ラーメン屋の匂いだとか、車の排気音だとか、交差点に立ち止まる人だとか。そういった、普段気にも留めないような、数歩も歩けば気にしなくなる小さな事柄のいちいちが、どうしようもなく街の死を突き刺してくる。
「……侵略、マジだったかぁ」
見慣れた土地の見知らぬ姿の中、一人頭を掻く。
状況からするに、例の男──榊だったか、彼の言に偽りはなく、この殺風景な世界で俺たちと侵略者どもの戦争が始まることに間違いは無さそうだ。
自身の記憶に違和感はない。要するに、俺は『守る側』だということらしい。
破滅主義の奇特な連中は記憶がどうだろうと侵略者ことアンジニティに付くのかもしれないが、俺はそういう気分にはならなかった。
この世界、クソつまらないことが目に見えて分かる。ここに死ぬまで閉じ込められるなんて、それこそ死んでも御免だ。
現時点で問題はいくつか。砕けたコンクリートを踏み締めながら口許を右手で覆う。
一つはシンプルに敵勢力の不明瞭さ。さっきぶっ飛ばした血色の化け物ばかりでもなかろうし、何よりも榊は『潜伏している』と言った。つまり、もっと馴染んだ連中が戦争を吹っかけてきた相手という可能性は当たり前のようにある。
見知った相手を斃す──殺す気概が、今の今まで騒がしくも平和な日々を送って来たであろう『住人』たちにそれが出来るのかという懸念。相手はそもそも侵略する気であるというのなら、その点において躊躇いはあるまい。殺傷への迷いの無さ、その差はどうしようもなく大きい。
俺はまあ、別にいい。国家権力を気にせず暴れられる機会を、これ幸いと思っているくらいだ。暴れる様だけ見て勘違いさえされなければ一切合切問題はない。
二つ目、手持ちの心許なさ。急に飛ばされたもんだから、あるものと言えば制服にパーカー、まだ熱を持つカイロにほとんど用をなさないであろう携帯と財布。以上。我ながら舐め腐った装備だ。
この戦争がどれほど続くかは知らないが、食事類はどうにかしておきたかった。同じくらいに武器も欲しいが、幸いにも鉄筋に溢れた街並みだ、一旦は後回しで良い。最悪拳骨でも多少は大丈夫だろうし。
最後、仲間が欲しい。これが一番早急か。ランダムで飛ばされたならもちろんだし、ある程度固まって飛ばされたにしても味方かどうかの判断が非常に面倒くさい。さりとて向こうが徒党を組むなら此方だってもちろんチームプレイを用いざるを得なくなるわけである。数に勝る武器はない。
取り敢えず知ってる連中とあって逐一勢力確認かあ、などとそれはもう深いため息が出た。この喧嘩、本当に旨みがない。攻めるだけ攻めて撃退してもご褒美も無しとはどういう了見だ。
「…………」
何とはなしに立ち止まる。
例えば、ウチの部員とかが敵だった場合。殴るのは全く躊躇いなく出来るだろう。骨折だ何だも特に気にしない筈だ。
では、その先はどうなんだろう。今更のように振り返り、また足を適当に進め始めた。
疑問の余地なんて何もない。──俺はやる。そうでなければ、俺は一栄斗ではいられない。
我ながらどうしようもない結論に独り笑いを漏らし、伸びを一つ。やはりどこまで行っても正義の味方には向いていないらしい。
「──さァてと。世界を守りに行くか」
勇者の剣の代わりに錆びた鉄パイプを片手に、ただそれだけを宣誓した。