その日は雨がひどかった。
外を歩く人は皆足早に通り過ぎていき、水がびしゃびしゃと跳ねる音だけがこの暗い橋の下に鈍く聞こえてきている。
腹が空いた。家を飛び出して丸一日、何も食べていない。
…昨日父が亡くなった。
私はその時見た"それ"から逃げるように家から逃げ出し、この橋の下に隠れるようにうずくまって夜を越えてしまった。
家はどうなっただろうか。飛び出した時に扉を開けっ放しにして出てきたから、通りがかった誰かしらが異変に気付いて通報でもしてくれるだろうか…?
いや…家に誰かが入っても、"あれ"がまだあそこにいたら…
ぞくりと背筋に冷たいものが流れていく。
戻るべきだろうか?警察に相談するか?そもそもこれからどうする?
幼い私にも、身寄りのなくなった自分がどうなるかくらいは想像がついた。
何も考えたくなくなりうずくまる。
…裕福な家庭ではなかった。
父は朝から夜遅くまで働き、私は学校が終わると家で一人ひたすら勉強を続けていた。
何故かはわからないが、少しでも知識を蓄えなければいけない…いや……
"取り戻さなければいけない"と思っていた。
その時から窓の外にあれはいた。
ある時は遠くの家の屋根の上、その翌日に救急車がその家の前に停まっているのを見た。
…誰かが亡くなったらしい。
ある時はどこかへ向かうように空を飛んでいく姿、ある時は荒れた川の中を漂う姿。
そしてそれが…学校帰りに自宅の屋根の上に佇んでいるのを見てしまった。
その日の夜、帰ってきた父が食事を済ませた後倒れるように眠りにつき、
何事も無いかと思ったその時、父の尋常ではない呻き声が聞こえ…
駆けつけた時にはそれが父を枕元からじっと見下ろしていた。
父は目を見開き……動かなくなっていた。
私は一目散に逃げ出し、丸一日橋の下に隠れて震えていたということだ。
時は夕刻。
ふと、雨音とそれを踏み分ける足音の中に一つ、近づいてくる音があった。
私は急いで立ち上がり、足音が向かってくる方を凝視する。
あれが足音を鳴らして歩いている姿など見たことはないが、
もしあれが追いかけてきたのなら逃げなければならない。
どこまで逃げればいいのかなどわからないが、自分は死ぬわけにはいかない。
何故かはわからないが"死にたくない"という感情より、
"何かを為すまで死ねない"という使命感のようなものが私の身体を動かしていた。
やがて足音は私のいる暗がりの外で立ち止まり、深く深く息を吸い込んだ。
「やっと見つけた。…手間かけさせるんじゃないよ」
低い声の女の声が唸り、濡れた尻尾がゆらゆらと揺れる。
キッとむき出した鋭い犬歯が、暗がりからでもはっきりわかるくらいにギラついた。
………………。