――side [
Ibara]
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ハイン 「……ふぅ」 |
日課としてる筋トレと、その後のシャワーを終えたハインは身体の水滴を拭いながら一面窓越しの朝焼けに目を細めた。
朝日が照らす彼の身体は引き締ま……りすぎている。
腹部は勿論、手足も驚くほど細く、トレーニングどころかちゃんとご飯食べて? タンパク質足りてない? エルフってヴィーガン? と感じるほどによく言えば繊細、悪く言えば頼りない痩せぎす具合。
とてもではないが、今正に終えたマシントレーニングを日課としているとは思えない様相だが、それどころか最近の彼はトレーニングの量を増やしている。
元々身体を鍛えることを趣味としていたハインだが、最近は榊からの騒乱予告もあり、有事に備えて……との考え故だが、肝心の騒乱が一行に始まる気配はなく――正しくは、ハザマの記憶が一切残っていないだけなのだが――最近は増やした量をこなせるから続けているだけ、と惰性のそれへと変わっていた。
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(……本当、なんだったんだろうなあ……あれは…… 胡散臭くはあったけど、あれだけ意味深に現れておいて……音沙汰なしか……) |
ともあれ、何も起きぬまま数ヶ月過ぎれば少しずつ警戒も薄れるもの。
当初こそ筋肉より筋力を鍛えるトレーニングを、とシフトしていたそれも普段通り筋肉重視のものへと戻し、ハインの毎日は徐々に日常へと戻りつつあった。
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(……少し、筋肉もついてきた……かも……? 一年続けてるって考えると全然だけど、まあ……個人差はあるもんな……) |
プラシーボ、というものをご存じだろうか?
それの一種として、トレーニングジムなどで筋トレを終えた後、直後でありながら少し筋肉がついたよう感じるものがある。
言うならばハインもその状態に陥ってるに過ぎず、この一年、彼の身体データは一切の変化を起こしていない。
チートである。
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(これだけ、揃えたもんな……少しは効果がないと、うん……) |
トレーニングジムもかくやといった様相を呈すハインの私室。
オオキタ区を一望しながらのトレーニングはハインにとって癒しの時間ではあるが、今のところ精神が癒される以外に彼へのメリットは皆無である。
筋トレは効果が無く、合わせて抱いていたもう一つの目的に関しても……。
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(一般的に、自宅にこれだけ揃えるのはかなりの出費だと思うし。 |
相当にお金は使ったと思うんだけど……)
そもそもにして、自室にジム並の器具を揃えるなど一部の富裕層しか行わない道楽であり、
ハインの場合は目的を二つ、筋トレと同時に出費そのものも目的としていた為、相場以上の予算を注入してこのトレーニングルームを作り上げた。
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(……一般的だと、全然足りないんだもんなぁ……) |
が、結論から言えば……。
雀の涙ほどしか足し……もとい、"引き"にならず、結局、筋トレ欲が満たされただけで終わったのだ。
思わず遠くを眺めてしまいながら、緩慢に着衣を整える。
先のそれは起床直後のトレーニングであり、当然着替える服もパジャマの類ではなく――ベニーズの制服である。
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(……ここは、お金を稼ぐのが、物凄く大変な世界みたいだし…… そこを省いた以上、しわ寄せがくるのも仕方の無いことだけどさ) |
思えば、出費に関しては本当に苦労を重ねてきた。
まず手始めに、不自然でない範囲でベニーズの待遇を改善した。
本来昼か夜のみとされたまかないを希望者には常時出せるよう改革し、
時給もギリギリ――当初5000円まで上げようとした所、高すぎて怪しい上に周囲にいくらなんでもないと止められた――まで増やし、
食材に拘ることで材料費もゴリゴリに上げ、合わせて商品価格を少しずつ下げることで、一部の商品は売れば売るほど赤字となる領域まで利益率を叩き落としたが……結局のところ収支はプラスに収まるあたり、げに恐ろしきはチートである。
ともあれ、店で賄えないなら私生活で出費する他はない。
次にハインは、チートで用意されたワンルームのマンションからの引っ越しを目論むも、一軒家の価格を見て「これは大幅出費が見込めるのでは?」と方針転換。
イバラシティ中のタワーマンションを視察した後、それらを買い取るより自分で作ったほうがより出費できると確信し、店の近隣に最高級タワーマンションを建設――しようと思ったら翌日には生えていたのだが、ともあれ工賃その他諸々は相場通り出費できたので考えないものとする――し、その最上階ワンフロアに賃貸形式で住み着いた。
合わせて、最低限の家具。
それぞれ趣味に合う範囲で最高級の物を揃え、一室をトレーニングルームとしてあれやこれやとジム並の器具を買い揃え、
それでもまだまだお金はあると飲めもしないワインを買い揃えてみたり、
使いもしないパソコンをモンスタースペックで購入し一度も起動していなかったり、
流行りのソシャゲに興味もないのに重課金を決め最高レアをコンプリートしてみたり、
その他諸々、あらゆる出費を試みても総額十兆越えるか越えないか、しかも殆どはマンション代と……流石に、真っ当な消費は諦めた。
丁度その頃、税理士なる存在を識ったのに合わせ、ベニーズにチート税理士が発生したこともあり、チートのことはチートに任せようとここから先は丸投げだ。
その結果、流石は5000兆円という年商を産み出したのと同等のチートを根源とするトンデモ税理士。
最早合法なのか違法なのかさえ定かではない手練手管でガリガリ経費へと変えていったが……結局、どうやっても数百兆円は年収として残っているのが現状だ。
いや、どう考えても4000兆以上使ったことにした税理士を褒めるべき案件とは分かっているが、どうせチートなら不自然にならぬ額まで調整して欲しい所である。
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(……さすがに、これ以上はムリだよな) |
そもそも、チートにより使ったことにしているだけで、実際は殆ど使っていない。
とんでもない額の税金がかかったとしても、それを一括で払うだけの蓄えは十二分に残っている。
金を得ると税金が驚異となる。
だが、金が有り余ると、税金でさえ怖れるに足らないのだ。
結局の所、チートにより生じた危機はチートの力で乗り越えたわけだが、なんにせよ、小心者のハインにとって子供の悪戯染みた莫大過ぎる年収は驚異の一言。
可能であればもう少し、こう……普通の収入に押し止めたいのが本音である。
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(……店の稼ぎと、5000兆円……別計算にできないかなあ) |
いっそ別会社でも作ろうか。
どんな事業でも始められるだけの元手はあるし、ファミレス以外に手を出せばチートも早々働かず、イイ感じにお金を溶かすことができるのでは?
そんな本末転倒極まりないチートの後処理を脳裏に描きながら、メールの着信を告げているスマホを手に取り画面をスワイプ。
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ハイン 「む……」 |
着信したメール。
確定した先月の売上げを告げるそれに目をむけ……ハインは、一切の思考を放棄した。
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ハイン 「はは……この世界にきて一年、か……早いもんだ」 |
先月の売上げ――記憶が確かなら二千万少々だったはずのそれが、無残に変質した成れ果てを見遣り天を仰ぐ。
【二月度月商
¥5,000,000,000,000,000】
こうして、今年の年商も5000兆円で確定した。