刻一刻。時は、迫っていた。
今が何時何分であるかは、『感覚』としてわかっている。そんなことではない。
彼女は、座りこんでいた。赤い花の上、『時間』に抗うように、停滞するかのように。

スモーキークォーツのペンダントを握りしめて、空を見上げる。
青い青い空は、突き抜けるように晴れやかだった。


「…ねえー、オーガ。アンタ本当にメルンテーゼに残るの？」
背後に佇む角持ちに、振り返らず声を掛ける。
彼女を守る盾であり、矛であった、その少年。彼は、この世界に残ると言った。
もう一度、念を押すように――あるいは祈るように。その言葉を、投げかける。

「ああ」

間髪入れず、短く彼は答える。そこに迷いも何も無い。引き止める余地すら、感じさせなかった。

「…俺のやりたいことは、此処にあるからな」
「そっか」

手元の赤い花をぷちり、と摘む。口元に運び、その細部を眺めた。
何と言われようと、彼女は『エンブリオ』達を自分の世界に連れて帰るつもりでいた。
だけれど。

「そう言うんなら、仕方ないわ」
諦めるような、笑み。ぽい、と摘んでしまったそれを投げ捨てる。

「……、それに」
「…？　それに、何よ」
暫しの、沈黙。ただ、オーガの言葉を待つ時間だけが流れる。
少年は、不意に組んでいた腕を解く。

「…いや、良いんだ。」
「え、ちょっと何よ。気になるじゃないの。　…まあ、良いけど」

本当は、言いたかったことがあった。
この世界のものである『エンブリオ』を連れて帰ることで、彼女自身に災厄が振りかかることを。彼は、恐れていた。
だが、言ったところで聞かないのは――もう、長い付き合いだ。解っている。
だから彼は、ここで別れることで少しでもその負担を減らす事にした。
――この考えに、レッドベリルやチャロアイトは賛同した。彼女らも、メルンテーゼに残り――妖精の森へ、帰ることにした。

「…じゃあ、めんちと…アニィと。オコジョと……」

遠くの方に居る、もう一人を見やる。


出会った時よりも、成長した――成長しすぎた、大きな背中。
行き場のない、その存在。

「…『クレサス』」

その声に反応して、彼は振り向いた。
【増減】のエンブリオ、改め――クレサス。その名は、メィレーが授けたものだった。






迫っているのは、別れの時。

エンブリオだけじゃない。それは、仲間との別れもそうだ。
だけど、今はそんなことを考えている場合ではない。…『最終決戦』が、先に迫っているからだ。




晴れやかな空。
アクシデントから始まったこの旅も、もうすぐ終わる。
思い返すようなことはしない。それは、とうにやり終えたから。

「さあ、行きましょう」

有終の美を、飾るために。

――目を、閉じた。

生まれて死にゆくまで、『一人』の運命を歩む筈だった。
生まれて死にゆくまで、『不幸』の生涯を辿る筈だった。
生まれて、死にゆくまで。
この身に負うのは、負わされるのは。『恐怖』だけなんだと、解っていた。
……解った、気になっていた。
その気になって、抗う術なんて。何一つ行使しようとはしなかった。

だけど。

―――目を、開く。

『一人』じゃない。周りを見渡せば、戦ってきた仲間がいる。
『不幸』じゃない。屈辱を味わえど、そう思うことは無かった。
そして、今此処にあるのは――『信頼』、

その手には、『魔法』という彼女だけの『術』。

後悔なんてしないで生きていくよ。
Mai。見ていてくれ。これが、この世界での俺の、最後の――。

　
　『朱色』を見やる。
　鮮やかな色を前に、並び立つ七つを見やる。
　——見やって、翠は深く息を吐き出した。
　

　

　

　
　何かを誤摩化すように言って——左手、棍をくるりと回す。
　

　
　感触を確かめるように握り、軽く肩に宛てがうように。
　構えらしい構えも取らずに、靴先をとん、と地面に突いた。
　

幾つもの声。慣れ親しんだ気配。大事な人達。
偉大ていた不安も、迷いが、消えていく。
いつだって背中を押してくれた。一緒に歩いてくれた、仲間。
だから、口に出した。思ったことをそのまま、言葉にした。

旅の最初から分かっていたことを。初めから終わりが来ると分かっていたことを。

普段自分はいつだってみんなの背中を見てきた。
けれど今、同じ場所に並び立つ。怖くはない。この気持ちは。

見回せば、彼らがいる。
ここで出会い、別れた人達も、変わらず今、ここにいる。
そしてその中の幾人かは、あるべき場所に帰るのだろう。自分と彼のように。

たくさんの事に気づかせてくれた場所。
自分の在るべきを、感じさせてくれた場所。