose がまた別の情報を映す。
ハザマは感情に満ち溢れている。
そうだ。
統合には程遠い奴もいる。
統合されるからこそ悩む奴もいる。
俺のこの、平穏な時間もいつ崩れるか。
立ち上がり、見ていたものを全て閉じるべく指を払う。
赤い空に赤いウィンドウが溶けてゆく。