今日の朝御飯はお味噌汁にご飯と塩焼きにした鮭、それからほうれん草のお浸し。
全部並べ終えて、いつもの席に座る。そうしてしっかりと両手を合わせた。
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「いただきます」 |
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「いただきます」 |
おれと、向かいに先生。
それから、その隣に。
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「────」 |
にこにこ笑う、女の人。
これが神園家の、毎朝の光景だ。
Ⅰ . 3人の食卓
五年前、おれは事故に遭った。
なんてことないよくある交通事故だ。車と車がぶつかった。交通事故に遭う確率が30%ぐらいは一生の内にあるみたいだから、珍しくはない。多分。
ただ運が悪いことにおれ以外の家族は皆そのときに死んでしまった。あんまり事故に遭った瞬間の記憶はないけれど、まあわりと勢いよくぶつかってしまったのだろう。
かくいうおれ自身、生死の境を彷徨った。こうやって生きているのは奇跡に近い、とはそのときの医者に話されたことだ。とりあえず全身がしばらく痛くてしょうがなかったので重症だったというのは本当だと思う。あんな痛みは産まれて初めてだったしもう味わいたくない。
そういうわけで皆の中運良く一人生き残ってしまったのだが、ならばそれはそれで仕方ない。助けてもらった命を無駄に放り投げるわけにもいかないので、とりあえず生きることにはしたし、まだ10歳だったから親戚にも引き取ってもらえて、幼いながらもなんとか第2の人生とやらを歩む心構えもした。
けれど、その生死の境を彷徨った、というのがきっとよくなかったのだろう。
それまで異能を持たなかったおれの瞳には、事故を境によくわからないものが映るようになってしまった。
見ただけで吐き気を及ぼすような化け物としか言えない何か。
人間離れした美しさを持ったお伽噺でしか見ないような妖精みたいな子。
生きている人間とそっくりの、この世にはもういない誰か。
ただの猫とそっくりなのに、よく見れば尻尾が二本あったりする猫。
最初は皆にも見えているものだと思って話を振ったりしたのが更にだめだった。
それはおれの瞳にしか映らないもの──幽霊とか、妖怪とか、空想上の存在だと思われているそれら──だったから、そりゃもう気味悪がられて仕方なかったのだ。そんな気持ちの悪い子供を引き受けたくないのは当然である、というのは転々と親戚間をたらい回しにされている内に嫌というほど理解できてしまった。ゆえに引っ込み思案だった性格には拍車がかかり、自分から何かを話すこともめっきり苦手になってしまった5年前、10歳の春。
まあ当然気持ち悪いよなとは思うので、相手方を責める気はない。浅慮だった子供の自分がきっと悪い。だが理解できても傷つかない、というわけにはいかないので、それなりに心が傷つきはした半年間ぐらいの日々は今もしっかり覚えている。嫌というほど。
それがどうしてかおかしなことに今は先生の家にいるのだから、人生と言うのは不思議なものだ。
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「命が作ってくれる味噌汁は美味しいね、将来はいいお嫁さんになるよ」 |
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「なるなら旦那ですけど」 |
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「怒った? 冗談だよ? 命はそう見えて男前だものね」 |
まだ少し眠そうな眼を細めてふにゃりと笑う男の人は、ある日突然おれの前に現れて、ある日突然この家に自分を招き入れた。
誘拐か? と思ったがそうではなかったらしく、今日から君は私の家族だよなんて事もなさげに楽しそうに笑ってみせたことは、まだ鮮明に覚えている。そのとき先生はまだ二十五歳だったというのに、よく十歳の子供なんか引き取ろうと思ったものだ。その上血の繋がりもないときたら本当に気の迷いなのではとしか思えない。実際、気の迷いかもしれない。
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「……まあ、褒めてもらえるのは嬉しいです、ありがとう」 |
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「────」 |
──で。
家に招き入れてもらった初めての日、にこにことリビングで当然のように座っていたのが彼女だ。
『恋人さんですか?』と聞いたら『え、何の話?』と返されたので、あ、これはだめなやつだ、と思ってそれ以降先生に話を振ったことはない。
恐らく幽霊か何かの彼女はよく先生の近くにいるが、先生は全く気づいていない。今も隣に座っているし、美味しそうにお味噌汁を飲む先生をにこやかな笑顔を向けているというのに、やっぱり普通の人には見えないのだ。
妹か、姉か、といっても顔立ちはあまり似ていないので、昔の彼女か、何かか。確かめることはできていないし、する気も然程ないので、これからもずっと謎のままだろうが。ただ死んだあとも先生の傍にいるからには相当思い入れがあるのだと思う──もしかしたら、全くの知らない人に気に入られてるのかもしれないけれど。ストーカーとか?
常時おかしなものが見える瞳を気にした先生に、異能制御の専門医でも紹介しようか、と言われたこともあったが断った理由がこれだ。
もし全く見えなくなってしまったとき、同居人が見えなくなるのはちょっとだけ心苦しい。彼女はおれにもいつも笑ってくれるし、変なのが多い視界の中で害のないただのいい人なので。
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「今日は週明けだから患者が多いかなぁ、がんばらないとね」 |
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「はい、頑張ってください、おれも行くので」 |
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「ふふ、ありがと」 |
そういうわけで、おれは奇妙な生活を送っている。
自分と、先生と、幽霊の彼女。
5年前から続く、とある高層マンションでの3人暮らしだ。