
午前5時50分。少し朝というには早い時間。12月になったばかりの空は暗い。掛布団を畳みつつ点けたテレビが、ニュースでいつものように『事件』を連日のように伝えている。一番最近のものは、三週間前のものだったはずだ。少なくとも、この国では。それは、首都で起ったモノだった。通勤時間での出来事。間近にいた数十人が犠牲者になった。速やかに避難が行われたが、その時に(混乱による二次災害も含めて)さらに数十人が。合わせて死者23名、重傷者38名、軽傷者64名。そして、『殉職』した者が12名。その場では肉の焦げた嫌な匂いが数日経っても取れなかったらしい。俺たちじゃなくて良かったと思いながら洗面台に向かうと、歯ブラシに歯磨き粉を塗ったものを口に突っ込んだ。
『事件』(あるいは事故と呼んでもいいかもしれない)が初めて起こったのは3年前。当時に比べれば沈静化している。沈静化?否、事前に処理するようになった為、大きくなる前に始末しているだけだ。数は変わっていない。まあ、その分死ぬ人間は減っている。『そもそも人口そのものが激減しているんだ』と言う者もいる。俺は歯磨き粉を洗面台に吐き出した後、歯ブラシを洗い流しつつ軽くうがいをした。
着替えを取り、テレビを消す。バサバサの服だった。室内に潜り込んだ冷気は、服まで凍らせていた。着替え終え、持ち物や室内の様子を確認しつつ、いつもの『職場』に向かうために部屋を出た。職場とは言っても、すぐそこ。寮暮らしだったからだ。昔はこの広い部屋に何人も入っていたようだが、今じゃ3人前後。この部屋は日当たり最悪で不人気で、俺だけだった。廊下で、『同僚』というか、『同隊』の奴らと出会った。階級は一緒だったし、身勝手知ってる中な上、今はまだ勤務時間外だ。お互いに頷くような挨拶で済ませる。
寮の外に出ると、一層冷えた。体を暖めるための準備体操を行う習慣がある。そう、俺たちは兵隊だった。とはいえ、それは外国と戦争したり、災害が起こった時に派遣されるようなものでも無い。やってる事は仰々しい駆除業者で、それが兵役という強制みたいなもので。だからそういう戦争とかをやる軍隊は、俺たちとは別にある。俺たちが撃つのは『人であってはならない』とされている。
この不可思議な『兵隊』は、でも誰がどう見ても社会に必要だった。ただ、誰もやりたがらなかった。だから俺みたいに徴兵される奴とかが多い。あとは軍人から選ばれたやつとか。そのおかげなのか、境遇自体は普通の兵隊よりはずっと良い。金もかなり税金が出てるはずだが、文句を言う者は少なかった。こればっかりは仕方ない、みたいな雰囲気が形成されている。勤務時間外の自由度はすごく高い、らしい。訓練は厳しいが。
今日もそうだ。いや、そうなるはずだった。いつもならこの朝早い時間に、まず軍から派遣された上官の指示で、身体を温めるような体操から始まる。だが今日は違った。上官の様子が忙しない。何か、嫌な予感がした。冷たい空気が、まるで心の底まで入り込んできたかのように。
「諸君、長らく訓練ご苦労であった。最も早く入ってきた者でも、もはや8ヶ月は訓練した、十分だろう」
何が十分なのだろうか。そう思うも、俺も含めて隊員は誰もどよめくどころか、異論の声すらあげない。なるほど、言われてみれば、十分なのかもしれない。少なくとも、命令に逆らわないくらいには。きっと、彼らの思う『役立つ』くらいには。
「本部隊、第177小隊は、これより『ミュータント』の鎮圧に入る」
ああ、ついにか。
俺たちはヘリに乗り込んでいた。上空から見る、白んでいく空の下の都市は箱庭のようだ。周りには小隊の他の班を載せているヘリが7機。うち5機が離れ、別方向に進んでいった。転じてヘリの中に目を向ける。重い戦闘服と、ズッシリとしたアサルトライフル。10人前後の班員全員が深刻そうな表情で、プロペラの音の中で大声をあげている班長を見る。急を有すると言うことで、今ブリーフィングを行なっているのだ。
