
お父さんの顔は怖い。
ちっちゃい子が泣いたり、犬が怯えたりする。
私は慣れてるから平気だし、かっこいいと思ってるのだけれど
今のように眉間にシワをよせて黙っていられると圧がすごい。
どう見ても機嫌が悪い。雷が落ちるかもしれない。
今はただ、この沈黙が重く、つらい。
私はどこで、何を間違えたのだろうか。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
2月8日 土曜日
この日は朝から電車に揺られていた。
いつも通学に使っている、いつもの電車。いつもより少し遅い時間。
いつものウラド駅ではなく、そのひとつ前のマシカ駅で降りた。
駅と繋がっている高層マンションを見上げる。
グランパレスマシカ。
つい、いつものようにそちらへと向かいかけてしまう。
マシカ区での用事といえば、そこに住む友達に会いに行くためなのがほとんどで。
けれど今日はそうではない。残念ながら今日はソロ活動だ。
(百香の部屋は……あの辺りだったかな)
毒島 百香。私の自慢の友達。
とにかくかわいくて頭が良くておしゃれで靴がいっぱいでふわふわしていて暖かくて。
でも、最近はお互い忙しくなってしまってあんまり遊べてなくてさびしい。
春から高3だから仕方ないんだけど。
駅から東へ進み、琥珀色の橋を渡って河口を越える。
「冴珀ちゃんの橋だね!」
などとうれしそうに言われたこともあるが、もちろん私とは何の関係もない。
本当に、ただの偶然だ。
けれど名前の由来が自分と同じ橋なので、なんとなく思い入れのようなものがあった。
ぺちりと欄干を一叩きして心の中で挨拶をする。
(ひさしぶりだね、アンバーブリッジ!)
アンバーブリッジから西へと進む。
マシカ神宮を通り、道なりに歩いていくと目的地が見えてきた。
アンティークな感じのおしゃれなお店。
ショコラトリー・エピヌ。
バレンタイン前の土曜日ということもあって、遠目にも賑わっているのがわかる。
出来ればもうちょっと早く済ませておいたほうが無難で賢明だったとは思う。
思うけど、いろいろと悩んでいるうちに時間は過ぎてしまい
百香に相談してオススメしてもらったのがこのお店なのだ。
店内に入ると誘惑が、すごい。
どれもおいしそうに見えてしまって困る。いや、きっとおいしい。
だって百香のオススメだし。
悩みながら店内をぐるっと一周してみる。
目移りして決められないままもう一周した。
本命とお父さん用と自分用を予算の中で選ばなくてはいけない。
かつてない苦しい戦いだった。
本命は…6個入りのアソート。
ルビーショコラ チェリー
ジャンドゥーヤビターチョコレート
マロントリュフ
ヘーゼルナッツ、フランボワーズ、レモン風味の3色のハート型マカロン
……これだ。百香にはカワイイアピールをしなくてはいけないと忠告されたし
マカロンは本命に贈るものらしいし。色も形もそれっぽいし。
『あなたは特別な存在』
………たぶん男子はそこまで知らないし気にしないから大丈夫だろう。
大丈夫。気付かれたら……それはそれで。
でも、お礼として渡すには重いかなこれ……引かれないといいけど。
お父さんにはオランジェット。
小箱に小枝を詰めたような感じでちょっとカワイイ。
お酒のおともにもなる、らしいのでこれで。
自分用にはホワイトチョコラスクとかもうちょっと気楽なのを適当に。
百香への友チョコも迷うところだったけれど
それはまた今度二人でここに来たときにということにした。
ショコラトリー・エピヌを出て、マシカ神宮まで戻り
ツクナミセントラルラボ方面行きのバスを待ち、乗車する。
ツクマミ区にはほぼ毎日通っているけどこちら方面から行くのは珍しい。
学校は西寄りの場所にあるので私はウラド駅から自転車で通っている。
中央や東側には個人的にはあまり用事もなかったのだけれど
これからはそうでもなくなるかもしれない。
次の目的地はツクナミセントラルラボ…ではなくその隣のAAAビル。
目的は……果たせたような、そうでもないような。
協力者として登録しに来たのだけれど、未成年は親の許可が要るということを
見落としていたせいで受け取ってもらえずで出直しな感じに。
まぁ、それはまた学校の帰りにでも寄って済まそう。
今日、わざわざここに来たのは協力者登録のついでをよそおってチョコを預けに来たのだ。
バレンタイン当日に直に、というのはいくらなんでもちょっと重いし。
今年は平日だし、学校違うし。
AIKOちゃんならロボだしそんなに気負わずに預けられそうだし。
……とか考えていたのだけれど受付にいたのはAIKOちゃんではなくバイトの娘だった。
しかもソラコー生。いや、ソラコー近いからそれも不思議じゃないんだけど
ここにバイトしてる子がいるかもという考えがまったくなかったみたいで。
しかもいないだろうと思ってた平坂君もいて、べつに忙しくもないという。
全ての想定がまるで合ってなくてかなり挙動不審になってしまったけれど
とりあえずエピヌで買ったチョコを預けることはできた。
あの娘が言いふらすようなことはたぶん無い と思いたい。
大人しそうな感じだったからたぶん大丈夫……大丈夫。
それよりも平坂君のことを名前で呼んでいたことのほうがひっかかる……
学校で会ったらあいさつぐらいはしておこう。AAA的にはセンパイだし。
などともやもやとはしていたけど、考えてもしかたないので気にしないようにした。
出来れば、なかよくしたいとこなんだし。
そうして用事が片付いたので帰ることにした。
寄り道するような予算はもう、ない。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「駄目だ。と言ったら、どうする?」
「えっっ、なんで!?」
溜息をつく。当然のように許可が下りるとでも思っていたのか。
「質問に質問で返すな。だが…そうだな。
お前は受験を控えていて、理転の為の勉強中で
最近体力作りの為に早朝ランニングもはじめました。
とても忙しいですね?
