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イナジナリーフレンドという概念がある。
ざっくり言ってしまえば、個人の脳内にのみ存在する架空の人物ということだ。
俺は昔から幻覚をよく見る子供で、
当然の如くイマジナリーフレンドも見えていた。
"それ"は、俺の家族だった。
物心つく前に引き取られた俺に、養親以外の家族なんていないはずだった。
だけど、俺には見えていた。いるはずのない、もう一人の子供が。
家の空き部屋に足を運べば、そこには年上の女の子が住んでいた。
俺のとおそろいの勉強机にかわいらしい小物がいくつか置いてあって、
ノックをせずに入ってはよく怒られていた覚えがある。
小学生当時の俺はガキ大将を気取っていたが、そのせいかあまり友達の多い方ではなかった。
遊び相手と言えば大体その子で、一緒に買い物をしたり、料理を作ったりもした。
もう記憶も朧気だけど、たくさん遊んだような気がする。確かにそこにいた筈なんだ。
"それ"が見えなくなったのは、合同遠足の日。
俺は上級生のバスにこっそり忍び込んで、その子の隣に座っていた。
一番後ろの席、隣もあらかじめ開けておいて貰ったのだ。
そのクラスの担任が気の弱そうな先生だったので、特に怒られることもなし。
世間話をしながら、駐車場への到着を待った。
バスが山道を走っていたら突然、大きな地震が起きた。
車体は大きく転倒し、落石や木の枝が窓を突き破ってくる。
中は、ミキサーにかけられたみたいにぐちゃぐちゃになっていた。
俺はその時気絶していて、目を覚ますと俺は"それ"のいた席に寝かされていた。
"それ"を形容する名前を何度も呼んだ。"それ"はどこにもいなかった。
"それ"が存在していた痕跡は跡形もなく消え去っており、
家の空き部屋からも勉強机が消えていた。
それが本当は"架空の友達"で、事故のショックそれが消滅したなんてことを散々聞かされた。
だけど、今でも俺にはわからない。他の幻視をたくさん見て来たからこそ、その違いがわかる。
最初からいなかったことになっていたとしても、
"それ"は確かにそこにいたのだと。
今はもう実在を約束された思い出すら幻のように曖昧で、
実在と虚構の一体何が違うのだと自らに問いかける。
その度に、うまく思い出せないでいる自分に苛立ちを覚えるのだ。
ここに来るとき、『ワールドスワップ』について聞いた。
この街の一部を改変し、辻褄を合わせ、ごく自然に、巧妙に紛れ込む……と。
侵略が成功すれば、アンジニティの住人はこの街の住人と入れ替わるのだそうだ。
―――つまり、『いなかったことにされる』。
どちらに付きたいかは、明白だ。
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