ナレノハテと呼称された存在が叫びをあげ、その身が動くことを止める。スライムを思わせる形状の供物は重力に従いゆっくりと地に広がり、やがて液体が蒸発するように姿を消した。これは供物として世界に、神に取り込まれたということなのだろう。多少は混乱し戸惑いはしたが。呪文も正しく唱えた。供物も捧げた。後は神がその身を現すのを待つだけ。
待ち侘びた瞬間が訪れると思うと口元がにやけてしまう。締まりのない姿を晒さぬよう気を引き締めた、刹那。激しい頭痛が身を襲うと同時に、走馬灯が頭を駆けた。
花開いた庭の椿、行きつけの花屋で見かけたスイセン。付き合いで向かった飲み会、個性の強い他人、僅かな楽しさ。妹と歩く夕暮れ、色づき始めた公園の野花、経典を読み耽った夜。走馬燈と呼ぶには、少し短すぎて、新しすぎる記憶たち。
――否、これは走馬燈でも過去の記憶ではない。これは、イバラシティでの新しい10日の記憶だ。
案内役を名乗った女性の説明を思い出す。ハザマとイバラシティでは時間の流れがイコールで繋がらない事。記憶の共有がなされるのはハザマにおいてのみで、ここでの記憶は元の世界には持ち込まれない事。説明を聞いただけではイメージが湧かず戸惑ったが、実際に経験してみればなんとも気味の悪いものだ。自分の意思が一切関与しない、自分の記憶。確かに自分の行動でありながら、自分のものと納得し難い行為。記憶が共有されていれば、もっと敵を迎え撃つための準備を整えることが出来たのに。
定期的にこの感覚が訪れると思うと身の毛もよだつ思いだが、今はそんな些事に気を落としている場合ではない。この不快な記憶共有が、 二つの世界を繋ぐ現象がすべての生命に共通のものであるのなら。この感覚を味わった神は――神はこの程度の短い記憶、意にも留めないかもしれないが――今頃、召喚に応じるかの裁定を行なっている頃合いではないだろうか。ならば、いつその時が訪れてもいいよう、それにのみ意識を注いでいなければ失礼に値する。
果たしてまだ未熟な僕の召喚は、願いは通じるのであろうか。そう不安が顔をのぞかせるのが早いか否か、なにかと「繋がった」。自分ならざるものと繋がるパスが成立したのが、自分の力がほかの場所へ流れていくのがわかる。どれと同時に襲い来るのは、身を潰すような重圧。いつからそこに居たのか、絶大な存在に己の存在も、意思も押し潰されてしまいそうになる。しかしそれすらも、本望であると心から思える。文献に記されたものとは違う容姿ではあるものの、この気配は本物だ。
膝をつき、頭を垂れる。神に仕えることが出来る光栄に心からの感謝を、神に選ばれた幸せに心からの喜びを。
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静海 「――あぁ、神よ。貴方にお会いできる日を、心待ちにしておりました。」 |