遅い春を迎えた村の教会は、静寂につつまれていた。
扉を開くと、ひんやりとした空気が二人の頬を撫でる。

「……誰もいませんね……。」

万が一の事故を防止するため、コトブキとミハイルは最初に契約したこの教会まで足を運んでいた。
どの場所でも解約できるという話だったが、どうせならより確実性のある場所がいいだろう。

誰もいない講堂を見て、予想通りとばかりにコトブキは溜息を吐いた。
ミハイルは奥にある英雄オリフェンドール像を無言で見上げていたが、とくに動揺などしてはいなかった。
落ち着いているミハイルを見て、コトブキは口を開く。

「いるべきはずの自分の仲間が居ないのに、よく冷静になれたものだ。
　お前は奴等に焚き付けられて、世界を革命するために戦ってきたというのにな。」

出会った当初、そこには少年を美辞麗句で煽る大人たちが存在していた。
いまは気配すら感じないところから考えると、とうの昔にしっぽを巻いて逃げたのであろう。

「でも彼らが欲しかったのは、平等な世界じゃなく自分達の名誉でした。
　今の構造だと支配者になれないから、全てを壊して新しい秩序の支配者になりたいだけだった。
　……認めたくはありませんが、僕は便利な駒に過ぎませんでした。」

オリフェンドール像から目を離さないまま、ミハイルは続ける。

「そんな僕が、今は大剣を振り回して戦っている。不思議なものです。
　誰かの力を借りずとも自分で戦えるって、もっと早くに気が付けば良かった。」

そう言ってミハイルは苦笑した。
民間人に無暗に戦われると戦争時には困るのだが、コトブキはあえて微笑で受け流す。

「そういえば我が君、やり残したことはないんですか？」
「やり残したこと、ねぇ。」
「解約したらもう、よほどの事がない限りこの世界には来られないでしょうから。
　なにか心残りがあったら、済ませておいた方がいいですよ。」

コトブキはやり残したという言葉を頭の中で巡らせる。
脳裏に浮かぶのは、親しくやりとりをしていた吸血鬼の少年だった。

「心残りは、無いと言ったら嘘になる。ただ、人の辞め方までは教えられんがな。」
「……人の辞め方……？」
「こっちの話だ。彼にもよろしく伝えておいてくれないか、いい友達にもなれるだろうし。」

友達という言葉を聞いて、ミハイルは複雑な表情で首を傾げる。
そんな少年などお構いなしに、コトブキは教会の天窓を仰いだ。

「できれば、もっと違う出会い方がしたかった。」

もう適うことのない願いだと知りながら、唯一の後悔を胸の中にしまい込む。
お互い別の世界の住人である限り、それを裏切ることはできないのだ。

それぞれが感慨にふけり始めたころ、外から何人かの話声が聞こえてきた。
身を強張らせた二人はそのまま様子をうかがうが、村人の足音はすぐに立ち去ってゆく。

「少しのんびりし過ぎたか。」
「急ぎましょう、禁術の様子など見られたら厄介です。」

慌てて二人は儀式の用意を始める。
動揺ひとつなく魔法陣を描くミハイルを見て、コトブキは一抹の寂しさを感じていた。
出会った当初は何でもすぐ慌てる少年だったことが今では懐かしい。

手際よく儀式の準備は進められ、魔法陣が完成するまでそう時間はかからなかった。
あとはコトブキが魔法陣の真ん中に立ち、詠唱をすすめることで契約は解除できる。
左手の皮手袋を外していたミハイルに、コトブキは声をかけた。

「お前はこの先きっと苦労をすると思うけど、絶望だけの世界などあり得ないことを憶えておけよ。」

コトブキの言葉を聞いて、ミハイルの手が止まる。

「活躍すればするほど、お前には厳しい目が向けられることになるだろう。
　しかし責任を負う覚悟があるのなら、自分の人生は何をしても自由だ。」

コトブキは穏やかな眼差しを向けたまま、自分の左手をミハイルの頭に乗せた。
彼女の手の甲にも、『干渉者契約』を示す手紋が描かれている。


「ゆめゆめ忘れるな、絶望と希望は表裏一体であることを。」


軽く頭を撫でてから、コトブキは魔法陣の中央に向かう。
ミハイルは目を見開いたまま一瞬顔を背けたが、すぐに自分の準備に戻った。
ここで無様なさまを見せまいと奥歯を噛みしめ、解約の儀式に入る。