「良いか、俺たちはこれから『ミュータント』をハントする! 要は、お前らが今持っている銃で撃つ! ターゲットは『サイコキネシス』タイプ。子供。『アウトバースト』を既に引き起こしている。アウトバーストを起こしたのは今から30分前。ターゲットの自宅だ。その場にいたミュータントの家族含め、既に多くのものが犠牲になっている! 時間との勝負だ。危険だが俺たちD班は、C班と共に正面からターゲットに攻撃し、他の班が攻撃する隙を作る。良いな!」
俺を含む班員が頷く。だが、顔色は優れない。班長ですら。この作戦、どう見ても俺たちは囮だ。だが……誰かがやらなければならない。既に状況は最悪だ、『アウトバースト』を引き起こしているとは。『ミュータント』——
それが現れ始めたのは、2000年ごろだった。人々の中から、稀に特殊能力としか思えない現象を起こす者が現れた。その頃は『能力者』『新人類』などと呼ばれていた。混乱と、少なからず反発もあったものの、”ソレ”を社会は受容した。何しろそれは昨日までは人間で、家族や友人だっていたのだから。むしろ、混乱が過ぎればそれは希望ですらあった。『人類の進化』だと言い始める者も居た。最初は。1年後。最初の『事件』が起こると、全てが変わった。
暴走したのだ。今ではその暴走を『アウトバースト』と呼んでいる。『アウトバースト』の特徴は2点。”ソレ”らの特殊能力が異常なまでに強化される事。例えばモノを冷んやりさせるくらいしかできなかった冷凍能力者が、アウトバースト後に家や近隣の工場を氷河の中に閉じ込めてしまったり。そして、そう。もう一つは制御不能になること。つまるところ、天災が突如として起こる。人が居るような場所で。突然。そして最悪なことに。これを起こさない特殊能力者は居なかった。少なくとも、アウトバーストを起こす前に駆除されたもの以外は。
それがわかった後、社会は1年前とは比べ物にならない大混乱を引き起こした。世界の終わり一歩手前だった。比喩ではなく。海向こうの国で、アウトバーストによる万単位の”人間消失”が起こったかと思えば、この国では同時テロよりも酷いアウトバースト多発事件で、治安がパンク寸前だった。そしてお互いに不信に駆られ、お互いに人間同士の凄惨な虐殺すら——
それでも、まだ国とか、国連みたいなものは存在し続けられたようで。事態の解決を図った。まず最初に、特殊能力を持つものは全て『ミュータント』であると定めたのだ。それは人間ではなく、須らく”駆除”するしかない存在だと。その『実行力』は国連の指揮のもと、全世界から徴用されるべきだと。最初は少しの反発もあったようだが、押し切られた。いや、民衆すら大半がそれを望んでいた。何故ならそうやって話し合っている時ですら、人が死に続けていたのだから。
そうしてこの国でも実行力、すなわち『対ミュータント部隊』が大々的に組織された。その組織は最初は各国の軍隊から編制されたが——一回の出動で平均30%という死亡率はすぐさま兵員不足を引き起こし、平和を謳うこの国ですら対ミュータント部隊に限って徴兵されるようになった。そうして俺もここに来たのが半年と少し前。一番の若輩者。
「桔柳、シケた顔してんじゃねえ。大丈夫だ!」
背中が叩かれた。後ろを振り返って、俺の名前を呼んだそいつの顔を見る。同い年で、同じ時に入った同輩の蓼楮。俺はそう見えていたのか。励ましのつもりのようだが、そいつも震えているのは12月の上空の冷気だけが理由ではないだろう。
「お前こそ、震えてターゲットを撃ちもらすなよ」
