バクラヴァはとにかく、手のかかるお菓子だ。
向こうが透けて見えるのではないかというほどにパイ生地を薄く伸ばして、
間にピスタチオやナッツを砕いたものを乗せながら、生地を何十層にも重ねて作る。
重ね終えたら切込みを入れ、オーブンに任せるのだけど、
その間もただ待つだけでは許されない。
焼き上がりにかけるシロップを作っておかねばならないからだ。
作って動き回っているこちらは良いが、待っている彼は退屈だろうと、
パイ生地つくりの合間にロジャタを仕込んでおいた。
薔薇と柑橘の香りのする硬めのプリンだ。

ロジャタの皿が空っぽになって、
良い香りを漂わせるオーブンから狐色のバクラヴァを取り出して、
甘い甘いシロップをかけて、綺麗なひし形に切り分けた一切れを取り上げる。
新しいお皿の上に、自分にはふたつ、彼にはみっつ。
香ばしくて、甘くって、しっとりしていてパリパリのお菓子のお供は、
彼のとっておきの紅茶。お菓子の甘さを引き立てるよう、濃い目に淹れてある。
お茶のカップ片手に向かい合って、口にするのは。
お茶の湯気のようにふわふわと、他愛のない話ばかりが立ち上ってくる。
彼の抱える"約束"、一揆の行方、先ほどであった奇妙な人たち、去りつつある村人。
いろいろと心にかかる話は探せばいくらでもあるけれど、
甘いお菓子とおいしいお茶の前ではそんなもの、無粋でしかない。

「うふふ〜　エンバーさんには、わたしの将来の夢、お教えしていたかしら〜？
あのね、わたしね、将来はお菓子屋さんになりたいの〜。
エユプの魔法で、普通のオーブンや泡立て器だけじゃ作れない、
ちょっと珍しくておいしいお菓子を売る人になりたいのよね〜。
エンバーさんは、将来なにになりたいとか、おあり〜？
約束を果たして、ほんとになんでも、
なーんでも、好きなようにしてよくなったら、
したいことって、何かおあり〜？」

甘い甘いバクラヴァは、いつの間にか綺麗に皿の上から消えていた。
天板の上の型の上、まだたくさん残っている。
立ち上がって新たな切れを、自分の皿に乗せた後。
彼にも取り分けようかとその皿の残り具合を見やりながら。
まるで内緒話の共有を持ちかけるようなわくわくした口ぶりでそう問いかけた。

　どこか違和感を覚えて、彼女の名前を呼ぶ。
　じ、と青灰色の瞳が彼女に向けられた。
　無理に問いただすようなそれではないが、ただ、真っ直ぐに向けられる。

　彼女の問いに頷いて、開ける様を心なしか緊張した面持ちで見る。
　それから賛辞の言葉が続けば、少し照れたように。

　それから、彼女の提案にきょとんとしたような表情になって、

歌うように呟いて、羽根ペンを持った右手を伸べる。
羽根ペンに宿った光のひとつが飛び出して、くるくると回り始めた。

ひとつ、ふたつ、みっつ。
回るたび、辺りの温度が下がっていく。
吐く息が白くなる。ちらちらと、白いものが落ちてくる。
星まで凍らせるような冷たい風が、サッと下から上へと吹き上げた。
目を開けると、いつから立っていたのだろう。
そこには、白い肌、赤い反物を携えた女がいた。

夏場でも気にせず履けそうな、さらりとした素材で作られている。