ミハイルの詠唱に合せて、周りのネクターが輝きながら下から噴き上げられる。
何度も見た光景だが、幻想的だと直感したのは今回が初めてだった。

「我が『召喚者』の名において命ずる。我が英雄たる『干渉者』との契約を解消する。」
「我が『干渉者』の名において、全てを承る。」

コトブキの言葉を聞いて、ミハイルの中で何かが弾けた。

「僕は……貴女と出会えて良かったと思います！
　もしこの一揆に参加しなかったら、僕はずっとこの世界を恨み続けたままだった。
　でも貴女のおかげで、生きるという本当の意味を知りました！」

お互いの左手の甲から光が放たれ、コトブキの姿を何重にも包む。
この世界での人影が薄くなっていく中、ミハイルは懸命に叫んだ。

「貴女は僕の最高の英雄です！本当にありがとうございました！」

コトブキは、最後に誇らしげに微笑んだ。
その瞬間光が渦となって天にのぼり、ネクターの光の残滓が空気と溶け合ってゆく。
目の前の魔法陣の上には、何も残されてはいなかった。

ミハイルは脱力のあまり、地面に膝をつく。
これで全てが終わったと、実感などできるはずもなかった。

「うわああああぁぁあああぁああぁあ！！」

ミハイルの嗚咽混じりの叫びが、講堂内に響き渡る。
天窓からの柔らかな日差しは、ミハイルとオリフェンドール像を静かに照らしていた。


◇◇◇


――首都ネネツ　官邸内

その日の官邸は慌ただしさに包まれていた。
ここはいつでも忙しく人が通り過ぎてゆくが、今日はいつにも増して緊張感も漂っている。

廊下の壁には、赤毛の少女が描かれた大きな肖像画がかかっていた。
なんでも30年ほど前、一揆を率いて圧政にいそしむ当時の国王を倒した英雄なのだという。
さすがにその戦争を憶えている世代も少なくなってきたが、尊敬の念は変わらない。

その絵画には目もくれず、見回りとおぼしき兵士達はやる気のなさそうに歩いていた。
彼らに与えられたのは直接の警護ではなく、後の演説のための人員整理だった。

「これから新しい大統領が演説するんだろ？正直ピンと来ねぇけど。」

背の高い若者が、興味もなさそうにあくびをかみ殺す。

「いきなり大統領を選べって言われたってな、選択肢なんて無かったし。
　これからまた周辺国が攻めてくるかもしれないんだって？」
「マジか！？この前停戦したばかりじゃねぇか！」
「停戦しただけで戦争自体は終わってねーよ、また難癖つけて襲ってくるって。
　だから戦争吹っかけてこないようなえげつない大統領をみんな選んだんだしな。」

『えげつない大統領』という言葉に、兵士達は肩を震わせた。

「それにしてもこの独立戦争にせよ大統領にせよ、あの人は笑いが止まらないだろうな。
　全てはドラゴミーノフ家の勝利なんだから。」
「我が国のネクターの独占販売、ネクター輸出国の輸送ルートから小売りに至るまで、
　多くをドラゴミーノフ商会が掌握しちまったからなぁ。
　今度は弟が大統領と……なまじ知らなきゃ良かったと思えるわ。」

