第三話 明日への契約
目が覚めると見知らぬ天井があった。
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ユウ 「実際に自分がその立場になってみると、最悪の気分になる憧れのシチュエーションってやつかな……」 |
寝ながら溜息がでる。
軽く首を動かして周りを見れば、どやら病院らしかった。
大規模な病院に運び込まれているかと思ったが、設備や窓から見える景色を見る限り、ここは街の診療所といったところだろう。小奇麗な個室というより、個室を改造した病室といった感じだ。
窓の外には海が見え、覗く苔むした木々が趣深い。奥に竹林が見える。
古びた塀が見える割には行き届いた庭だった。
病院というよりは、こ洒落た料亭のようだ。
入院費は大丈夫だろうか?
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ユウ 「確か……」 |
天井崩落の瞬間を思い出す。
そうだ。あの時、差し伸べた手がコンクリートに潰されて……。
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ユウ 「あ……あぁ……」 |
ものすごい虚脱感が襲ってくる。
あの時手を差し伸べて、そしてどうなった?
右腕の感覚がない。
動けと意識しても動かない。
ぼんやりとした感覚だけがある。
折れているとかそういうものではないというのが、直観として分かった。
震えながら、恐る恐る自分の右手を見ようとする。
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ユウ 「は……はは……」 |
右手はそこには存在していなかった。
ぞわぞわとした感覚だけが二の腕に響く。
喪失の感覚とはこういうものか。
しばらくベッドの上で天井を見上げ、呆然と佇んだ。
泣きたかった。いや泣いていた。
自分の右手が無いことに。
恐らく自分は、あの女の人を救えなかったであろうことに。
右腕の消失と同時に再び瓦礫にうもれた女性の表情がフラッシュバックする。
恐怖と驚愕と、絶望と、諦めと。
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ユウ 「……奇跡が起きないかな」 |
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ミーシャ 「それは、何に対しての祈りかな?」 |
錆びた音を立てて扉が開く。
人好きのする優しそうな、それでいてどこか陰のある白衣の男がそこには立っていた。
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ユウ 「えっと……先生、ですか?」 |
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ミーシャ 「まぁ、ここの主ではあるねぇ。もっとも、君を治療したかと言うと、実はそんなに大したことはしていないのだけどね」 |
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ユウ 「え、でも俺生きてますけど」 |
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ミーシャ 「まぁ、普通はそう思うよねぇ。さてどこから話したものか。……そうだね、まずは腹ごしらえをしようか。多分、とてもおなかが減っているだろう?」 |
ニヒルな笑みを浮かべる先生に言われて気づく。猛烈な、渇きとも呼べる空腹感がそこにあることに。
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ユウ 「はい。ものすごくお腹が空いています」 |
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ミーシャ 「まぁそうだろうねぇ。手掴みできるものがいいか」 |
言うと病院の先生はそそくさと部屋を出ていった。
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ユウ 「なんか重大な発表でもあるかと思わせながらもこの普通感」 |
深刻な話でもされるかと思った割に、飯食べる? 的な対応にもんもんとする。
しかしある意味救われたかもしれない。何気ない先生の対応に、冷静になれた。
自分は右腕がない。体の感覚からすると、多分左足もない。
その状態で生きていて、なおかつ機械につながれっぱなしの危ない状況ではなく、ドロドロの病院食を食べるような状態でもない。
何故か明日にでも退院できますよと言われても不思議ではない雰囲気だった。
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ユウ 「命の心配はしないでいいのか……多分だけど」 |
再び生きているという実感がわいてくる。
きっとこの先、お先真っ暗な辛い道が待っているのだろうが、それでも、今は生の実感を噛み締めたかった。
本の中でニーチェも言っていた。疲れた時に考えても良いことは無いと。好きなサッカー選手の愛読書を興味本位で買ってみて、今日ほど良かったと思った日なかった。
深く考えないことにし、病室に流れる音楽に耳を傾ける。
英語の良くわからない曲が流れていた。バラードだ。
落ち着く感じが心地よい。あとで先生に何を流しているのか聞いてみようか。
そんなことをつらつらと考えながら時間が過ぎるのをじっとベッドの上で待っていると、ほどなくして扉が開いた。
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黒衣の男 「目が覚めたようだね」 |
お医者様か看護婦さんが来るかと思いきや、そこに現れたのは軽薄そうな笑みを浮かべた黒衣の男だった。
見るからに外国の人である。
その割には言葉の発音は完ぺきだった。
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ユウ 「……あなたは?」 |
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黒衣の男 「これは失礼。私はダーウーク・ミームアリフ・ベーイチェー。親しいものからはディーと呼ばれている。そうだな、一言でいうと、君の発見者だよ」 |