気楽に言ったつもりだったが、口を開くまで自分が歯を食いしばっていたことに気付いた。蓼楮が口角を上げて、笑って見せた。一目で強がりとわかるくらいに、無理やり。その時だ。爆発音。思わず耳を塞いだ。
「なんだ!?」
「C班が!」
悲鳴のような叫びで、コックピット越しの前をみる。目の前を先導していたヘリが、燃え上がり旋回しながら落ちていくのが見えた。その横で、巨大な瓦礫——民家の破片か? 引きちぎられたような白のコンクリート壁——が飛び去っていく。あれに当たったのか? どこから飛んで来た?ヘリから何人もの人間が振り落とされていく。あれはC班の人間か? この高さ——まだ高層ビルが模型のように見える高度。助からないだろう。
「まずい、下ろせ! 撃墜されるぞ!」
班長が下を指差す。コンクリートの塊が、俺たちの乗っているヘリ目掛けて飛んで来た。その幾つかはこのヘリよりも大きい。急旋回するヘリ、窓の外の景色がぐるりと、空、地上、空を映す。少しずつ明るく、黒から青白く変わる空。押さえつけられるような重力がかかったすぐ後に、浮き上がるような、まるでジェットコースターのような負荷が襲う。すぐ横をなにか大きいものが横切ったような風切り音。その時、地上にあるものを見た。
ぐるぐると、まるで竜巻のように無数の残骸が渦巻いている。あの中に、ミュータントが——その後ろには、さっきまで閑静な住宅街だったはずの廃墟。その景色は見る見る近くなる。ヘリが降下しているのだ。俺たちを安全な場所に降ろすため。あの危険な地獄に。高層ビルの屋上が横切る。どんどん地面が近づく。その時、巨大ミキサーがごとき竜巻から、再び礫というには大きすぎるものが。捻れた車や明らかに地面から剥がされたアスファルトの塊、現代アートのように折れ曲がった信号機——ふと、その一つが目の前に飛んで来た。ヘリパイロットが叫ぶ。
「ダメだ、避けきれな——」
衝撃。ぐらつく。ヘリが90度傾いた。前を見る。巨大なコンクリートがコックピットを潰していた。コントロールを失ったヘリが一度上空に上がったかと思うと、右に傾きながら一気に落ちていくのがふわりと嫌な無重力でわかった。
「パイロットが!」
「班長! このヘリはもうダメです! 指示を!」
「クソッ! こんなのどうしろって言うんだ! 総員、衝撃に備えろ!」
班長が叫ぶ。同時に、重苦しい爆音と立っていられない衝撃が襲いかかる世界がぐるぐる高速回転を始めた。ヘリの外は巡るましく地面と空と景色を変える。回転するたびに地面が近付く。悲鳴と怒声。パイロットが必死に立て直そうと、何かを叫びながら操縦桿を必死に操作している。だが、そんな奮闘を嘲笑うが如く、墜落は止まらない。遂に地面の小石すら認識できるようになった時——叩き付けられる衝撃が——世界が暗転する。
最初に感じたのは甲高い音と、激しい頭痛だ。呻き声が口から漏れた。景色がぼやけている。プラスチックが焦げたような嫌な臭い。耳栓をしたように、周りの音がよく聞こえない。ふと、自分が誰かに揺さぶられているのが分かった。叫んでいるようだが、聞こえない。
「——っかりしろ! おい、桔柳! 早くしっかりしろ!」
まだ、状況がわからない。それでも一つだけ。まだ俺は生きていた。その時は——
No.1 (1/3)
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ここは、どこだ——?
見たことのない場所。知らない世界。
囁き声が聞こえる。
——まだ
——まだ、目標を殺していない……
きけんなそんざい
まだ、ミュータントが生きている!!
ころさなければ、おれがうちころさないといけない。
しみんをまもれ、ぶたいのなかまをまもれ。にどとあんなひげきをおこすな。
……二度と?
——否、考えるな。敵を殺すことに集中しろ。
ああそうだ。またしにたくなければ……
殺せ!!!!