少しバランスをくずした兵士が、落とした手袋を床からひろう。

「なぁ。あの戦争で俺達はみんなで莫大な代償を払ったけど、本当にこれで良かったのか？」

兵士の一人が、左手の甲に刻まれている手紋を前に差し出した。
兵士達は言葉を止め、おのおの自らの左手の甲を右手で握りしめた。

その時、廊下の奥の方から多くの兵士が歩いてくる音が聞こえた。
振り返り、それが大統領御一行様であることを確認した兵士達は、急いで各自の任務に戻った。

大統領とその警護隊は、控室とされている部屋の前で止まった。
大統領は手を上げ軽く挨拶した後、ひとりで控室に入っていった。

◇◇

やっと一人になれたミハイルは、窓辺の椅子に腰かけて一息ついた。
窓から見える広場には、多くの人が集まっている。

「貴女は生まれながらにして、この空気と戦っていたのですね。」

ミハイルの脳裏に、一人の女性軍人の姿が浮かぶ。
権力を行使するなら妬み嫉みなど言われて当然だと昔は考えていたが、
今なら彼女が背負っていたものの重さを理解できるかもしれない。

――お前はこの一揆を革命と言うが、
　　目の前の権力を倒せばその先に楽園があると、本気で考えているのか？

30年も昔に言われた言葉だが、まだ鮮明に憶えている。
楽園などありはしなかった。かわりに待っていたのは弱者だと生きてはいけない世界だった。
だからこそ、この国を守るために必死だった。

「それでも僕は、自分で選んだ道を後悔なんてしていませんよ。」

そう言ってミハイルは窓から天を仰いだ。
空は澄みわたり、透明感のある青色がそこには広がっていた。

「ではそろそろ時間だ。『礼讃なき英雄』よ、相棒の雄姿をここで見守っておいてくれ。」

いつも携帯している大剣は、控室の机の上に置いてあった。
ミハイルは軽く柄を撫でた後、広場の演説会場へ向かって行った。

◇◇

講演台から見た景色は、壮観たるものだった。
広場を埋め尽くす人々は老若男女を問わず、熱気で満ち溢れている。

自分が影でどう言われているかなど、当然知っている。
それでもこれだけの人が迎えてくれている、それだけで十分だった。
ミハイルは落ち着くように深呼吸し、第一声を口にする。

「誉れ高い国民の皆さん。
　私は国民全てが自らの幸福のためにこの国を築き、
　その繁栄にこの身を捧げることを誇りに思います。」

不思議と緊張することはなかった。
原稿は持ってきてはいないのだが、内容は流れるように頭を巡る。

「我々には大きな課題があります。
　この国は今なお危機にさらされており、未来の民の為にもその困難に打ち勝たねばなりません。
　幾度とない戦いで疲弊した軍をはじめ人々のためにも、
　議会や政府、そして国民の皆さんがひとつとなり、この国が存続していくことを私は望みます。」

聴衆が少しざわつく。
独立したとはいえ、この国のとりまく環境は相変わらず厳しい。
国の今後を不安に思う気持ちは仕方のないことだろう。

「しかし絶望しないでください。我々は幸福になっていいのです。
　我々に原罪はありません、あるのは先祖から受け継いだ財産だけではないですか。
　それを受け継ぐ者には、さらに豊かに繁栄する義務があるのです。」

ミハイル達が戦った独立戦争は、とても大きな犠牲者を出した。
公式な戦災者とはならないが、その傷は関わった全ての者が抱えて生きていくことになる。

「どうか忘れないでください、絶望の夜があれば必ず希望の朝もあることを。」
　
そう演説した後、ミハイルはある言葉を思い出した。

――ゆめゆめ忘れるな、絶望と希望は表裏一体であることを。

コトブキと別れた日の、最後の会話だった。
自分は何年経ってもあの人にはかなわないと、ミハイルは内心苦笑した。

広場の雰囲気は最高潮に達し、人々からは歓声があがる。
舞台の上にとまっていた鳩たちが、広い青空に向かって一斉に飛び立っていった。




The closing of the curtain at the end of a play.

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【end credits】
http://setuna.holy.jp/image/ikki/ikki_fin_69.png

※こちらは本家のエディタで作らせていただきました。
　長い間お読みいただき、本当にありがとうございました！

後方からかすかに散弾銃を構える音がする。

天井に向かって一発の銃声が、この静寂な空気を切り裂いた――。