なのにそれらに加えてAAAの協力者として登録したいから
許可をくれと言われても、はいそうですかとは言えんぞ」
「うっ。そ、それは、そのー……がんばるから!
勉強が一番で、体力作りが二番。
協力者としての活動はその次ぐらいの感じで!
無理せずやれるときにだけやる感じでやるし
危ないことはしないから………ダメ?」
「………」
困った。まさかそんな事を言い出すとは予測出来なかった。
しかしAAAに所属するということは関係者としてAAA本部の
ある程度のところまで疑われずに入り込める、ということだ。
協力者ということはそう深くまでは立ち入ることは出来ないだろう。
しかし冴珀の異能は治療系だ。
メディカルルームに入ることは出来る、かもしれない。
そこで仕込めれば奴らに致命的なダメージを与えることも出来る。
冴珀はXYZのことはなにも知らない。
だからこそ、疑われる確率の低い侵入ルートにも成り得る。
しかし
「…どうしても、か? 受験が済んでからでは駄目なのか?」
伊月。お前を殺した連中の所へ冴珀が行きたがっている。
あの御方を害した……あの御方に剣を届かせた連中の所に。
俺達の娘が。
「うん、どうしても。今じゃないとダメ。やだ。
私のね…私の力を認めてくれた人がいるの。
人を助けるための力だって。
その人が…私を助けてくれた。
私もね、人を助けられる人になりたいんだ。
私の将来の……力に、経験になると思うし、だから…」
「……商店街の事故か」
こくりと頷く。
ここで許可を出さねばどうするか。
おそらく、俺から隠れて独りでそういうことをするだろう。
自分で一度決めたことは曲げない。そういう強情な娘だ。
それよりかは連中の所に行かせておいたほうが無茶はしづらいだろう。
こちらとしてもまとめて監視がしやすい。
「わかった。こいつに記入すればいいんだな?」
「ほんと!? やったぁ!」
娘よ。
それがお前の望んだ試練だと言うのなら、俺はそれを認めよう。
そして試練を与えよう。乗り越えてみせろ。
お前の父親はXYZだ。はじまりのXYZ。
壁となりて立ち塞がり、ヒトに試練を与え、ヒトを精錬する者だ。
全ては……人類真化の為。
お前は、そのために生まれてきたのだから。
「ねぇねぇお父さん! はい、チョコあげるっ!」
許可を出した途端に勢いよくどこかへ行った娘が勢いよく戻ってきて
小箱を差し出してきた。苦笑いしつつ、それを受け取る。
…許可を出さなかったら、これは渡さないつもりだったのか……?
「ああ。ありがとう。ふぅん、また洒落たものを選んできたな。
例の恩人さんとやらにもあげたのか?」
「え。 あー……うん」
顔を赤らめて頷いてきた。
かまをかけてからかったつもりだったが、否定もしない。
こいつは思ったよりも重症なのかもしれん。
「それよりさー、今年はなんかいっぱいもらってきてない?」
机に積んである辺りをちらりと見て言ってくる。
「ああ。世話になってる会社の女子社員たちがね、くれたんだ。
わかってる。冴珀に半分あげるよ」
「やったぁ! わーー、これなんて明らかに手作りじゃん。
ヤバくなーい? 本命じゃないの? ねーねー?
なんかこの2って書いてある丸いの何? もらうよー?」
「やめなさい! そいつはダメだ。40と書いてあるのはもっとダメだ。
大人用なんだよそれは。お前にはまだ早い」
眩暈がする。やはり隠しておくべきだったか。
彼女の。冴珀の友達の予測は当たっていた。
数字は中に封入された酒の度数だ。
悪い子のお菓子を2つともつまんで取り上げた。
“40”をくるりと回す。
チョコの甘さと、リキュールの苦味。
酸味と、シトラスの香りが広がる。