言って軽くあごを引くディー。
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ユウ 「あ、それはどうもありがとうございます」 |
思わずお辞儀を返す。ベッドの上で行うお辞儀は、失った左足のせいか、バランスが取りづらかった。
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ディー 「何、気にすることはない。今回は災難だったね」 |
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ユウ 「まぁ、今思えば、命があっただけ儲けものだったなと」 |
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ディー 「死者13名、重傷者25名、軽傷者65名だそうだ」 |
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ユウ 「そんなに……亡くなったんですか」 |
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ディー 「小さな子供も含まれていたようでね、今世間はそのニュースでもちきりさ。しかし……君は意外と普通なんだね」 |
小さな子供、という言葉に一瞬思考が止まる。
大丈夫だ、きっとあの親子は生きている。
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ユウ 「……いや、なんかすいません。生まれながらのモブっ子でして」 |
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ディー 「ふふ、いやそういう意味じゃない。平常心だってことさ。それだけの事故にあって、ずいぶんと落ち着いてる」 |
随分と包み隠さず言う人だと思いながら、どう答えるか考えていると、再び扉が開いた。
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ミーシャ 「ディーさん、患者さんにあまり負担をかけるのは良くないことだよ」 |
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ユウ 「紐……、いや今はミーシャ君だったか。そう堅いこと言わないで欲しいね」 |
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ミーシャ 「医療は廃業したみたいなものだったんだけどねぇ。はいこれ」 |
差し出された料理は綺麗に三角形の形をしたお握りだった。
しかし今不穏な言葉を耳にしたのだが、聞き間違えだったのだろうか。
名を変えた?廃業?どういうことだ。
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ミーシャ 「おかわりいっぱいあるからね」 |
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ユウ 「ありがとうございます」 |
鮭だった。うまい。
だめだ、空腹に勝てない。
どうやら思考を放棄して物言わぬもぐもぐマシーンと化すしかないようだった。
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ミーシャ 「そのまま聞いてくれるかな」 |
ミーシャ先生はそういうとディーさんを脇に立たせたまま説明を始める。
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ミーシャ 「まず、今の君の状況だね。自分の体のことだから、気づいていると思うけど、右手、左足が切断されているよ。これは事故時に鋭利なコンクリートに押しつぶされた形だね」 |
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ユウ 「はい……もぐもぐ」 |
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ミーシャ 「そのままでいいよ。しっかり食べてね。それでね、どうやら君には不思議な力があるらしい」 |
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ユウ 「はい……もぐもぐ……はい?」 |
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ミーシャ 「君の血液を調べたんだが、細胞が活性化し、肉体の修復を極端に進める効果があるようでね、人類を超えた再生能力とでもいうべきかな。万能細胞が常に負傷個所に補給され続けているという面白い効果が確認されたよ」 |
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ユウ 「……もぐ?」 |
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ミーシャ 「ま、わかりやすく言うと、君はある程度の傷は治ってしまう体のようだ。さすがに腕や足が生えてくるとは考えにくいけど、義手や義足を使えば割と簡単に元の生活に戻れるかもしれないね」 |
元の生活に戻れる。それは衝撃的な言葉だった。体の底の方から湧き上がる歓喜が頭へと突き抜けていく。
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ユウ 「ほ、本当ですか?」 |
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ミーシャ 「自分の検査結果に嘘は言わないよ、僕は。君は胸と腹と背中に致命的な傷を負ったようだけど、すでにそれは回復しているよ。実に驚くべきことにね」 |
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ユウ 「ここでまさかの超回復力……」 |
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ミーシャ 「レントゲンを撮ったんだけどね、興味深いものが見つかったよ」 |
嫌な予感がする。
