
邪魔だ、とは思ったけれど、それで何ができたということはなかった。
異能で戦えばいい。そんなことを言われたけれど、わたしは自分の異能のことなんてこれっぽっちも覚えてない。
戦い方だってわからない。この途中で途切れた腕では、殴り飛ばすことだってできないし、そもそも拳があったとしてもきっとわたしには大した力もない。
だから何をどういう風にわたしがその赤いどろどろと戦ったかなんてことも、全然覚えてない。
でも気がついたらそれはめちゃくちゃに飛び散っていて。
わたしはそれに驚いて、わけもわからないままに地面を転がって天を仰いでいた。
赤くて昏い。
気分の悪くなるような空。
それを遮って、あの人がわたしを覗き込む。
「なんだ」
笑う。
「思いの外、根性のある娘じゃあないか」
ドアはわたしを助け起こすようなことはしなかった。ただ立ちぼうけのままわたしを見下ろしていた。
わたしはそれが、それで、きっと正しいんだと思った。
わたしは助けを求めていないし。彼がわたしを助ける義理はない。
でも、だからこそ不思議だったのが、
「……先に行ってしまったと思ってた」
「よく分かっている」
腰を下ろす。横たわるわたしを眺めて、立てた膝に頬杖をつく。
「そのつもりだった」
「ならどうして?」
「思い出したことがあってな」
視線で次を促したわたしに、彼は目を眇めてみせた。
「子供は嫌いじゃない」
「…………。じゃあ、わたしは幸運ね」
「殺されかけたのに?」
そういえばそうだった。
「ほんとうに幸運な子供であれば、もっと優しい保護者に巡り会ったのではないかね」
「……誰にも顧みられないよりは、いいんじゃないかしら」
「違いない」
くつくつと笑う彼が、立ち上がる。
赤みのかかった琥珀の瞳。燃えるようなその色彩が、なぜか空の色と被って見えた。
「私にとってはどうでも構わないことだが」
彼は最初にそう前置いた。
「イバラシティでの記憶はあるか? 私と別れて、再びこうして巡り逢うまでの間。途中に意識が途切れて、他の場所で過ごした記憶は?」
不思議なことを訊くものだと思った。そんなものあるはずがない。
わたしはずっとここにいるのに。
なのにわたしの否定は彼にとっては意外に思われたようだった。そうか、と小さく呟くのが、わたしにはやっぱり不思議に思えて、
「……なにか、おかしいの?」
「いや。そういう結果になるのかと思った、というだけだ」
「?」
再び、小さく溜め息。
その後に彼は口を開く。
「私にはその間にイバラシティで過ごした記憶がある」
「……?」
よく分からない。わたしが彼を見失った少しの間、彼はイバラシティにいた?
「この空間が特殊なのだろうな。……だがお前にはそれがない」
「……よく分からないわ」
「何。言ってしまえば、簡単なことだ」
「——やはりお前は死んでいるのかもしれない、という話さ」
◆
ワールドスワップ、という異能によって、イバラシティにアンジニティの住人が紛れ込んだ。
ただしそれは"仮の姿"でもってだ。明らかな異邦人とは分からないように、最初からそこにいたものとして、イバラシティで仮初の日々を過ごす。
本人たちすら侵略者の自覚を持たぬままに。
そして定期的に訪れるハザマ時間。
その度に彼らは自分たちの本分を思い出す。
自分たちは侵略者であることを。イバラシティを乗っ取るための戦いに身を投じるものだということを。
イバラシティの民ももちろん無抵抗ではない。
強化されたという異能で、アンジニティの住民に抵抗する。戦う。自分たちの生活を守るために。
イバラシティの日々を胸に懐きながら、自分たちの生活を守るために。
でも。
「イバラシティでのお前は死んでいる。そうでなければ意識のない昏睡状態になる」
「だから、ずっとハザマ時間にいる……?」
「分からんがな。私はお前のことを知らん」
煙草の煙を吹かしながらドアは他人事のように言う。
違う。ほんとうに他人事なのだろうと思う。
「……でも、わたし、ひとつだけ覚えていて」
「なんだ」
「わたしが殺された、ってこと」
それだけは最初から、なんだか確信があって。
だからきっと、昏睡状態だとかではなくて、わたしはほんとうに死んでいるんだろうって。
理屈ではなく、理由もなく、わたしはそう信じている。
「……ふうん」
ドアが煙草を捨てて踏み躙る。品の良い仕草ではない、とそれをわたしは受け止めていた。
「ならばお前には復讐の権利がある」
「——え?」
復讐。
脈略のない響きに、わたしは目を瞬いた。
「イバラシティの誰かがお前を殺した。お前は死んだが、そいつはおそらく生きている」
「…………」
「であればお前はそのイバラシティの人間に復讐する権利がある。違うか」
「……そんな、ことを言われても」
「殺されたことを、恨まないと?」
「そういうわけじゃない、けど、……でも、そもそも無理だわ。わたし、誰に殺されたか覚えてないし、……覚えてても、ここからじゃあ、どうしたって」
「簡単なことを言わせるなよ」
彼は呆れ果てたように溜め息を吐いた。
「そいつをアンジニティに追いやることができれば、十分な復讐にはなるのではないか」
「……それは」
「まあ、復讐は不毛なものだ、という論は認めるが。それを言い出したら人間の人生そのものがそれなりに不毛だ」
「…………」
「やりたいようにやる。人生などそれでいいものと思うがね」
腰を上げて、彼はわたしに背を向けた。いつまでも一緒にいてくれる気はないのだろう。少なくともわたしに合わせる気は。
「言い忘れていたが、このハザマ時間での闘争。一時間を三十六回繰り返して、それで蹴りがつくらしい」
「……?」
「既に私にとっては二回目だから、まあ一時間は食ったな。……要するに」
「お前の残り時間はあと三十四時間と少しだ、ということだ」