残された臭いを頼りに、彼の足跡を辿る。
王城を離れたそれは、街へと続いていた。もう一息と、街に入ったのだが…

街は、一揆の終結を受けて賑わっていた。
王城から戻ってきた大勢の人々が…メルンテーゼ中から馳せ参じた人々が、ここに集っている。

彼の臭いは、その雑多な空気と喧騒に紛れてしまい、途切れ途切れにしか感じられなくなってしまった。
酷使でひりひりする鼻先と、集中し続けた所為でくらくらする意識をなんとか奮い立たせ、更に追跡を試みる。

しかし…

盛大に、くしゃみをしてしまう。

慌ててハンカチで口元を拭い、周囲の臭いを集め直す。
けれども、かろうじて繋ぎ止めていた彼の残り香は、雑踏の波に揉まれ、散逸してしまった後だった…

肩を落として溜息を吐く。これ以上は、スチュアート君の足取りを追えそうにない。
体調が万全だったなら、再度 臭いを集めなおして追跡を続けられたのかもしれないけれど…

追跡の失敗を黒猫の少年に告げる。
とはいえ、このまま諦める訳にはいかない。

そう。この街に居るであろうことは確かなのだ。あとは、目と足を使って、彼を探そう。

2人並んで、街を歩く。
圧政からの解放を喜ぶ人々。立ち並ぶ屋台に、歓声と共に酌み交わされる酒の香り。


手分けして捜した方が早いかもしれないとは思ったが…
この人混みでは、いったん別れるとロク君ともはぐれてしまう恐れもあり、離れるのは躊躇われた。


ぐるりと街を一周するも、それらしき人影は見当たらない。

人いきれに揉まれた疲れもあり、途方に暮れていると…

唐突に、先生が口を挟んできた。

先生の言う帯留とは、以前にロク君から贈られた、猫目石をあしらった装飾品だ。
洒落た意匠が気に入って、普段から身に付けていたのだ。

その帯留を、スチュアート君に貸していたのだった。

魔神に打ち勝つには、いくばくかの魔力が必要だった。
魔力に乏しいスチュアート君の力を補う為に、魔力の篭っているその帯留を貸していたのだ。

あのときの一件を思い出し、礼を伝えて微笑みかけると、彼は少し照れくさそうにしていた。

改めて先生が訪ねると、承知した！とばかりに頷くロク君。

真剣な面持ちであたりを伺うと…　そろり、そろりと歩き出した。
半信半疑ながらも、彼の後をついて行く。

しばらく歩くと、突然駆け足になる。見失わないように、走って追いかける。

ようやく見つけた！　彼は、こちらに背を向けて立っている。
ロク君が傍に駆け寄り、彼の服を掴む。その肩が、びくりと跳ねる。

けれど彼は、こちらの呼びかけには応えず、そのまま動かない。
ロク君が彼の前に回り込んで、文字を書いたボードを掲げるも、じっと俯いたまま。

立ち止まり、改めて声をかける。

どうにかこうにか掴むことができた、メルンテーゼの民の勝利。
こんな日くらいは、お互いの労に感謝しながら歓談でもしたいと思っていた。

しかし…


――― 君には言ったはずだろう。
　僕がここへ来た目的は、革命が成されるのを見届けることだ。
　それが済んだ以上、この世界に留まる必要が無い ―――

背を向けたまま答えるスチュアート君。
にべもない返事に、言葉が継げない。


――― どうして居場所が判ったんだ？ ―――

詰問とも取れる口調に戸惑っていると、ロク君がそれに答えた。


『まりょくをおってきたのです！
おにいさんがもっているおびどめは小生のまりょくがこめられているから。』


彼は、ロク君が掲げたボードに気付くと、顔を上げてそれを見た。


――― ああ…… ―――


感嘆とも嘆息ともつかない息を吐き、鞄から何かを取り出す。
つかつかと こちらに歩み寄り…　


――― ……持っていくつもりじゃなかったんだ。
　誰かに預けて、君たちが戻ってきたら渡して貰おうと思ってた。ごめん。返すよ ―――


すれ違いざま、押し付けるように帯留を渡される。

そのまま、立ち去ろうとする彼。
そのやりとりを見ていたロク君が、半ば呆然とした様子で私のそばに来る。

彼の方に振り向いて、呼び止める。
一瞬、言い澱む。ロク君を前にして、言うのは躊躇われた。けれど…

驚き、弾かれたようにこちらを見上げるロク君。
気が、咎める。私が弱いばかりに、彼を苦しめてしまっている…

肩を抱き、身体を引き寄せる。
ロク君を慰めるよう微笑むも…　心苦しさから、悲しみ混じりの笑顔しか浮かんでこない。

ゆるゆると顔を上げ、スチュアート君の返事を待つ。足を止めた彼は、背を向けたまま答える。


――― 契約はきっとベルフィがなんとかするだろう。
　フォルシュに頼んだっていい。あいつが使ったエンブリオの暴走を止めたのは僕たちだ。
　そのくらいの見返りは求めていいはずだ。
　……どちらにしても、僕が一緒に行く必要なんて無いだろう ―――


フォルシュ。研究棟に居た研究者。前王ヨーレを乗っ取った黒い霧を、強制型クローンで霧散させた。
エンブリオを研究していた彼なら、確かに解消の方法を知っているかもしれない。

大廊下で出会ったフロラとダイゴの強制契約を、礼として解消させるとも話していた気もする…
確かに、彼に逢えば何か手がかりはつかめるかもしれない。


ただ、それでも…　いや、そうじゃない。私は…

『そのこと』を、尋ねる。
彼は振り返って。


――― ……ロクから聞いたのか ―――


諦めたような視線で黒猫の少年の方を見る。ロク君は、その視線に身を竦める。

ハッと気付いたように、黒猫の少年が文字を綴る。


『スチュおにいさん、小生からもおねがいするのです。
もうすこし、いっしょに――』


しかし、全てを書き終える前に、鼠の少年が言葉を放つ。


――― これだけ人が集まっていた場所で訊いて回っても、直接繋がりそうな話は無かった。
　だから、また他の世界に渡って探す。これまでの通りに ―――

――― ノースロップ、君にはロクがついてるだろう。
　……僕がこれ以上一緒にいる理由なんて無い ―――


俯き、私と目を合わせることなく話す彼の、絞り出すような声色。


――― それに、君の契約しているエンブリオなら、身を護るくらいわけないはずだ。
　王城を進んでいた間のように、君の、その先生を頼れば―― ―――


淡々と話を続けるスチュアート君。睨むように先生の方を一瞥する…と、そこで固まってしまった。
一体何が…？と思い、つられるように視線を向ける。

先生の姿が、透けて見える。その輪郭も、靄がかかったようにぼやけてしまっている。

ぽりぽりと、誤魔化すように頭を掻く。

先生が、何かを差し出してきた。

それは、一枚の紅い花びら。

先生は、もう狐の姿を保っておらず、ほとんど光の塊のようになっている。

その声はかすれて、上手く聞き取れない。光も徐々に薄れてゆく。

何もなくなった空間を見つめ、呆然と呟く。信じられない突然の別れ。



2ヶ月間を共にした、一揆のパートナー。
その存在を示すのは…　いまや手に残された、ひとひらのネクターのみだった。

（心配、の言葉と微笑みに釣られたように少女の口元にも笑みが浮かぶ）

（丁寧にぺこり、ともう１度綺麗なお辞儀をしてから、続く言葉に耳を傾けて）

（そう告げると今度は懐から取り出した白金色の細いバングルを手渡して）

やるきまんまんのようです。