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ユウ 「えっと、コンクリートの破片とかでしょうか」 |
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ミーシャ 「近いけど違うね。ほらここ」 |
言ってボードにレントゲン写真を張り付けそれを見せてくる。胸のあたりに綺麗な円形の影があった。
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ユウ 「えっと……もしかしてガンとかですか」 |
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ミーシャ 「違うよ。この周りにできた腫瘍から君の全身に未知のエネルギーが送られているみたいでね」 |
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ユウ 「未知のエネルギー?」 |
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ミーシャ 「そう。そのエネルギーが細胞に触れることで、細胞を活性、増殖させているね。君が言ったみたいにガンにでもなりそうなものなんだけど、今のところより正常な状態へと回帰させようとしているようだね」 |
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ユウ 「つまりその腫瘍のおかげで死ななくて済んだと」 |
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ミーシャ 「そうだね。君がスーパーマンな理由はこの人工物と腫瘍だとう思うね。傷口の近くにあったからたまたま検査できたんだけど。何か今まで事故にあって、体の中に何らかの物質が残る、とかあったかな?」 |
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ユウ 「いえ、事故は生まれてこのかた今回が初めてです?」 |
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ミーシャ 「……ふむ。だとすると今回の事故で傷口から異物が入ったのだろか……。まぁ経緯はわからないけど、まとめると君は何らかの物質を体内に取り込み、その影響で超回復力を手に入れた。結果、今回の事故で死に至る負傷をしながら、ケロっとしている。ということだね。わかったかな?」 |
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ユウ 「俺、いつの間に人間やめたんだろう……」 |
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ディー 「なかなか面白い人生を歩んでいるね、少年」 |
くっくっくと、他人事のように笑うディーにムッとした表情を返す。無言の避難を受けてディーは眉を持ち上げた。詫びているのだろうか。煽られているようにも感じる。
この人いい性格してる。
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ユウ 「大鳥悠です」 |
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ディー 「では悠君。ま、今のところ何も悪いことなんてないから、良かったじゃないか」 |
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ユウ 「ええ、まぁ」 |
ビー玉くらいの異物が体の中にあると言われると、どうしても一抹の不安がよぎる。
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ミーシャ 「さて、ここからが本題なんだけどね」 |
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ユウ 「え、今までのって前置きだったんですか」 |
割と人生にかかわる話だったのですが。
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ミーシャ 「はっはっはっ、実は僕はね、医療資格はちゃんと持ってるんだけど、本業は義手、義足の作成なのさ」 |
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ユウ 「……っ!」 |
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ミーシャ 「もう一度、歩いてみる気はないかい?」 |
そう言って笑う先生のニヒルな笑顔が神様に見えた瞬間だった。
◆◆◆
リノリウム張りの廊下に足音が響く。院内は閑散としており、病人の姿は見られない。
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ミーシャ 「さて、これで契約は完了だね」 |
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ディー 「君も随分と丸くなったね」 |
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ミーシャ 「最近は何でも証書が重要になってしまってね。困った世の中だよねぇ」 |
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ディー 「何かしら自衛の手段は必要だと思うから、まぁ好きにやってくれたまえ」 |
4
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ミーシャ 「あぁ、久々だなぁ……生の検体は」 |
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ディー 「君は改造の事を考えている時が一番輝いているね」 |
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ミーシャ 「あぁ、ちょっと楽しくてね、笑ってしまっていたね、ハハハ」 |
誰も居ない廊下にコツコツと靴音を響かせながら、二つの影が地下室へと降りて行った。